いや~、最近テレビやSNSで見ない日はないんじゃないかってくらい、CRAZY COCO(クレイジーココ)さんが大注目ですよね!
元外資系のCA(キャビンアテンダント)という華麗な経歴と、そのギャップを笑いに変えるぶっ飛んだ芸風が魅力で、僕もすっかりファンになっちゃいました。
彼女の人生って、まるでジェットコースターみたいに波乱万丈なんですが、その根底にある強烈なバイタリティと家族愛を知ると、ますます応援したくなるんですよね。
今日は、そんな彼女の魅力を深掘りすべく、プロフィールから学生時代、そして壮絶なご家族の物語まで、根掘り葉掘り解説していきます!
ぜひ最後まで読んで、COCOさんの「クレイジーな生き方」から元気をもらってください!
クレイジー ココwikiプロフィール|本名、年齢は?
■COCOの素顔に迫る!基本プロフィール
まずは基本情報から整理していきましょう。
彼女の本名は井上 徳子(いのうえ のりこ)さんといいます,。
この「徳子」という名前は、お父様が「人徳の徳」という意味を込めて名付けてくれたそうで、なんだかグッとくるエピソードですよね,。
生年月日は1986年9月6日生まれで、現在39歳。
出身地は関西、大阪府箕面市です,。あのテンポのいいマシンガントークは、やはり大阪で培われたものなんですね。
そして、特筆すべきは身長!170cm前後(169cmまたは172cm)と、日本人女性としてはかなり高身長で、モデルのようなスタイルをお持ちです,。
気になる芸名の由来ですが、これこそCOCOさんの「クレイジー」たる所以が詰まっています。
エミレーツ航空のCA時代、本名の「のりこ」が外国人には覚えにくいからと、「ココ・シャネルのココ」「ココナッツのココ」と自ら「COCO」と名乗っていたそうです,,。
さらに、彼女は長時間フライト中、「普通に働いていたらおもんない」という理由で、同僚と「白目を剥いたまま機内食を提供してバレるかバレないかゲーム」をしていたというから驚きです,,。
そのぶっ飛び具合から、同僚には「クレイジージャパニーズ」と呼ばれており、この二つを組み合わせて「CRAZY COCO」という芸名になったんですね,,,。
僕も彼女のネタを見るたびに「こんなCAさんがいたら絶対面白いのに!」って思っちゃいます(笑)。
クレイジー ココ|経歴
■華麗なる遍歴!CAから芸人へ
COCOさんの経歴は本当に多彩で、芸人になるまでになんと5回も転職を経験しています,,。
まさに「天職」を見つけるために、怒涛の10年間を駆け抜けたというのが、僕の正直な感想です。
転職ラッシュを振り返る
大学を卒業して最初に就職したのはタオル商社でした,。留学で培った英語力を活かしたいと思っていたのに、配属されたのはまさかの中国担当,,。
しかも残業代は出ない、有休も取れないという、いわゆるブラック企業だったそうです,。
「3年は辞めるな」という当時の日本の慣習を信じて3年半耐え忍んだものの、「このままでは人生が腐ってしまう」と感じて転職活動を始めます,,。
次に飛び込んだのが、外資系CA(エミレーツ航空)の世界です,,。
留学時代の友人に誘われ、一度は不合格になりますが、負けず嫌いの性格に火がつき、半年間専門学校の夜間クラスに通って猛勉強し、見事27歳で合格を勝ち取りました,,,。
CA時代の給料は、商社時代の2倍以上(手取り約35万円、しかも税金ゼロ)で、無料の寮付き。非番の日には格安で世界中を飛び回るという、まさに豪華絢爛なドバイ生活を送っていたんです。
しかし、31歳の時にお母様の体調が悪化したことをきっかけに、4年半でCAを退職し、日本へ帰国します,,。
その後、英語学習コンサルタント、美容商材を扱う総合商社(半年で倒産)、外国人就労サポート会社と、また怒涛の転職を繰り返しました,,,。
全てを捨てて芸人の道へ
人生最大の転機は、2021年夏に新型コロナウイルスに感染し、入院したことでした,,,。
40度近い高熱が続き、死をリアルに意識した時、彼女は「本当に自分がやりたいことをやらずに、このまま死んでいくのは嫌だ!」と強く思ったそうです,,,。
そこで思い出したのが、子どもの頃から大好きだった「人を笑わせる」ことでした。
退院後、すぐに「芸人のなり方」をネットで検索し、偶然にもエントリー期間中だった『女芸人No.1決定戦 THE W』にアマチュアながら応募,,。
綿密な戦略を練り、「元外資系CA芸人」というニッチな切り口で勝負した結果、準決勝まで進出,,。その活躍が吉本興業のマネージャーの目に留まり、35歳でスカウトされてプロデビューを果たしたんです,,。
しかも、彼女は劇場での下積みを嫌い、「最短でテレビに出たい」「母に元気なうちに活躍を見せたい」という強い思いから、SNSを主軸に活動するという異例の道を選びました,,。その結果、瞬く間にブレイクしたわけですから、論理的な思考と実行力に脱帽です!
