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麻実れいwiki|信元久隆が結婚した旦那(夫)!子供は息子?実家・家族は?

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はるを 人物

麻実れいさんの名前を聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのは、宝塚の舞台で一時代を築いた、あの凛とした佇まいの男役トップスターの姿ではないでしょうか。

私も舞台好きの端くれとして、麻実さんの持つ圧倒的な存在感と品格には、いつも魅了されてしまいます。

最近、彼女の私生活、特にご結婚やお子さんのことについて検索する方が増えているようで、ネットでも大きな話題になっていますね。

今回は、麻実れいさんという偉大な女優が、どのようにして家族という大きな愛を築き上げてきたのか、その知られざるストーリーを深掘りしていきたいと思います。

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麻実れいwikiプロフィール|年齢・身長は?

■麻実れいってどんな人?基本プロフィール

まずは、麻実れいさんの基本的な情報から確認していきましょう。

本名は信元孝子(のぶもと たかこ)さんとおっしゃいます。

1950年3月11日生まれで、2025年12月現在で75歳を迎えられた今も、舞台の第一線で活躍されています。

出身は東京都千代田区、まさに都会の真ん中で生まれ育った方なんですね。

特筆すべきは、その長身で身長は172cmもありますから、宝塚時代に男役として大人気を博したのも納得です。

ファンの方々からは、本名からとった「ターコさん」という愛称で親しまれていますが、この愛称が後年の家族関係においても、とても重要な役割を果たすことになります。

麻実れい|経歴

■宝塚トップから名女優へ!圧倒的な舞台経歴

麻実さんの人生は、まさに「舞台に捧げた人生」と言っても過言ではありません。

1968年に宝塚音楽学校に入学し、1970年に56期生として宝塚歌劇団に入団されました。

入団時は星組に配属されますが、すぐに雪組へと移り、その才能は瞬く間に開花します。

特に注目されたのが、1972年の新人公演『花の若武者』で主役の鬼若を演じた時で、これは入団3年目での主演という当時の新記録だったそうですから、そのスター性は計り知れません。

その後、1975年の『ベルサイユのばら』ではアンドレ役で人気を決定づけ、1980年にはついに雪組の男役トップスターに就任されます。

遥くららさんとのコンビは「ゴールデンコンビ」と呼ばれ、多くのファンを熱狂させましたね。

トップスターとして5年間活躍された後、麻実さんは35歳という、自らが一番美しいと感じる時に宝塚を退団するという美学を貫かれました。

退団後も舞台女優として活躍を続け、『ハムレット』や『黒蜥蜴』などの名作で読売演劇大賞最優秀女優賞を二度も受賞するという偉業を達成されています。

その功績は国の栄誉にもつながり、2006年には紫綬褒章、2020年には旭日小綬章を受章、そして2023年には日本芸術院会員に就任されるなど、まさに演劇界のレジェンドです。

麻実れい|旦那は信元久隆!馴れ初めは?

■45歳での電撃結婚!馴れ初めと亡き両親の存在

麻実れいさんの結婚は、1995年7月3日、彼女が45歳の時でした。

初婚ということもあり、世間を驚かせた「電撃結婚」として当時大きな話題になりましたね。

お相手は、後に詳しくご紹介しますが、実業家の信元久隆さんです。

実は麻実さん、元々結婚願望はあまりなかったそうですが、この結婚には深い背景があったんです。

結婚の約5年前に刀の鍔職人だったお父様を亡くされ、さらにその1年前にはお母様も亡くされていました。

立て続けに身近な家族を失ったことで、心にぽっかりと穴が空いてしまったような、言いようのない寂しさを感じていたのかもしれません。

そんな人生の大きな節目に、近くで支えてくれたのが信元久隆さんでした。

馴れ初めや出会いの具体的なきっかけについては公にされていませんが、大人同士、人生の伴侶として「縁」を感じ、新たな家族の形を築くことを決意されたそうです。

麻実れい|旦那・信元久隆のプロフィール・経歴

■旦那・信元久隆氏の華麗な経歴:元曙ブレーキ工業トップ

麻実れいさんの夫である信元久隆さん(1949年5月9日生まれ)は、日本の経済界で非常に著名な方です。

彼は大手自動車部品メーカー、曙ブレーキ工業株式会社の元会長兼社長を務められていました。

信元さんは兵庫県のご出身で、東京学芸大学附属高校から一橋大学商学部を卒業されています。

大学卒業後すぐの1973年にはフランスに渡り、曙ブレーキの現地子会社で約5年間実務経験を積まれており、これが後の国際的なキャリアの基盤となりました。

帰国後は曙ブレーキ工業に入社し、取締役、副社長を経て1990年に代表取締役社長に就任、1994年からは会長も兼任されています。

フランスとの縁が深い方で、フランス政府から最高位の勲章の一つであるレジオン・ドヌール勲章オフィシエを、さらに日本政府からも藍綬褒章を受章されています。

英語やフランス語に堪能で、歌舞伎や文楽、三味線も嗜むなど、経営者でありながら非常に文化的な素養もお持ちで、麻実さんとの結婚が「セレブ婚」として話題になったのも納得ですね。

麻実れい|子供は息子?

