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ショウタイムセブン(映画)ネタバレ感想|ひどい?折本の最後は死んだ?

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阿部寛さんが演じる元人気キャスター、折本眞之輔の転落と狂気が描かれた衝撃作『ショウタイムセブン』について、今日は熱く語っていきたいと思います。

映画館で観たあの100分弱の緊迫感、皆さんはどう感じましたか?

リアルタイムで進行するサスペンスの面白さはもちろん、現代のメディアが抱える闇をこれでもかと突きつけてくる展開に、僕は最後まで目が離せませんでした。

ネット上では結末について様々な議論が交わされていますが、情報の海で迷っている方のために、僕なりの考察を交えて徹底的に解説していきますね。

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ショウタイムセブン(映画)ネタバレ|あらすじ

■ショウタイムセブンのあらすじ:午後7時に始まる地獄の生放送

物語の幕開けは、4月1日の午後7時という非常に象徴的な時間から始まります。

かつてはお茶の間の顔だった人気報道番組『ショウタイム7』のメインキャスター、折本眞之輔は、ある不祥事によってラジオ局へと左遷されていました。

そんな彼が担当するラジオ番組『トピック・トピック』に、一人のリスナーから不穏な電話がかかってくるシーンから事件は動き出します。

「ウスバカゲロウ」と名乗る男は、大和電力や政府への不満をぶちまけた後、江東区の城東火力発電所を爆破すると宣言するのです。

折本はこれを単なる悪質ないたずらだと一蹴し、冷淡に電話を切ってしまいますが、その直後に窓の外で凄まじい爆発音が響き渡ります。

目の前で起きた大惨事を、折本は恐怖ではなく「キャスター復帰への千載一遇のチャンス」と捉えるところが、この男の業の深さを物語っていますよね。

彼は警察に通報することなく、かつてのライバルであり宿敵でもあるプロデューサーの東海林に連絡を取り、自分を交渉人として生放送を強行するよう持ちかけるのです。

スタジオという密室で、耳に爆弾を仕掛けられた状態で犯人と対峙する、命懸けの「ショウタイム」がここから幕を開けます。

ショウタイムセブン(映画)|原作は?

■原作は韓国の名作『テロ、ライブ』!日本版独自のアレンジとは

本作を語る上で欠かせないのが、2013年に韓国で大ヒットした映画『テロ、ライブ』が原作であるという点です。

オリジナル版は、ソウルの麻浦大橋を舞台にした骨太な社会派サスペンスで、主演のハ・ジョンウによる鬼気迫る演技が絶賛されました。

日本リメイク版である『ショウタイムセブン』では、物語の核を継承しつつも、日本特有のメディア状況を反映した大胆なアレンジが加えられています。

例えば、原作がラジオブース中心で展開するのに対し、本作では早々にテレビスタジオへと舞台を移し、視覚的な派手さと情報番組特有のギミックを取り入れています。

最も大きな違いは、劇中に登場する「ザ・世論調査」という視聴者参加型のアンケート機能でしょう。

「首相は謝罪すべきか」といった問いが、単なる数字としてではなく、登場人物を追い詰める強力な武器として機能する演出は、SNS時代の今だからこそ響くものがあります。

また、犯人が狙う「敵」も、政府だけでなく巨大企業である電力会社や、それらと癒着するメディアそのものへと拡大されているのが特徴的です。

ショウタイムセブン(映画)|キャスト相関図

■キャストと登場人物の相関図:実力派たちが織りなす極限の人間ドラマ

主演の阿部寛さんは、ボサボサの髪で堕ちた姿から、カメラの前に立った瞬間にキャスターの顔へと豹変する折本を、凄まじい説得力で演じきっています。

折本の周囲を固めるのは、正義感と野心の狭間で揺れる若手キャスターの安積征哉を演じた竜星涼さんと、翻弄される新人アナウンサー結城千晴役の生見愛瑠さんです。

さらに、折本の過去を深く知る盟友の記者・伊東さくら役に井川遥さん、視聴率のためなら魂も売るプロデューサー東海林剛史役に吉田鋼太郎さんと、まさに盤石の布陣ですね。

物語の鍵を握る犯人・繁藤寛二役には、公開初日まで名前が伏せられていた錦戸亮さんがキャスティングされており、その「低音ボイス」の演技が恐怖を倍増させています。

相関図を整理すると、折本を中心に、彼を追い落とそうとするテレビ局内の権力闘争、そして彼を「裏切り者」として断罪しようとする犯人との、重層的な対立構造が見えてきます。

