M-1グランプリ2025でついに決勝の舞台へと駆け上がり、今日本中で「あのオドオドした面白い人は誰?」と大きな注目を集めているのが、お笑いコンビ「たくろう」の赤木裕さんです。
私も同じ30代の独身男性として、彼が醸し出す独特の哀愁や、どこか放っておけない魅力にはついつい深く感情移入してしまいます。
今回の記事では、赤木さんの謎に包まった私生活や驚きの人間関係について、Wikipediaよりも詳しく、そして愛を込めて徹底的に掘り下げていこうと思います。
たくろう赤城|プロフィール、年齢・身長は?
■赤木裕の意外な素顔とプロフィール
赤木裕さんは1991年10月24日生まれの現在34歳で、滋賀県大津市という琵琶湖のほとりで育った情熱的な男性です。
身長は171cmで、一時期は48kgという驚くほどのスリム体型でしたが、最近は健康的な65kgほどまで増量し、標準的な体格になられました。
トレードマークと言えば、なんと言ってもあの太い眉毛と、きっちりとズボンにインされたシャツの裾ですよね。
あの挙動不審なキャラクターは演技なのか素なのか気になるところですが、私生活では猫を2匹も可愛がっているという心優しい一面も持っています。
趣味は野球や空手、そしてゲームの「実況パワフルプロ野球」や漫画の「ONE PIECE」をこよなく愛する、まさに少年の心を持った大人と言えるでしょう。
特に空手に関しては板割りが特技というほどの腕前で、あの震えるような漫才のスタイルからは想像もつかない武闘派なギャップがたまりません。
たくろう赤城|経歴
■下積みを経て掴んだ輝かしい経歴
赤木さんは2014年にNSC大阪校の37期生として入学し、そこから彼のお笑い人生が本格的に動き出しました。
当初は別のコンビを組んで解散を繰り返すなど苦労も多かったようですが、1期先輩のきむらバンドさんに「めちゃくちゃ面白い奴がいる」と見初められたことが大きな転機となります。
そうして2016年3月に結成されたのが、現在の「たくろう」であり、コンビ名は二人が尊敬する木村拓哉さんとイチロー選手の名前を掛け合わせて名付けられました。
結成直後から頭角を現し、2019年には「ytv漫才新人賞」で準優勝を果たすなど、関西のお笑いシーンでは常に期待の若手として名前が挙がっていました。
そして2025年、7年ぶりにM-1準決勝へ返り咲くと、その勢いのままに初の決勝進出という快挙を成し遂げ、同期の中で一番乗りのファイナリストとなったのです。
泥臭く舞台に立ち続けてきた彼らが、ついに全国区のスターへと手をかけた瞬間は、同じ時代を生きるファンとして胸が熱くなるものがありました。
たくろう赤城|結婚・彼女は?
■気になる結婚や彼女の存在は?
30代半ばに差し掛かった赤木さんの恋愛事情ですが、2025年現在、結婚しているという事実はなく、独身を謳歌されているようです。
これだけ個性的で面白い方ならモテそうですが、今のところ彼女がいるという具体的な報道や目撃情報も見当たりません。
ただ、過去には大学時代のサークル仲間と2年ほど真剣にお付き合いをしていたという、なんとも甘酸っぱくも切ないエピソードを明かしています。
理想のタイプは「優しくて、しっかりとした夢や意志を持っている強い女性」だそうで、芸能人で言うと宮崎あおいさんのような雰囲気が好みのようです。
赤木さん自身は結婚願望が強く、将来は自分のペースを理解してくれる穏やかな人と家庭を築きたいと考えているのかもしれません。
もし赤木さんがマッチングアプリに登録していたら……なんて冗談も飛び出すほど、本人は出会いに対して柔軟な考えを持っているようですよ。
たくろう赤城|実家の家族、母親・父親は?
