今、ネットで「小倉蒼蛙」という名前を検索している方が急増していますね!
きっと、ベテラン俳優の小倉一郎さんが改名された、というニュースを見て、その波乱に満ちた人生をもっと深く知りたいと思っているのではないでしょうか。
僕自身、長年小倉一郎さんの個性的な演技を見てきたので、今回の「小倉蒼蛙」としての再出発には胸が熱くなりました。
特に、ステージ4の肺がんを克服し、新しい芸名で人生を謳歌されている姿は、本当に感動的です。
今日は、あなたが知りたい小倉蒼蛙さんのプロフィールから、知られざる壮絶な生い立ち、そして4度目の結婚というドラマティックな私生活まで、徹底的に深掘りしていきますね。
小倉蒼蛙wikiプロフィール|読み方・なぜ改名?
■小倉蒼蛙の読み方と、なぜ改名したのか?
まずは、新しい芸名「小倉蒼蛙」さんの基本情報と、改名に秘められた熱い思いから見ていきましょう。
プロフィール・蒼蛙の読み方
小倉蒼蛙さんの読み方は「おぐら そうあ」です。
旧芸名である「小倉一郎(おぐら いちろう)」として、長年親しまれてきた名優ですね。
本名も同じく小倉一郎さんですが、作詞・作曲をする際には「秋山啓之介」というペンネームも使われていたという、多才な方なんです。
生年月日は1951年10月29日で、2025年現在、74歳を迎えられています。
命と向き合った改名の理由
なぜ、全国区で知られている「小倉一郎」という名前を手放し、「蒼蛙」へと改名したのでしょうか。
その背景には、2022年に発覚したステージ4の肺がんとの壮絶な闘いがありました。
小倉さんは、肺だけではなく、胸骨、肋骨、リンパ節、さらには脳にまでがんが転移していると診断され、「余命1年か2年」という厳しい宣告を受けたのです。
しかし、最先端の治療法や放射線治療、抗がん剤治療を諦めずに続けた結果、約1年8ヶ月という期間で、目視できる範囲のがんが全て消滅するという奇跡的な回復を遂げられたのです。
この「がんの消滅」という経験を経て、「本当に生まれ変わったような気持ちになった」と小倉さんは語っています。
そして、心機一転、新たな人生を歩む決意として、2023年に芸名を改名されました。
新しい芸名の「蒼蛙(そうあ)」は、小倉さんが長年趣味としている俳句の「俳号」から取られています。
この俳号は、なんと、ドラマ『夢千代日記』などで知られる名脚本家、早坂暁(はやさか あきら)さんが授けてくれた特別な名前だというから、その重みが違いますよね。
小倉蒼蛙|経歴・若い頃
■経歴と若い頃の活躍
小倉蒼蛙さんの芸能生活はなんと今年で65周年。
若い頃は、現在の渋い名バイプレイヤーのイメージとは少し違う形で、一躍人気を博していました。
天才子役から青春スターへ
小倉さんが芸能界に入ったのは、小学校3年生の1960年、わずか9歳の時です。
東映のエキストラとして活動を始めたのですが、本格的な俳優への道を開いたのは、あの梅宮辰夫さんの存在でした。
当時住んでいたアパートで梅宮さんと知り合いになり、1963年に梅宮さんの紹介で東映児童演劇研修所に入所しています。
そして、1964年、13歳で石原裕次郎さん主演の映画『敗れざるもの』で本格デビュー。
脳腫瘍と闘う難しい少年役を演じきり、たちまち「天才子役」として注目を集めたのです。
「へなちょこ日本一」の愛称
1960年代後半から1970年代にかけては、テレビドラマや映画の青春ドラマで大活躍しました。
特に1976年のドラマ『俺たちの朝』での演技は、当時の若者たちに強烈な印象を残しましたね。
細身でナイーブ、どこか頼りない青年像を得意とし、その柔らかな雰囲気から「へなちょこ日本一」という愛称で親しまれていたそうです。
若手時代に築いた「気弱で繊細な青年役を演じさせたら右に出る者はいない」という評価は、その後の幅広い役柄にも生かされています。
小倉蒼蛙|結婚歴・元妻(嫁)は?
■驚愕の結婚歴と現在の妻
小倉さんのプライベート、特に結婚歴は、まるでドラマか小説のような波乱万丈ぶりで、ファンならずとも気になるところです。
小倉さんはこれまでに4度の結婚と3度の離婚を経験されています。
4回の結婚と3回の離婚
- 1回目の結婚(1973年頃): 女優の海野まさみさんと22歳で結婚しますが、わずか2ヶ月半でスピード離婚。小倉さんのお母様との同居が、当時18歳だった海野さんの負担になってしまったのが原因とされています。
- 2回目の結婚(1977年頃): 一般女性(昌子さん)と再婚し、1男3女の4人の子供を授かります。約20年続くも、妻が政治活動(東村山市議会議員に当選)を始めたことによる生活のすれ違いで1999年頃に離婚に至りました。
- 3回目の結婚(2006年): 元アイドル歌手の谷ちえ子さんと結婚。ライブを見て一目惚れしたとの説もありますが、多忙によるすれ違いから約3年間の別居を経て、2015年に離婚されています。
- 4回目の結婚(2017年): そして、現在の妻であるまきさんとの結婚は、本当に奇跡のようなストーリーです。
40年越しの運命の再会婚
現在の妻であるまきさんは一般女性ですが、実は40年前に結婚を約束していた元恋人だったのです。
小倉さんが3度目の離婚をした約1年後、まきさんから突然「私のことを覚えていますか?」というメールが届き、再会を果たします。
まきさんも長年連れ添った夫と離婚した後で、再会した小倉さんに「40年前の責任を取って、一郎ちゃん、わたしのこと引き取ってよ」と冗談交じりに言ったそうです。
これに対し小倉さんは「わかった。俺そっちに引っ越すわ」と即答し、すぐにまきさんの住むマンションに引っ越して同棲、そして2017年に結婚という、まるで映画のような展開をたどっています。
小倉さんは、現在のまきさんとの生活を「今が一番しあわせ」と語っており、長い人生の道のりを経て、ようやく心の伴侶と巡り会えたのだなと感じますね。
小倉蒼蛙|子供は?