特に、事件の共犯者としてスタジオに潜入していた清掃員の老人・城大作(繁藤大作)を演じた平田満さんの、静かながらも狂気に満ちた存在感には圧倒されました。

ショウタイムセブン(映画)ネタバレ|ストーリー解説

■終盤の展開:明かされる真実と犯人の真の目的

物語が終盤に差し掛かると、焦点は「テロの解決」から「折本自身の罪」へと激しくシフトしていきます。

犯人の繁藤は、単に政治的な謝罪を求めていたわけではなく、最初から折本眞之輔という個人を標的にしていたことが明らかになります。

6年前、発電所の事故で父親を亡くした繁藤は、当時取材に来た折本に真実を暴いてくれると期待していましたが、その期待は無残にも裏切られていました。

折本はスクープを掴んでいながら、政界や企業からの圧力に屈し、その隠蔽の見返りとして『ショウタイム7』のメインキャスターの座を手に入れていたのです。

この事実は、正義の味方を演じ続けてきた折本のメッキが剥がれる瞬間であり、観客にとっても非常にショッキングな展開でした。

スタジオに仕掛けられた爆弾の恐怖が最高潮に達する中、折本は自分がかつて捨てたジャーナリズムの残滓と、消えない名誉欲の間で激しく葛藤することになります。

最終的に折本は、生放送という巨大な「鏡」の前で、自分たちが守ってきた平和がいかに虚飾に満ちたものであるかを独白し始めます。

ショウタイムセブン(映画)ネタバレ|最後の結末

■最後の結末:折本が選んだ「最後のショウ」

結末へと向かう流れは、まさに予測不能で、ある種の狂気すら感じさせるものでした。

犯人の繁藤は警察に身柄を拘束されますが、折本はそこで「この2時間は最高に楽しかった」と、テレビマンとしての歪んだ本音を吐露します。

折本は、もはや引き下がる道はないと悟ったのか、あるいはこの最悪の状況すらもエンターテインメントとして完成させようとしたのか、最後の「ザ・世論調査」を起動します。

問いかけの内容は「折本眞之輔は LIVE(生)か DIE(死)か」という、究極の二択でした。

画面の奥、視聴者には見えないはずのモニターには、赤いバーが「95」という驚異的な数字を指し、世論が彼の死を望んでいることが暗示されます。

折本は不敵な笑みを浮かべ、繁藤が刑事から奪い取って投げ渡した爆弾のリモコンを手に取り、自らスイッチを押して物語は暗転します。

その後、ニュース画面はロンドンでのテロ発生を報じる速報に切り替わり、Perfumeの華やかなパフォーマンス映像が流れる中で幕を閉じるという、極めてアイロニカルなラストでした。

ショウタイムセブン(映画)ネタバレ|折本の最後は死んだ?

■折本の最後は死んだ?ラストシーンの考察と意味

折本が最後にどうなったのか、公式に明確な死亡描写はありませんが、文脈を辿ればその答えは見えてきます。

世論調査の結果が「DIE」に傾いていたこと、そして彼が笑顔で起爆装置を作動させたことを踏まえれば、あのスタジオで命を落としたと考えるのが自然でしょう。

しかし、ラストの演出が非常に意地悪なのは、他局のニュースでは彼の死よりも「ロンドンのテロ」や「アイドルの新曲」が優先して報じられている点です。

これは、どれほどセンセーショナルな死であっても、大衆にとっては一瞬の消費対象でしかなく、次の刺激へとすぐに上書きされてしまうという残酷な真実を示唆しています。

折本は死を以て真実を貫こうとしたのかもしれませんが、結果として彼は世界という大きな「劇場」の、使い捨てのコンテンツに過ぎなかったとも言えますね。

このやりきれない後味こそが、渡辺監督が観客に仕掛けた最大の「罠」であり、本作のテーマそのものなのだと僕は解釈しています。

ショウタイムセブン(映画)|感想・評価

■感想・良い評価:阿部寛の怪演が光るエンタメの真髄

個人的な感想としては、阿部寛さんの「阿部映画」としての完成度が非常に高く、圧倒的なパワーに満ちた作品だと感じました。

特に後半、犯人から「お前イカレてるな」と言われるほどに興奮を露わにする折本の姿は、既存の阿部さんのイメージを覆すほどの狂気に満ちていましたね。

98分という短い上映時間の中に、無駄なく緊迫感が凝縮されており、一時もスクリーンから目を逸らす暇を与えないテンポの良さは見事です。

また、シークレットゲストだった錦戸亮さんの、静かに抑えたトーンから溢れ出す怒りの演技も、作品に深い奥行きを与えていました。

「メディアの功罪」という重いテーマを扱いながらも、エンターテインメントとしての刺激を損なわない、脚本のバランス感覚も素晴らしかったと思います。

ショウタイムセブン(映画)|ひどい?

■感想・悪い評価、ひどい?:気になる改悪ポイント

一方で、一部の視聴者から「ひどい」といった厳しい声が上がっているのも事実で、その理由も理解できなくはありません。

特に、生見愛瑠さん演じる結城アナウンサーや竜星涼さん演じる安積キャスターの役割が、物語の進行上、騒ぐだけで機能していないように見えるという指摘があります。

原作の韓国版に比べると、警察の動きや爆弾の設置プロセスなどのリアリティが欠けており、設定がザルに感じられる部分も確かに目につきます。

「犯人が人を殺す気はなかった」という設定変更についても、現実のテロとしての脅威が薄まったと感じ、物語の重みを削いでしまったという意見も多いようです。

ラストのPerfumeの演出に関しても、あまりの唐突さに「置いてきぼりにされた」と感じる人が続出したのは、少し攻めすぎた演出だったのかもしれませんね。

まとめ

『ショウタイムセブン』は、単なるリメイクの枠を超えて、現代の日本社会が抱える「無責任な消費」の構造を浮き彫りにした野心作でした。

阿部寛さんの圧倒的な存在感が、論理的な破綻すらもねじ伏せるようなエネルギーを作品に与えており、賛否両論あるラストも含めて語りがいのある映画です。

安全な場所から画面を見ている私たちもまた、折本を「DIE」へと追いやった共犯者の一人なのかもしれません。

次にテレビやスマホのニュースを見る時、この映画の「赤いバー」が頭をよぎるようであれば、それは製作陣の勝利と言えるでしょう。

皆さんは、折本の最後の選択をどう受け止めましたか?

この映画を観るという体験が、ただの消費に終わらないことを願って、筆を置きたいと思います。

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