佐野史郎さんといえば、その唯一無二の存在感と「怪演」と称されるほどの圧倒的な演技力で、長年日本のエンタメ界を支え続けている名優ですよね。
俳優としてはもちろんのこと、音楽家や写真家、さらには文筆家としての顔も持つ彼の多才ぶりには、同性から見ても憧れを抱かずにはいられません。
今回は、そんな佐野史郎さんの知られざる素顔やご家族について、wikipediaに負けないくらい徹底的に、そして愛を込めて深掘りしていきたいと思います。
佐野史郎|プロフィール、年齢・身長は?
佐野史郎さんは1955年3月4日生まれ、血液型はB型で、身長は175センチから176センチと公表されています。
山梨県山梨市で産声を上げましたが、ルーツは島根県松江市にあり、彼自身も松江を「もう一つの原風景」として大切にされています。
現在は芸能事務所「mewgull(ミューガル)」に所属し、俳優業の傍らで「小泉八雲朗読のしらべ」などのライフワークにも熱心に取り組まれています。
佐野史郎|経歴
彼のキャリアの始まりは1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」の創設メンバーとして活動を開始したことでした。
1980年には唐十郎さん主宰の「状況劇場」へ移籍し、過酷な稽古を通じて役者としての基礎を徹底的に叩き込まれたそうです。
1986年に映画『夢みるように眠りたい』で主演デビューを飾ると、その「昭和な顔」が大きな話題を呼び、銀幕の世界でも頭角を現しました。
そして1992年、社会現象となったドラマ『ずっとあなたが好きだった』で演じた「冬彦さん」役により、日本中の誰もが知る国民的俳優となったのです。
近年では多発性骨髄腫という血液のがんを克服し、病を乗り越えたことでさらに深みの増した演技を見せてくれる姿には、本当に胸が熱くなりますね。
佐野史郎|結婚した嫁と馴れ初め
佐野史郎さんが1986年に結婚した最愛の奥様は、女優の石川真希さんです。
お二人の運命的な出会いは1980年、佐野さんが「状況劇場」に入団した時で、実は石川さんの方が1年先に所属していた「劇団の先輩」でした。
入団当時は先輩である石川さんに対して丁寧な敬語を使っていたそうで、結婚して長い年月が経った今でも「さん」付けで呼び合い、頭が上がらないというエピソードがなんとも可愛らしいですよね。
舞台だけでなく、夫婦で組んだバンド「タイムスリップ」で共に音楽活動をしたり、CMで共演したりと、まさに公私ともに歩みを共にする理想のパートナーといえるでしょう。
佐野史郎|子供は何人?息子?
ネット上では「息子さんがいるのでは?」という噂が流れることもありますが、佐野さんのお子さんは娘さん一人のみです。
佐野家は、佐野さん、妻の真希さん、そして長女の3人家族という構成になっています。
息子さんがいるという誤解は、おそらくドラマなどで父親役を演じた際の情報が、実生活と混同されてしまったのかもしれません。
佐野史郎|娘は佐野八雲!
1992年に誕生した一人娘の名前は、佐野八雲(やぐも)さんとおっしゃいます。
この素敵なお名前は、佐野さんが大ファンである作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)にちなんで、奥様が閃いて名付けられたそうです。
八雲さんは多摩美術大学の版画科を卒業された後、木版画家として個展を開くなど、アーティストとして素晴らしい才能を発揮されています。
2016年の舞台『骨風』では、ご両親が俳優として出演し、娘の八雲さんが舞台美術を担当するという、芸術一家ならではの感動的な「家族共演」も実現されました。
冬彦さんのあの独特な唸り声の演技は、実は当時生まれたばかりだった八雲さんの泣き声を参考にしたという驚きのエピソードもあります。
佐野史郎|孫は?