クレイジー ココ|旦那と結婚・子供は?
■結婚は?子供は?未来への選択
彼女の明るさや、YouTubeでのオープンな発言を見ていると、恋愛事情や結婚についても気になりますよね。
現在は独身!過去の国際的な恋
現在のところ、CRAZY COCOさんは結婚しておらず、独身です,,。旦那さんがいるという情報もありません。
CA時代には、イギリスやアメリカなど、さまざまな国籍の男性とお付き合いした経験を赤裸々に語っています。世界を飛び回っていたからこそ、自然と出会いも国際的になったのでしょうね。
実は、過去には結婚を意識した真剣交際があり、4年間付き合った彼と両家の顔合わせまで済ませていました。
しかし、ドバイへのCA転職を優先したため遠距離になり、最終的にはご自身から別れを告げています。
当時の彼女は「結婚したい」というより、「結婚しなきゃいけないんだろうな」という世間のプレッシャーを感じて準備を進めていた部分があり、「自分の根底にある自由を求める精神」に気づいてしまったんです。
自分で稼げるようになってからは、男性の経済力よりも、「中身も見た目もタイプな人」を選べるようになった、という話を聞くと、自分軸で生きる強さが伝わってきて、かっこいいなと思います。
38歳で決断した「卵子凍結」
現在、仕事に満足していて「今すぐ子どもがほしいわけではない」と語るCOCOさんですが、38歳で卵子凍結に踏み切ったという大きな決断を公表しています,。
彼女がこれを決めた理由は、「将来の選択肢を増やしておきたかったから」。
年齢を重ねて「産まない」ではなく「産めない」という状況になるのは、選ぶ自由が失われるようで嫌だった、と話しています。
多忙を極める中、ラジオ番組のレギュラー(COCO教頭)を退任し、スケジュールに空きができたタイミング(2025年4月以降)で通院し、2025年6月には採卵を終えたとのことです,。
これは、人生をコントロールしたいという彼女の強い意志と、母の姿を見て「子どもがいる生活もいいな」と思えるようになった、心の変化の結果なんだと感じました。
クレイジー ココ|実家の母親・父親は?
