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子捨ての話(小泉八雲の怪談)【朝ドラばけばけ59話】

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はるを 朝ドラ

朝ドラが連日熱いですね!

最近の朝ドラ「ばけばけ」の展開、痺れっぱなしのブロガーです。

第12週の「カイダン、ネガイマス。」、ついにヘブン(トミー・バストウ)が怪談の魅力にどっぷりハマり、トキ(髙石あかり)に「モウイッペン」とねだる姿は最高でしたね。

そして、第59話でトキが語った小泉八雲の怪談「子捨ての話」

SNSでも大きな話題になり、その切なくも恐ろしい内容に、思わず背筋が伸びた人も多いはずです。

この「子捨ての話」は、単なる怖い物語ではなく、八雲自身の人生のトラウマと深く結びついています。

今回は、この名作怪談の背景と、なぜこれがドラマで重要な役割を果たしたのか、じっくり深掘りしていきます。

八雲作品のファンとして、個人的に一番心が締め付けられるエピソードかもしれません。

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子捨ての話(小泉八雲の怪談)【朝ドラばけばけ59話】

■ばけばけ59話「子捨ての話」の衝撃と役割

連続テレビ小説「ばけばけ」の第59話で、ヒロインのトキは、ヘブンから熱烈に怪談をねだられ、ろうそくの明かりの下で「子捨ての話」を語りました。

トキはまず「人の命が ろうそくよりも たやすく 消えていく時代のお話です」と、この物語の持つ時代的な背景の重さを伝えました。

この怪談が持つ役割は、ヘブンの内面に深く切り込むことでした。

ヘブンは話を聞き終えた後、自らの心の奥底にあるトラウマを、たどたどしい日本語で吐露します。

彼は幼い頃、父に母と自分を置いて出ていかれた経験があり、その過去と、怪談のテーマが重なっていたのです。

ヘブンは「チチ…ワタシ…ステタ…ハハノ…コト…ステタ…ユルス……ナイ」(父が自分と母を捨てたことを許せない)と、胸の内の許せない思いをトキに打ち明けました。

怪談が、文化も言葉も違う二人の間の、最もプライベートで痛ましい過去を炙り出し、お互いの心の距離を一気に縮めるという、ドラマ上、極めて重要なターニングポイントとなったのです。

そして、トキがヘブンを「オトキシショウ」と呼ぶようになったのも、この怪談語りがきっかけです。

心の師匠認定、これはもう、二人の絆が本物になった証拠ですよね!

「子捨ての話」とは?小泉八雲の怪談

■元ネタは出雲の民話?「子捨ての話」の起源

この「子捨ての話」は、実際に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が再話した日本の怪談です。

原典では「子捨ての話」または『Of a Promise Broken』(破られた約束)というタイトルで知られています。

八雲の代表作の一つ『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan)の中に、紀行文「日本海に沿って」の挿話として収録されています。

これは、八雲が来日して間もない頃、妻となるセツ(ドラマのトキのモデル)から聞いた出雲地方の民話がベースになっています。

八雲は日本各地の民話や伝承を熱心に収集しましたが、特にこの話のように、日本の古い庶民の生活や倫理観に深く根差した物語に心を動かされたのでしょう。

なお、ドラマの「子捨ての話」という題名は八雲の作品名としては厳密には存在しないものの、八雲文学の根幹にある「弱者への哀しみ」というテーマを強く反映した、まさに”八雲的怪談”として描かれています。

「子捨ての話」あらすじ

■赤子の言葉が刺さる!あらすじを深掘り解説

改めて「子捨ての話」のあらすじを見てみると、その静かで凄惨な内容に、ぞっとさせられます。

舞台は、貧しさから逃れられない出雲国の持田の浦という村に住む百姓夫婦の家です。

夫婦は極貧で、生まれてくる子どもを養うことができませんでした。

そのため、夫は妻には黙って、生まれてくる赤ん坊を次々と家の裏の川に捨てて殺していたのです。

男の子も女の子もおり、こうして計6人もの子どもを川に流したとされています。

しかし、時が経ち、夫婦の暮らし向きが少しずつ良くなっていきます。

そして7人目の男の子が生まれた時、夫は「この子は育てよう」と決意し、その子を心から可愛がって育てます。

ある夏の美しい夜、父親は生後5ヶ月になったばかりのその子を庭で抱き上げ、満月を見上げながら、思わず「ああ、今夜珍らしいゑ?夜だ」(なんて美しい夜だ)と独り言を言いました。