■家族の絆:子供たちと円満な関係
結婚と離婚を繰り返してきた小倉さんですが、彼が最も大切にしてきたのは「家族の絆」です。
子供は4人、孫は4人または5人
小倉さんには、2回目の結婚相手である一般女性・昌子さんとの間に、1男3女の4人の子供がいます。
名前は、長女:悠希(ゆうき)、長男:龍希(りゅうき)、次女:瑞希(みずき)、三女:彩希(あやき)と、全員の名前に「希」の文字が入っているそうです。
2025年現在、子供たちは全員が40代前後で独立しており、さらに小倉さんは4人、または5人の孫にも恵まれています。
孫の入学式に出席するなど、お祖父ちゃんとしての役割も積極的に楽しまれているようで、本当に幸せそうですよね。
家族全員で乗り越えたがん闘病
特筆すべきは、小倉さんの子供たちと、現在の妻まきさん、そして元妻たちとの関係の驚くほどの円満さです。
小倉さんがステージ4のがんを宣告された際には、子供たち4人全員が心配し、お金を出し合ってお見舞いを持ってきてくれたという、心温まるエピソードがあります。
また、現在の妻まきさんはとても寛大な方で、元妻たちや子供たちとも積極的に交流し、家族全員が小倉さんの闘病を支えました。
小倉さん自身も「離婚した妻たちも、僕にとっては家族同然」と語るほど、血の繋がりや形式にとらわれず、家族ワイワイという家庭を求めてきた彼の強い願いが、この素晴らしい関係性を築いているのでしょう。
小倉蒼蛙|実家の母親・父親は?
■壮絶な幼少期と実家・家族構成
小倉蒼蛙さんがこれほどまでに「家族愛」を求める背景には、彼の壮絶な幼少期の経験が深く関係しています。
相次ぐ「別れ」を経験した生い立ち
小倉さんは、1951年に東京都新宿区で生まれましたが、生後まもなく両親の故郷である鹿児島県の甑島(こしきじま)に移住し、幼少期を過ごしています。
彼がまだ生後わずか1週間の時、生みの母親は亡くなっています。
さらに、小倉さんが生まれる前、あるいは2歳の頃までに、双子の兄たちが船着き場で遊んでいて溺死するという悲しい事故も経験しています。
旧芸名「一郎」は本名ですが、実は三男なのに「一郎」となったのは、この双子の兄を亡くしたためだそうです。
そして、16歳の時には、2歳上のお姉さんも脳腫瘍で亡くなっています。
伯母に育てられ、孤独を撮影所で埋めた日々
結核を患い入退院を繰り返していたお父さんは、小倉さんが33歳の時に交通事故で亡くなりました。
小倉さんは生後すぐに、父の姉、つまり伯母に引き取られて育てられました。
伯母は当時51歳で、生活保護を受けながらも、月賦でギターを買ってくれるなど、愛情深く小倉さんを育ててくれました。
幼い頃から肉親との悲しい別れを繰り返した小倉さんは、この孤独感を埋めてくれたのが撮影所での仕事だったと振り返っています。
小倉蒼蛙|学歴、出身高校・大学は?
■出身高校・大学は?学歴まとめ
子役として早くから活動していた小倉蒼蛙さんの学歴についても調べてみました。
出身高校は日本大学豊山高校を中退
小倉さんは、東京都文京区にある私立の男子校、日本大学豊山高等学校に進学されています。
当時も子役として多忙を極めていたため、残念ながら高校は中退されています。
多忙な俳優業のために学業を断念し、キャリアに専念するという選択は、子役出身の方にはよくある話ですが、彼の場合はそのキャリア選択が成功し、名バイプレイヤーとしての地位を確立することにつながりました。
このため、大学には進学されていません。
出身中学・小学校の情報は?
小倉さんは小学1年生の夏に鹿児島県の甑島から東京に上京し、板橋区で育っています。
小学校、中学校については、公的な情報は公表されていませんが、育った環境から板橋区立志村第三中学校に進学したのではないかと推測されています。
中学生になっても芸能活動は続いていたため、学校は休みがちだったようです。
まとめ
■命の輝きとともに生きる「蒼蛙」の人生
小倉蒼蛙さんについて深く掘り下げてみましたが、いかがでしたでしょうか。
旧芸名「小倉一郎」時代からの彼の演技の深みは、壮絶な幼少期の経験と、家族への強い憧れ、そして4度の結婚と40年越しの運命的な再会という波乱万丈な人生を経て培われたものだと感じます。
そして、ステージ4の肺がんを克服し、「生まれ変わった」という決意とともに俳号の「蒼蛙」に改名された現在の姿は、本当に清々しいですよね。
彼の人生は、予期せぬ困難や悲劇があっても、「また出会える」「やり直せる」「信じて進む」という、命そのものの力強いメッセージを私たちに伝えてくれているように思います。
俳優として、そして俳人として、ますます輝きを増していく小倉蒼蛙さんの今後の活躍から、ますます目が離せません!