■壮絶な家族愛:両親と実家の物語
COCOさんの底知れないバイタリティの源泉には、壮絶でありながら温かい家族の存在が深く関わっています。
家族構成と実家
COCOさんは両親と本人の3人家族で育ち、兄弟はいない一人っ子です,,,。
実家は大阪府箕面市で,、彼女が生まれ育った場所です。
お父様がご病気だったため、お母様が一家を支えていたのですが、お母様は大阪・北新地でラウンジのママを約40年間も務めていました,,,。
小さい頃、COCOさんには「社長をやっているよ」と伝えていたそうで、物心ついて仕事の内容を知ったとき、浮き沈みの激しい世界で店を続けられる母の姿を「かっこいい」と感じたそうです。
お母様は多忙を極めながらも家族を大切にする人で、COCOさんにとっては「絶対的な道しるべ」のような存在でした,。
父親との別れ、そして母親の闘病
彼女の人生観に強く影響を与えたのが、ご両親の闘病です。
お父様は、COCOさんがわずか2歳の時にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、その後、彼女が物心ついた頃には寝たきりの状態でした,,。
医師からは「余命4年」と宣告されていたにもかかわらず、COCOさんが14歳になるまで生き延びたそうです,,。この経験が、彼女に「寿命と余命は違う」という強い信念を持たせています。
そして、一家を支えてきたお母様も、過去に脳腫瘍や胃がんを経験されていました,,。COCOさんがCAを退職し日本に戻ったのも、お母様の体調が理由でした,。
さらに、COCOさんが芸人として活躍し始めた2022年4月、お母様は急性骨髄性白血病と診断され、余命14?33ヶ月と宣告されます。
彼女がテレビ出演にこだわるのは、「娘の活躍を見られたら、どんどん元気になるやろ」という、お母様を笑いの力で元気付けたいという強い思いがあったからです,,。
お母様は宣告された余命13ヶ月を超え、20ヶ月間も闘い続け、2023年12月11日に74歳で亡くなりました,,。最期は、お母様が一番好きだった実家で、COCOさんと叔母様の腕の中で息を引き取ったそうです。
COCOさんの「一度きりの人生を悔いなく生きたい」というモットーは、愛する家族の壮絶な生き様と別れを経て、より一層強固になったのだと感じています,。
クレイジー ココ|学歴(出身高校・大学)は?
■努力の賜物!出身高校と大学での英語習得術
元CAで英語ペラペラというCOCOさんの学歴は、華々しい外国語大学出身なのかと思いきや、実は地道な努力の賜物なんです。
出身高校と大学
COCOさんの出身高校は、大阪府立の少路(しょうじ)高等学校です,,,。現在は統合されて千里青雲高校になっています,。
この高校時代、彼女はサッカー部のマネージャーを務めていました,,,。
そして、有名なエピソードが、2学年上の先輩であるロックバンド「HEY-SMITH」のギタリスト、猪狩秀平さんに告白して振られたこと(笑),,,。飾らない高校時代のエピソードに、親近感が湧きますよね!
出身大学は、兵庫県神戸市にある流通科学大学の商学部流通学科です,,,,。特に外国語に特化した大学ではなかったようです,。
英語を武器に変えた「休学留学」
大学時代、周りが就職活動を始める中、COCOさんは「英語を自分の武器にしたい」という思いから、大学を1年間休学して、オーストラリアのサンシャイン・コーストへ10ヶ月間語学留学することを決意します,,,,,。
留学制度が充実していなかった大学だったので、休学して5年間かけて卒業しています,,,。
この留学期間に英語力を集中的に伸ばし、CAになるための基礎を築いたんです,。流暢な英語を話せるのは、この時の努力があったからこそ,。
彼女自身、TOEICで900点以上のスコアを取っていると公表していますが、この英語力は、後にCAや英語学習コンサルタントといった仕事だけでなく、芸人としてのユニークなネタ作りにも大いに活かされています,,。
まとめ:挑戦し続けるクレイジーな生き方
今回は元CA芸人、CRAZY COCOさんの知られざるプロフィールや経歴、そして壮絶な家族の物語を深掘りしてきました。
彼女の人生は、難病の父と、バイタリティ溢れる母に育てられた壮絶な生い立ちから始まり、タオル商社でのブラックな経験、ドバイでの豪華なCA生活、そしてコロナでの入院という「死の意識」を経て、35歳で芸人という天職にたどり着いています,,,,。
彼女が一貫して発信しているメッセージは、「年齢はまじで関係ない。やりたいことをやった方がいい」というもの,。
これは、彼女自身が人生の節目で常に「自分の正解」を信じ、固定観念に縛られずに行動してきたからこそ言える、魂のこもった言葉だと思います,。
過去の経験すべてを笑いに変え、前向きに突き進むその姿は、多くの人に勇気を与えてくれますよね。
僕たちもCOCOさんのように、「一度きりの人生、やりたいことをやってから死にたい!」というマインドを持って、自分の人生を楽しく切り開いていきたいものです。
これからも、国境や年齢、常識の壁を軽やかに飛び越えていくCRAZY COCOさんの活躍から、目が離せません!