すると、まだ言葉を話せるはずのないその赤ん坊が、父親の顔をじっと見つめ、大人の口調で静かにこう応じるのです。

おとっつあん、あんたがしまいにわたしを捨てなすった時も、今夜のように月のきれいな晩だったね」。

父親は過去の罪が暴かれたことに魂が抜けたように震え上がり、その後、その子は他の子どもと同じように言葉を話さなくなってしまったそうです。

そして、この話の結末は、父親がその罪の重さに耐えかねて僧になるという形で締めくくられます。

この静かな結末に、人間の業の深さと、それが輪廻して跳ね返ってくる恐ろしさを感じますよね。

「子捨ての話」と漱石の縁

■なぜ八雲がこの話に惹かれたか?漱石との奇妙な縁

八雲がこの「子捨ての話」に強く惹かれた背景には、彼自身の過酷な生い立ちが深く関わっています。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、ギリシャで生まれ、2歳の時に両親が離婚して母に捨てられ、アイルランドで大叔母に育てられるという、「捨てられた」という深いトラウマを抱えて生きてきました。

彼は、この怪談の根底にある「貧困の中で子を捨てざるを得なかった親の苦悩」や、「捨てられた子がそれでも親のもとに生まれ変わろうとする強い思い」に、自身の孤独な人生と、求めてやまなかった母性への憧れを重ねていたと考えられます。

ドラマでヘブンが「父が自分を捨てたことを許せない」と感情を露わにしたのは、まさに八雲がこの物語を通じて、自分の過去の痛みを昇華しようとしたことの表れなのでしょう。

さらに興味深いのが、この話と夏目漱石の作品とのつながりです。

漱石の短編『夢十夜』の「第三夜」は、盲目の子どもを背負い、かつて殺したはずの子が「御前がおれを殺したのは今から丁度百年前だね」と語りかけるという、酷似したモチーフで描かれています。

八雲と漱石は、時代こそ違えど同じ学校で教壇に立った共通点があり、二人とも幼い頃に父親の愛情を受けずに育ったという、精神的な共通のトラウマを抱えていました。

この類似性から、漱石が八雲の「子捨ての話」を意識し、自身の作品で「対抗」したのではないか、という文学的な考察もあるほどです。

怪談を通じて、日本の近代文学を代表する二大文豪が、奇妙な「おばけずき」という共通点で結びついていたのは、ロマンを感じますね。

まとめ

■怪談が繋いだ、ヘブンとトキの絆

「子捨ての話」は、八雲の紀行文にひっそりと挿入された短い話ですが、その内容は彼の人生観と深く直結しています。

ドラマ「ばけばけ」において、この怪談が果たした役割は計り知れません。

トキが怪談を語り、ヘブンが「ワタシ オナジコト スルナイ」と誓い、「シジミサンノ…カンガエ…コトバ…スバラシ」とトキの解釈を称賛し、二人の心が深く共鳴しました。

八雲が日本に求めたのは、西洋の合理主義で失われた「幻想や想像力」、そして「人間は幻想や想像力に頼る生き物」という、目に見えないものを大切にする日本の精神性でした。

トキの「何度捨てられても同じ親のもとに生まれ変わろうとする子の強い思い」という解釈は、八雲が作品を通じて描こうとした「人間的な悲しみや、死を超えた母子の愛」というテーマそのものです。

この夜の怪談語り以降、ヘブンとトキの絆は一層深まり、夫婦の物語が加速していく予感がしますね。

怪談話が、孤独な異邦人と没落士族の娘の心を一つにする??なんて、情緒豊かで素敵な物語なのでしょうか。

彼らがこれからどんな怪談を世界に発信していくのか、ますます目が離せません!

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