「ゆるい」のに圧倒的にかっこいい、そんな不思議な魅力を持つ奥田民生さんも、2026年の今やすっかり還暦を超えた大ベテランですね。
日本を代表するロック界の「大将」として君臨し続ける彼ですが、その素顔は意外とベールに包まれている部分が多いと思いませんか?
今回は、ファンならずとも気になる彼のプロフィールや家族の絆について、あえてWikipediaに負けないくらい情熱を込めて詳しく掘り下げていきたいと思います。
肩の力を抜いて、まるで民生さんの音楽を聴いているような気分で、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
奥田民生|プロフィール、年齢・身長は?
本名は変わらず奥田民生(おくだ たみお)さんで、1965年5月12日に広島県広島市東区尾長で産声を上げました。
2026年の現在は61歳を迎えられていますが、あの若々しい歌声と自然体な佇まいは、年齢という数字を忘れさせてくれますよね。
身長は171センチと日本人男性としては標準的なサイズ感ですが、ステージに立つとその存在感は数字以上に大きく感じられます。
血液型はB型で、かつて自分をAB型だと思い込んでいたという彼らしいエピソードも、今となっては懐かしい笑い話です。
おうし座の彼は、ソロ活動30周年を越えてもなお、独自の「民生スタイル」を崩さずに走り続けています。
奥田民生|経歴
彼の音楽人生は、1987年にロックバンド「ユニコーン」のボーカリストとしてメジャーデビューしたことから本格的に幕を開けました。
「大迷惑」や「働く男」といったヒット曲を次々と世に送り出し、バンドブームの象徴として一世を風靡したのを覚えている方も多いでしょう。
1993年にバンドが一度解散した後、1年ほどの充電期間を経て1994年にシングル「愛のために」でソロとしての第一歩を踏み出しました。
ソロになってもその才能はとどまることを知らず、「イージュー★ライダー」や「さすらい」など、私たちの心に寄り添う名曲を数多く生み出しています。
さらに、PUFFYのプロデュースや井上陽水さんとのユニットなど、多方面での活躍ぶりはまさに「J-POPの立役者」と呼ぶにふさわしいものです。
最近では、同郷の吉川晃司さんと還暦ユニット「Ooochie Koochie」を結成し、2025年から2026年にかけて日本中を熱狂させているのは記憶に新しいところですね。
喘息を乗り越えたギターの原点
実は小学生までは小児喘息を患っており、どちらかといえばインドア派の少しぽっちゃりした少年でした。
外で元気に走り回るよりも、家でじっと一人で音楽を聴いている時間が長かったことが、彼の深い音楽的素養を育むきっかけになったようです。
そんな彼が初めてギターに触れたのは、親戚が営む自動車の修理工場に預けられていた時のことでした。
工場の休憩室に転がっていた古いアコースティックギターに従業員のお兄さんたちが「パイプ・ライン」の弾き方を教えてくれたことが、すべての始まりだったのです。
車の修理工場で音楽好きの人々に囲まれて過ごした時間は、彼にとって「車」と「音楽」という二大情熱を同時に育む、魔法のような場所だったのかもしれません。
奥田民生|結婚した妻(嫁)は佐野美由紀!
民生さんのプライベートを支える大切なパートナーは、旧姓・佐野美由紀さんという方です。
彼女はユニコーンの初期から中期にかけて専属スタイリストを務めており、いわば戦友のような関係から愛を育んだと言われています。
5歳年上の「姉さん女房」である美由紀さんとは、1995年9月8日に神田明神で古式ゆかしい神前結婚式を挙げられました。
披露宴には井上陽水さんや渡辺満里奈さんなど、豪華な顔ぶれが揃い、二人の門出を祝福したそうです。
一部で離婚の噂が流れたこともありましたが、それは美由紀さんに離婚歴があったことが誤解されただけのようで、実際には今も変わらずおしどり夫婦として知られています。
公私の境界線をしっかりと引く民生さんらしく、奥様が表舞台に出ることはほとんどありませんが、影でしっかりと彼を支え続けているのでしょうね。
奥田民生|子供は何人?娘?名前は?
奥田家には、娘さんと息子さんの二人の大切なお子さんがいらっしゃいます。
第一子となる長女は1997年頃に誕生しており、現在は20代後半の素敵な女性に成長されているはずです。
一部の噂では、お父様の影響を受けて音楽関係のお仕事に携わっているという話もあり、血筋を感じずにはいられません。
そして、2007年頃には第二子となる長男が誕生しており、お名前は「辰生(たつお)」くんと言われています。
辰生くんも現在は高校を卒業するくらいの年齢で、ピアノや弦楽器などの習い事をしていたというエピソードもあり、将来が非常に楽しみです。
あの名曲「息子」がリリースされた当時は、まだお子さんがいなかったという事実に驚かされますが、今の民生さんはきっとあの歌詞のような優しいパパなのでしょうね。
奥田民生|実家は?
