2026年になった今でも、ジブリ作品が放映されるたびにSNSがこの話題で持ちきりになるのは、もはや日本の風物詩と言えるかもしれませんね。
特に、あの土砂降りの雨の中でキキが必死に守り抜いた「ニシンのパイ」を巡る一連のシーンは、大人になってから見返すと胸が締め付けられるような、言葉にできない感情を私たちに抱かせます。
幼い頃はただ「なんて嫌な子なんだろう」と感じていたあの少女の言葉も、社会の荒波に揉まれる30代の今の視点で見ると、全く違った景色が見えてくるから不思議なものです。
今回は、そんな『魔女の宅急便』の中でも最大級のインパクトを誇る「ニシンのパイ」について、その深すぎる背景や実在するモデル、そして気になるお味まで、徹底的に掘り下げていきたいと思います。
魔女の宅急便|ニシンのパイの登場シーン
■パイを運ぶ雨の日の記憶
物語の中盤、魔女の宅急便の仕事にも慣れてきたキキは、一人の上品な老婦人から「孫娘の誕生パーティーにパイを届けてほしい」という依頼を受けます。
しかし、機械式のオーブンが故障するというハプニングに見舞われ、キキは自分の時間を削ってまで、薪を使った古いカマドでパイを焼くのを手伝うことを提案しました。
そうしてようやく焼き上がったパイを持って外へ出ると、空は一転して激しい大雨に見舞われてしまいます。
自分の服がずぶ濡れになるのも構わず、キキは大切な届け物であるパイが冷めないよう、そして濡れないように必死に守りながら、ほうきで嵐の中を駆け抜けました。
やっとの思いで辿り着いた豪華な屋敷の玄関先、キキは達成感と期待を持ってパイを差し出しますが、そこで待っていたのは、私たちの記憶に強烈に焼き付くことになる「あの一言」だったのです。
魔女の宅急便|ニシンのパイが嫌いな少女
■少女の言葉に隠された真意
玄関から現れた都会的な装いの少女は、ずぶ濡れのキキを見ても労うどころか、冷めた態度で「だからいらないって言ったのよ」と言い放ちます。
そして受取証にサインをしながら、追い打ちをかけるように「あたし、このパイ嫌いなのよね」と呟いて、足早に扉を閉めてしまいました。
このシーン、初めて観た時は誰もがキキの側に立って、そのあまりの冷たさに怒りや悲しみを感じたのではないでしょうか。
ですが、宮崎駿監督はインタビューの中で、この少女の喋り方を「嘘をついていない、正直な言い方」として、むしろ気に入っていると語っています。
本当はいらないと言っているのに、毎年良かれと思って苦手な料理を送り続けてくるおばあちゃんへの、思春期特有の「ありがた迷惑」という複雑な感情がそこには込められているのです。
大人になった私たちなら、親族間の好みのズレや、アップデートされない思い出の押し付けに困惑する彼女の立場も、少しだけ理解できてしまうのが切ないところですよね。
この出来事は、キキにとって「仕事とは、ただ感謝されるためだけにあるのではない」という、社会の厳しさと向き合うための重要な通過儀礼でもあったのです。
魔女の宅急便|ニシンのパイのおばあちゃん名前は?
■気品あふれる「奥さま」の謎
この美味しいとは言えない(かもしれない)パイを、真心を込めて焼いたあのおばあちゃん、一体どんな名前なのか気になりますよね。
実は、劇中や原作を通じても、彼女の固有の名前が明かされることは一度もありません。
キキからは「奥さま」、あるいは使用人のバーサからは「奥さま」と呼ばれており、ファンの間では親しみを込めて「ニシンのパイのおばあちゃん」や「マダム」と呼ばれています。
名前こそ分かりませんが、声を担当されたのは名女優の加藤治子さんで、その慈愛に満ちた声はキャラクターの気品を完璧に表現していました。
物語の終盤、落ち込んでいるキキに「キキという人へのお礼」としてチョコレートケーキを贈るシーンは、名前のない彼女がキキにとっての「もう一人のおばあちゃん」のような存在になったことを象徴しています。
自分の孫には受け入れられなかった真心が、他人のキキを救うという構成は、ジブリらしい皮肉でありながらも、究極の優しさを感じさせます。
魔女の宅急便|ニシンのパイは実在?どこの国?
■実在するイギリスの伝統料理
さて、この印象的なパイですが、実はイギリスにモデルとなった実在の料理があることをご存知でしょうか。
それは、イギリス南西部のコーンウォール地方にあるマウスホール(マウゼル)という港町に伝わる「スターゲイジーパイ(星を見上げるパイ)」という料理です。
映画の中のパイはお魚の形を模した可愛らしいデザインですが、本物のスターゲイジーパイは、パイ生地から魚の頭や尻尾が突き出しているという、かなり衝撃的なビジュアルをしています。
この魚たちが天を仰いでいる姿が「星を見上げている」ように見えることから、そのロマンチックな名前が付けられました。
もともとは16世紀、冬の嵐で漁に出られず飢餓に苦しんでいた村を救うため、トム・ボーコックという英雄が命がけで獲ってきた魚を丸ごとパイに入れたのが始まりとされています。
現在でもマウスホールでは、毎年12月23日の「トム・ボーコック・イヴ」という祝日に、このパイを食べて収穫への感謝を捧げる伝統が続いています。
魔女の宅急便|ニシンのパイの味の考察、まずい?
■味の考察、本当にまずいの?
「イギリスのまずい料理」の代表格としてネタにされることも多いこのパイですが、実際のところはどうなのでしょうか。
本場で実食した人の記録によれば、パイの中身はマッシュポテトやホワイトソース、そして塩気の効いた魚が入っており、グラタンに近い味わいで実は結構美味しいのだそうです。
劇中のものは、老婦人の言葉通り「ニシンとかぼちゃの包み焼き」であり、かぼちゃの甘みとニシンの塩味が合わさった、非常に栄養価の高い一品として描かれています。
再現料理を作った管理栄養士さんの分析でも、ニシンの脂溶性ビタミンがかぼちゃと一緒に摂れるため、非常に理にかなった組み合わせなのだとか。
ただ、思春期の少女からすれば、友達を呼んだ華やかなパーティーに、魚の匂いのする渋い家庭料理が届くのは、日本で言えば「筑前煮」を送りつけられるような感覚に近いのかもしれません。
料理そのものがマズいというよりは、その場の空気や食べる側の状況に合っていなかった、という「悲劇のミスマッチ」だったと言えるでしょう。
まとめ
■ニシンのパイが教えてくれること
こうして振り返ってみると、あの「ニシンのパイ」は単なる食べ物ではなく、世代間のすれ違いや、仕事の厳しさ、そして届かなかった愛を象徴する重要な役割を担っていたことがわかります。
キキにとっては、自分の「良かれと思ってやった努力」が必ずしも相手を幸せにするとは限らないことを知る、苦い経験となりました。
しかし、それを受け流し、それでも誰かのために何かを届け続けることで、彼女は本物の魔女へと成長していったのです。
私たちも、日々の生活の中で「ニシンのパイ」を贈る側になったり、あるいは受け取る少女の側になったりすることがあるはずです。
次に映画を観る時は、あの少女の冷たい言葉を否定するのではなく、その裏にある「すれ違う真心」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
ジブリ飯の中でもひときわ異彩を放つこの料理は、2026年の今を生きる私たちに、コミュニケーションの難しさと大切さを、香ばしいパイ生地の奥から語りかけてくれているような気がしてなりません。
