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塩瀬総本家(築地の室町創業の老舗)が饅頭の発祥【プラチナファミリー】

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テレビ番組「プラチナファミリー」などで取り上げられ、今まさに大きな注目を集めている老舗和菓子店「塩瀬総本家」。

東京の築地・明石町に本店を構え、自社ビル屋上に風情ある日本庭園を備えるこの名門は、実は私たちが日常で親しんでいる「あのお菓子」の原点にあたるお店なのです。

気になって詳しく調べてみると、室町時代から700年近くも続く壮大な歴史や、歴史上の偉人たちとの想像を超える深い繋がりが次々と浮かび上がってきました。

普段何気なく口にしている和菓子の裏側に、これほどまでにドラマチックで情熱的な物語が秘められていたとは本当に驚きを隠せません。

今回は、和菓子界の真のパイオニアである塩瀬総本家の凄みと魅力を、歴史のエピソードや個人的な実感も交えながらじっくりとお伝えしていきます。

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塩瀬総本家(築地の室町創業の老舗)が饅頭の発祥【プラチナファミリー】

東京都中央区明石町という築地エリアの落ち着いた街並みの中に、塩瀬総本家の本店ビルが静かに佇んでいます。

2026年現在において創業から実に677年を数え、36代にわたって一子相伝の暖簾と技術を守り続けている超老舗です。

今では有名百貨店のデパ地下やオンラインショップでも手軽に購入できますが、明石町の本店はまさに日本の和菓子文化の聖地とも呼ぶべき存在感を持っています。

看板商品である「志ほせ饅頭」は、大和芋と米粉を合わせたふんわりとした薄皮で、上品なこし餡を包み込んだ一口サイズの薯蕷饅頭です。

職人さんが毎朝手作業で大和芋の皮をむいてすりおろし、その日の気温や湿度を見極めながら生地のこね加減を調整するという徹底した職人技が貫かれています。

福島県の薄皮饅頭や岡山県的大手まんぢゅうとともに「日本三大饅頭」の一つに数えられており、その完成度の高さは今なお群を抜いています。

本店で毎朝並ぶ名物の豆大福や季節ごとの上生菓子も大変な人気で、午前中のうちに完売してしまうことも珍しくありません。

私自身も各地の甘味を食べ歩くのが大好きなのですが、塩瀬のお饅頭を初めて食べた時の、大和芋の上品な香りと餡のまろやかな甘さの調和には深く感動させられました。

塩瀬総本家(築地の室町創業の老舗)・餡入り饅頭の誕生

塩瀬総本家の歴史は、南北朝時代の1349年、貞和5年に中国から一人の人物が来日したことから始まりました。

その人物こそが、塩瀬の開祖として知られる林浄因という人物です。

当時の中国で親しまれていた「饅頭(マントウ)」は、豚肉や羊肉などの肉類を生地で包んで蒸し上げた塩味の主食でした。

しかし、当時の日本の禅寺では仏教の戒律によって肉食が厳しく禁じられており、僧侶たちは肉入りのマントウを食べることができませんでした。

そこで林浄因は知恵を絞り、肉の代わりに小豆を煮詰め、甘葛煎という植物由来の甘味料と塩を加えた独自の餡を作り出しました。

この餡をフワフワの生地に詰めて蒸し上げた「奈良饅頭」こそが、日本で初めて誕生した甘い小豆餡入りの饅頭だったのです。

甘い食べ物といえば柿や栗の干物くらいしかなかった当時の日本において、この甘い餡入り饅頭の登場は人々の価値観を覆すような革新的な出来事でした。

寺院や貴族たちの間でまたたく間に大評判となり、後村上天皇へ献上された際には大変な絶賛を受け、宮女を妻として賜るほどの寵愛を受けたのです。

二人のご婚礼の際に感謝を込めて周囲に配られたお菓子が、現在でもお祝い事の定番となっている「紅白饅頭」の起源とされています。

奈良の漢國神社境内には日本で唯一のお饅頭の神社である「林神社」が祀られており、今日でも全国の和菓子職人が感謝と祈りを捧げに訪れています。

塩瀬総本家(築地の室町創業の老舗)の由来

室町時代に誕生したこのお饅頭は、その後の時代の波とともに日本各地を巡る壮大な旅を繰り広げることになります。

開祖が中国へ帰国した後、残された一族は奈良から京都へと進出し、烏丸三条あたりで営業したお店は周辺が「饅頭屋町」と呼ばれるほどの大繁盛を記録しました。

しかし1467年、京都の街を焼き尽くした応仁の乱が勃発し、激しい戦火から逃れるために一族は三河国設楽郡の塩瀬村へと避難します。

この長く身を寄せた避難先の地名から取って、屋号や姓を「塩瀬」と名乗るようになったのが現在の店名の由来です。

戦乱が収まった後に京都へ戻った塩瀬は、8代将軍の足利義政から「日本第一番本饅頭所」という直筆の看板を授かり、皇室からは五七の桐紋を賜るという最高峰の栄誉に輝きました。

戦国時代を迎えると、織田信長や明智光秀、豊臣秀吉、そして徳川家康といった時代の覇者たちからも深く愛されるようになります。

とりわけ徳川家康は長篠の戦いの際、塩瀬が献上した「本饅頭」を兜の上に盛って戦勝祈願を行い、見事に勝利を収めたことから「兜饅頭」と呼んで生涯大事に味わいました。

また、7代目の林宗二は和菓子作りだけでなく学問にも非常に秀でており、日本最初期の国語辞典「饅頭屋本節用集」を出版するなど文化人としても歴史に名を刻んでいます。

徳川家康が江戸幕府を開いた際には家康に従って江戸へ進出し、将軍家御用達の菓子司として江戸っ子たちの間で「下りもの」として大ブームを巻き起こしました。

明治維新後は宮内省御用達を務め、太平洋戦争の戦災を経て現在の築地・明石町に拠点を移し、令和の現代に至るまでその誇り高き歴史を繋いでいます。

まとめ

普段私たちが美味しいと笑顔で食べているお饅頭の陰には、700年近くに及ぶ途方もない歴史と職人たちの情熱が息づいていました。

中国の肉食文化を日本の禅の心に合わせて見事にアレンジした林浄因の発想は、日本の和菓子文化そのものを創り出した歴史的イノベーションと言えます。

足利義政や徳川家康といった歴史の主役たちが舌鼓を打った味を、今でも私たちがそのまま体験できるということにはロマンを感じずにはいられません。

築地・明石町にある本店を訪れてみれば、都会の喧騒を忘れさせるような歴史の重みと、丁寧に作られた和菓子のやさしい味わいに出会うことができます。

テレビの紹介などで興味を持たれた読者のみなさんも、ぜひ一度その壮大な物語に思いを馳せながら、元祖の餡入り饅頭を味わってみてください。

一口含んだ瞬間に広がる上品な甘さと香りは、きっとみなさんの心と体を優しく満たしてくれるはずです。

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