■実家の場所と誕生の地
民生さんがこの世に産声を上げたのは、広島駅の新幹線口の向かいにある鉄道病院だったそうですね。
幼少期から過ごした実家のある広島市東区尾長は、有名な尾長天満宮があることでも知られる、非常に歴史と情緒を感じさせる街です。
実はバイきんぐの西村瑞樹さんと、かつて同じマンションの1号棟と2号棟に住んでいた時期があったという、地元ならではの驚きのエピソードも残っています。
現在はご両親も転居されており実家そのものは残っていないという情報もありますが、今でも広島を訪れる際に彼が立ち寄る範囲は、当時とあまり変わっていないのかもしれません。
故郷を大切にする民生さんらしく、プロ野球の広島東洋カープやJリーグのサンフレッチェ広島に対する愛は、この街で育まれた揺るぎないものです。
奥田民生|父親は?
■父親は異色の経歴を持つ議員
民生さんのお父様である奥田幹二さんは、もともと旧国鉄の職員として働いておられましたが、その後は広島市議会議員を3期12年も務められた地元の有名人でした。
しかも日本共産党の議員さんだったというから、今の民生さんのゆるい自由な雰囲気からは少し意外な感じがして面白いですよね。
民生さんというお名前も、実は共産党系の団体である「民青」からインスピレーションを受けて付けられたものだと、ご本人が明かしています。
小学生の頃から上京するまでの間、日曜日の朝早くに起きて「赤旗」の新聞配達を手伝い、月5000円ほどのお小遣いをもらっていたというエピソードは、なんとも微笑ましい親子の光景です。
幹二さんは議員引退後、奥様が経営するお店でマスターとして立ち、気さくな広島弁でお客さんと他愛もない会話を楽しんでいたという、非常に人情味あふれる方でした。
奥田民生|母親は?
■母親の音楽愛がスターを生んだ
一方でお母様の妙子さんは、民生さんの音楽人生の原点ともいえる、大の音楽好きでした。
家にはビクターの一体型ステレオが鎮座しており、エルヴィス・プレスリーやニール・セダカ、そして西城秀樹さんのレコードがいつも溢れていたといいます。
広島の薬研堀で「さんのず」というスナックを長年経営されており、ママとしての妙子さんは非常に歌が上手く、話し上手な素敵な女性として親しまれていました。
民生さんが子供の頃、お母様に連れられてレコード店へ行き、テレビから流れる最新の音楽に触れた日々が、今の彼の類まれなメロディセンスを形作ったのでしょう。
お母様が「たみくん」と呼んで愛情たっぷりに育てた一人息子が、後に日本を代表するロックスターになるなんて、最高の親孝行ですよね。
奥田民生|兄弟は?
■兄弟
民生さんは「一人っ子」として育ったため、兄弟はいらっしゃいません。
「たみくん」と呼ばれてご両親からたっぷりの愛情を受けて育ったことが、あの独特の余裕や優しさに繋がっているような気がします。
兄弟がいない分、幼い頃から一人で音楽を聴く時間が長かったそうで、それが深い音楽的素養を育むきっかけになったとも言えるでしょう。
また、9歳年上のいとこのお姉さんの影響で、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのコンサートに連れて行ってもらうなど、親戚との交流も盛んだったようです。
寂しさを感じる暇もないほど、周りの大人たちや音楽に囲まれた幸せな子供時代だったことがうかがえますね。
奥田民生|学歴(出身高校・大学)は?
■出身高校・大学
民生さんの学歴を語る上で欠かせないのが、広島県立広島皆実高校(ひろしまみなみこうこう)の卒業生であることです。
この高校はサッカーの強豪として有名ですが、民生さんはアーチェリー部に所属し、なんと県の新人戦で優勝するほどの実力を持っていたんですよ。
高校時代からバンド活動も本格化し、当時はギター担当でしたが、ボーカルの脱退をきっかけに歌い始めたのが今の彼の始まりです。
高校卒業後は、大学ではなく広島電子専門学校(現在は広島会計学院電子専門学校と統合)に進学しました。
しかし、次第に音楽活動にのめり込むようになり、専門学校は残念ながら中退という道を選ばれています。
もし彼がそのまま学校を卒業してエンジニアの道に進んでいたら、今の名曲たちは生まれていなかったかもしれませんね。
奥田民生|出身中学・小学校は?
■出身中学・小学校
小学校は、地元である広島市立尾長小学校に通っていました。
中学校は、同じく地元の広島市立二葉中学校へと進学されています。
中学ではテニス部に在籍していましたが、中学2年生の時に友人に誘われて初めてバンドを結成し、音楽の虜になりました。
この二葉中学校は、あの西城秀樹さんの母校でもあり、民生さんにとって西城さんは身近な憧れのスターだったというのも素敵な縁ですよね。
卒業式には制服のボタンが全部なくなるほど女子からモテモテだったという伝説もあり、中学生の頃から既にスターの片鱗を見せていたようです。
まとめ
2026年の今も、奥田民生さんは変わらずに「わしらの誇り」として、等身大の音楽を私たちに届けてくれています。
広島でのびのびと育ち、家族や仲間の愛に支えられながら築かれた彼の人生は、その楽曲と同じように温かく、深い味わいがありますよね。
奥様や子供たちのプライベートを大切に守りながら、ステージでは最高のパフォーマンスを見せるその姿勢こそが、彼が長年愛される最大の理由ではないでしょうか。
これからも「いい感じ」で、私たちをワクワクさせるような素晴らしい歌声を聴かせてほしいものです。
彼のように肩の力を抜いて、でも自分の芯をしっかりと持って生きていく姿は、私たちの理想の大人像と言えるかもしれません。