■実家と個性的な家族構成について
赤木さんの家族は父と母の3人家族である可能性が高く、兄弟がいるという確かな情報は今のところ公開されていません。
ご実家は滋賀県大津市内のマンションで、かつては友人たちの間で「遊園地」と呼ばれるほどゲーム機が充実した、賑やかな溜まり場だったそうです。
お父様は教育熱心で少し厳格な性格ですが、実は昔、怪しい床屋に挑戦して左耳を切られて帰ってくるという、なんともシュールな伝説の持ち主でもあります。
一方のお母様は非常に明るい性格で、ある日友達が騒ぎすぎた際に「この家は遊園地ちゃうねんで!」と一喝したことが、なぜか「赤木の母は館長」という噂に発展してしまったのだとか。
また、お母様はクリスマスの朝にサンタさんを装ってゲームのコントローラーをプレゼントしてくれるなど、赤木さんの趣味を優しく支えてくれる存在でした。
こうしたユーモアと愛情に満ちた家庭環境こそが、今の赤木さんの独特な感性を育んだ土壌になっているのでしょう。
たくろう赤城|学歴(出身高校・大学)は?
■出身高校と大学での野球人生
赤木さんの学歴を語る上で欠かせないのが、小学校から大学まで16年間も続けた野球への情熱です。
高校は滋賀県の私立、光泉カトリック高等学校(旧・光泉高等学校)に進学し、当時は本気でプロ野球選手になることを夢見て練習に励んでいました。
しかし、高校3年生の夏を前に、監督から「下手すぎる」という衝撃的な理由で戦力外通告を受け、選手からマネージャーへの転向を余儀なくされます。
この挫折から生まれた「今に見てろよ!」という強烈な反骨精神が、お笑いで一発逆転を狙う現在の彼の原動力になったのです。
その後進学した京都産業大学では、自ら草野球サークルを立ち上げて「4番・キャプテン」として活躍し、見事な「お山の大将」デビューを果たしました。
野球というフィールドで味わった光と影の経験が、今の赤木さんのネタに深い味わいをもたらしているのは間違いありません。
たくろう赤城|出身中学・小学校は?
■出身中学・小学校と林遣都の絆
赤木さんの幼少期は、滋賀県内の野洲小学校から大津市立平野小学校へと転校したことから始まります。
転校初日に「カッコつけたい」という思いから赤いデニムベストを着て登校し、「ダサい」と言われてしまった苦い記憶は、今でも本人のトラウマとして語られています。
そして、彼が通っていた大津市立打出中学校は、驚くほど多くのスターを輩出したことで知られる「伝説の中学校」なんです。
なんと、1学年上の先輩には俳優の林遣都さんが、1学年下には元モーニング娘。の光井愛佳さんが在籍していました。
特に林遣都さんとは共に野球部で汗を流した先輩・後輩の間柄であり、最近ではテレビ番組で「滋賀県人会」として共演し、地元の話題に花を咲かせていました。
中学時代はムードメーカーだったという赤木さんですが、まさか数年後に自分も林遣都さんと並ぶ有名人になるとは、当時の同級生も驚いていることでしょう。
まとめ
赤木裕さんという一人の芸人を紐解いていくと、野球への挫折や家族との温かな笑い、そして驚くべき同郷のスターとの繋がりが見えてきました。
彼の漫才がどこか切なさを孕みつつも爆笑を誘うのは、こうした等身大の人間ドラマが背後にあるからこそだと確信しています。
M-1決勝という大舞台は、彼がかつて野球で諦めざるを得なかった「日本一」を目指せる、まさに人生最大のリベンジマッチです。
皆さんも、この記事を通じて彼の人となりを知り、当日はテレビの前で熱く応援したくなったのではないでしょうか。
赤木さんの挙動不審な動きの裏に隠された、熱い情熱と優しさが日本中を笑顔にする日を楽しみに待ちましょう。
赤木さんの歩んできた道は、まさに「雨降って地固まる」という言葉のように、挫折があったからこそ今の輝きがあるのだと感じさせてくれます。