■息子は2人のフランス人ハーフ!麻実れいが築いた「ターコさん」家族の絆

麻実れいさんの家族を語る上で、最も検索されているのが「息子」に関する情報ではないでしょうか。

結論からお伝えすると、麻実さんには実子(生物学的な子ども)はいませんが、結婚によって2人の息子さんのお母さんになりました。

この2人の息子さんは、信元久隆さんが死別されたフランス人の前妻との間に生まれた連れ子なんです。

つまり、息子さんたちは日仏ハーフであり、噂ではかなりのイケメンだと言われています。

麻実さんが結婚した当時、息子さんたちはまだ小学生でしたが、突然新しいお母さんができたことで戸惑いもあったことでしょう。

そこで麻実さんが取った行動が、本当に素晴らしいんです。

彼女は息子たちに「亡くなったお母様は君たちのお母さん。私はターコさん(本名の孝子から)と呼んで」と伝え、無理に「母親」の座を奪おうとはしませんでした。

亡くなった前妻の写真を家で一番日の当たる場所に飾るよう夫に提案し、子どもたちの心の安定を最優先したというエピソードには、麻実さんの深い人間愛が溢れています。

また、フランス文化が根付く家庭に合わせて、ハグなどのスキンシップを日常的に取り入れ、血縁を超えた強い信頼関係を時間をかけて築き上げました。

時には朝5時に起きてお弁当を用意するなど献身的なサポートを続け、怒るべき時にはしっかりと叱る、そんな愛情と責任を持って接したそうです。

現在、息子さんたちは成人して40代となり、それぞれ家庭を持たれています

そのため、麻実さんには孫もいるんです!テレビ番組で「孫が可愛くて仕方ない」と語る麻実さんの姿は、温かい家族の絆を象徴していますね。

麻実れい|実家の母親・父親は?

■実家は東京・神田の職人一家!父は刀の鍔職人

麻実れいさんの実家は、彼女の芸術家としての原点であり、ルーツを探る上で欠かせません。

出身地は東京都千代田区、神田明神の鳥居の内側という、歴史ある下町で生まれ育ちました。

お父様は、なんと刀剣の鍔(つば)を製作する職人で、刀剣金具製造業を営んでいたそうです。

自宅の一角が工房になっており、麻実さんは幼い頃から、父が黙々と繊細な手仕事に取り組む背中を見て育ちました。

この「一つのことを極める職人気質」こそが、舞台で妥協を許さない麻実さんの美意識の根幹にあるのかもしれません。

家族構成は、父、母、そして姉が二人いる五人家族の末っ子です。

お母様は教育熱心で、麻実さんには幼少期からバレエを習わせていました。

また、麻実さんは実は男の子として期待されて生まれてきたため、性別を知ったお父様は一度顔も見ずに帰ってしまったという、切ないエピソードも残っています。

しかし、お母様は「親孝行できるように」と願いを込めて「孝子」と名付け、その後、麻実さんが宝塚で男役として成功した姿を見て「若い頃のお父さんそっくり」だと大変喜んでくれたそうです。

ちなみに、麻実さんが宝塚を志すきっかけとなったのは、姉たちが熱心な宝塚ファンだったからなんですよ。

麻実れい|学歴は?

■宝塚音楽学校への道のり:学歴とバレエ経験

麻実れいさんの学歴は、その芸術的な土壌がしっかりと築かれたことを示しています。

幼稚園の頃からバレエを習い始め、これが宝塚への道を切り開くことになります。

高校は東京家政学院高等学校をご卒業されています。

高校3年生の時に、宝塚ファンの姉たちの勧めで一念発起し、宝塚音楽学校を受験し合格。

親元を離れたい一心で宝塚音楽学校に進んだ、という意外な理由も明かされていますが、元々宝塚に興味があったわけではなかったので、最初はダンスや日舞の授業をサボって先生に怒られていたというのも、なんだか親近感が湧きますよね。

しかし、上級生の『ウエストサイド物語』を見て、「燕尾服の似合う男役になりたい」と強く思うようになり、そこから本格的に芸の道に打ち込むことになったそうです。

まとめ

■強さと優しさを持つ麻実れいが歩む人生の道

麻実れいさんは、宝塚のトップスターとして華々しい経歴を持ちながら、その裏では、東京・神田の刀鍔職人の父から受け継いだ「誠実さと美意識」を大切にされてきました。

45歳で実業家の信元久隆さんと結婚されたのは、両親を亡くした後の「人生の伴侶が欲しい」という強い思いからでした。

そして、血のつながりを超えて、フランス人ハーフの2人の息子を迎え入れ、義母ではなく「ターコさん」として家族の絆を築き上げられた姿は、本当に感動的です。

怒るべき時には怒り、ハグで愛情を伝えるという、日本とフランスの文化が融合した温かい家庭の中で、今も孫の成長を見守りながら、女優として輝き続けています。

麻実れいさんの生き方は、「自由と責任があれば、誰とどんな形でも家族は作れる」という言葉に集約されているように感じます。

彼女の舞台での力強い演技と、家庭で見せる包容力のある優しさの両方が、彼女の人生を豊かに彩っているのだと思うと、私も頑張ろうという気持ちになりますね。

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