佐野史郎さんにお孫さんがいるという確かな事実は、現在のところ報告されていません。
2018年のドラマ『限界団地』に出演していた際に、SNSで「孫がカワイイ」と発信したことがありましたが、これはあくまで作中での設定についての投稿だったようです。
娘の八雲さんも現在は自身の芸術活動に専念されているようで、結婚や出産に関する公的な報道は今のところ見当たりません。
いつか、芸術の血を継いだ新しい世代が誕生する日が来るのを、ファンの一人として楽しみに待ちたいと思います。
佐野史郎|実家
佐野さんの実家は、島根県松江市で幕末の1864年から150年以上も続く「佐野内科医院」という非常に名門の医家です。
実家の建物は明治11年に現在の地に移された木造家屋で、母の禮子さんが長年大切に守り続けてこられました。
病院には住み込みの看護師さんが何人もいて、お父様は夜中でも往診に駆けつけるという、まさに地域医療を支え続ける大変な仕事ぶりを佐野さんは間近で見て育ったそうです。
現在は「家じまい」をされていますが、そこには母の生き方や一家族の歴史がぎっしりと詰まっていたことを、佐野さんはエッセーなどで感慨深く語られています。
佐野史郎|母親・父親は?
お父様の佐野義和さんは四代目の院長を務められた医師でしたが、実はヴァイオリンやカメラ、機械いじりを愛する超がつくほどの「趣味人」でもありました。
息子に跡を継がせたいというプレッシャーはあったものの、佐野さんが俳優として成功した際には「どんな世界でも極めるのは大切だ」と心から喜んでくれたそうです。
お母様の禮子さんは、出雲大社の祭祀を司る名家・北島家の出身で、明るく患者さんからも非常に愛される方でした。
禮子さんは文学や演劇をこよなく愛しており、佐野さんの持つセンチメンタルな感受性や芸術的な才能は、まさにお母様から受け継いだものなのですね。
佐野史郎|兄弟、弟が医者?
佐野史郎さんは、父・母・弟・妹の5人家族の長男として生まれました。
長男である佐野さんにかかる家業継承のプレッシャーは相当なものでしたが、高校時代の成績や適性から、最終的には親族会議を経て医師の道は断念することになりました。
その分、弟の和也さんは非常に勉強ができたそうで、現在は和也さんが五代目として実家の医院を立派に継承されています。
弟さんに対しては「医者になることを押し付けてしまった」という申し訳なさもあり、今でも頭が上がらないと佐野さんは笑いながら語っています。
佐野史郎|学歴(出身高校・大学)は?
佐野さんの出身高校は、地元の進学校として知られる島根県立松江南高等学校です。
高校時代は軽音楽部でバンドを組み、文化祭などでギターを弾きまくる音楽漬けの日々を送っていた一方で、学業、特に理系科目はあまり得意ではなかったようです。
大学については、名門の武蔵野美術大学を目指して受験に挑んだものの、残念ながら合格を勝ち取ることはできませんでした。
その後、浪人して再受験する道は選ばず、東京の「美学校」内にある中村宏油彩画工房で絵画を学び始め、そこから演劇の世界へと足を踏み入れることになったのです。
佐野史郎|出身中学・小学校は?
小学校は、お父様の仕事の関係で最初は東京都の練馬区立開進第三小学校に入学しましたが、1年生の3学期に松江市立乃木小学校へ転校されています。
乃木小学校の後輩にはテニスの錦織圭選手がいるそうで、まさに名門の学び舎といえますね。
中学は島根県内でもトップクラスの難関である国立の島根大学教育学部附属中学校(現在の義務教育学校後期課程)を卒業されました。
バイオリンを習ったり、怪奇小説や漫画に熱中したりと、この多感な時期に培われた芸術的なセンスが、今の「怪優・佐野史郎」の土台を作ったのは間違いありません。
まとめ
佐野史郎さんの人生を振り返ってみると、150年以上続く格式高い医家の歴史と、そこから飛び出して表現の世界を切り拓いた勇気が見事に融合していることがわかります。
家族それぞれの道を尊重し合い、時には芸術を通じて共演する姿は、形にとらわれない新しい家族の絆を感じさせてくれますね。
病を乗り越えてますますパワフルに活躍される佐野さんの姿は、私たち30代の男性にとっても、情熱を持って生きることの大切さを教えてくれる最高のロールモデルです。
これからも彼がどんな新しい「役」を演じ、どんな「物語」を見せてくれるのか、一ファンとして目が離せません。
