今、ネットで「中村獅童」と検索しているあなた、きっと彼の多才な活躍ぶりや、最近の話題になっているプライベートな部分に注目していることでしょう。
歌舞伎界の伝統を守りながら、映画やドラマでは強烈な個性を放つ中村獅童さん。
その生き様はまさに「型破り」という言葉がぴったりで、僕も彼の活躍から目が離せません!
今日は、彼の知られざるルーツや、家族への熱い想いまで、じっくりと深掘りしていきましょう。
中村獅童wikiプロフィール|年齢・身長は?
■プロフ:基本情報と輝かしい功績
歌舞伎俳優としてだけでなく、俳優、声優、歌手と幅広く活動されている二代目中村獅童さん。
本名は小川幹弘(おがわ みきひろ)さんで、1972年9月14日に東京都で生まれました。
公称身長は177センチメートルと舞台映えする長身で、O型です。
彼の屋号は歌舞伎の名門「萬屋(よろずや)」、定紋は「桐蝶」ですね。
獅童さんの功績として、まず触れておきたいのが、2002年の映画『ピンポン』での鮮烈なブレイクです。
当時30歳だった彼は、この作品で日本アカデミー賞をはじめとする新人賞を5冠独占という快挙を成し遂げました。
これをきっかけに、映画『男たちの大和/YAMATO』やハリウッド映画『硫黄島からの手紙』、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』など、映像作品にも引っ張りだことなり、歌舞伎の枠を超えた活躍を見せています。
いや、本当に「遅咲きの天才」って感じで、その後の活躍はまさに日本エンタメ界の宝だと僕は勝手に思っています。
中村獅童|経歴
中村獅童|子供(息子)の小学校は?
中村獅童|両親・家系図
中村獅童|学歴(出身高校・大学)は?
■経歴:血の壁を破り続けた反骨の魂
中村獅童さんの歌舞伎人生は、まさに「自分で自分の道を切り開く」という言葉に尽きるでしょう。
歌舞伎界は血縁や梨園制度が重んじられる世界ですが、彼には大きな後ろ盾がありませんでした。
父である初代中村獅童さんは、彼が生まれるはるか前に歌舞伎役者を廃業していたため、歌舞伎の世界においては師匠となる父がいなかったのです。
そんな状況で、8歳の時、1981年6月に歌舞伎座で二代目中村獅童を名乗り初舞台を踏んだのですが、子役時代が終わると徐々に役がつかなくなり、一時期は「その他大勢の役者で終わる」という危機感に直面しました。
この逆境があったからこそ、彼は「他の人と同じことをやっていても絶対に芽が出ない」と悟り、外の世界、つまり映画や現代劇にチャンスを求めたわけです。
そして映画『ピンポン』で大ブレイクを果たし、歌舞伎の世界に主役として「逆輸入」される形で見事に返り咲きます。
その後は古典を深く学んだ上で、バーチャルアイドルの初音ミクと共演する「超歌舞伎」や、絵本を歌舞伎化した『あらしのよるに』など、次々と新しい挑戦を続けています。
彼の掲げる「伝統を守りつつ革新を追求する」という姿勢は、まさに「型があるからこそ型破りができる」という信念に基づいています。
また、2017年には人間ドックで初期の肺腺癌が見つかり、手術を受けるという人生を揺るがす出来事もありましたが、見事に復帰しています。
彼のこの反骨心と挑戦意欲こそが、今の歌舞伎界に新風を巻き起こしている最大の魅力だと感じますね。
中村獅童|結婚・再婚は?
■結婚歴:二度の愛と家族の絆
中村獅童さんはこれまでに二度、結婚を経験されています。
最初の結婚は2005年6月、映画『いま、会いにゆきます』で共演した女優の故・竹内結子さんとでした。
同年11月には長男が誕生しましたが、2006年7月の飲酒運転騒動で同乗者が元交際相手とされる女優だったことが発覚するなど、波乱の末に2008年2月に離婚が成立しました。
この時、長男の親権は竹内さんが持ち、獅童さんは養育費の支払いと定期的な面会権を持つことになりました。
そして、離婚から7年後の2015年1月、元読者モデルの足立沙織さん(現・小川沙織さん)と再婚されました。
沙織さんとの出会いは、獅童さんが通っていたアクセサリーショップの店員としてだったそうです。
初デートの誘いの後、待てずに酔っぱらってしまった獅童さんが、まだ交際前の沙織さんにいきなり「俺と結婚しよう」とプロポーズしたというエピソードは、彼の情熱的で大胆な人柄を物語っていて、聞いていて思わずニヤけてしまいますね。
この再婚は、亡き恩人である十八代目中村勘三郎さんや実母の喪明けを待ってのことでした。
中村獅童|子供(息子)の小学校は?
中村獅童さんには、前妻との間に1人、現在の妻との間に2人の、合計3人の息子さんがいます。
まず、前妻・竹内結子さんとの間に生まれた長男は、現在大学生になっていることが明かされています。
親権は竹内さんが持ちましたが、獅童さんは再婚後も「血のつながった子供ですから忘れる日は1日もない」と、常に心の中で気にかけ、いずれ現在の息子たちに「君たちのお兄さんにあたる人がいるんだよ」と包み隠さず説明する覚悟を持っていると語っています。
竹内さんが再婚された際には、長男が「3人一緒になればこれから楽しくなるね」と背中を押してくれたという心温まるエピソードもありました。
そして、現在の妻・沙織さんとの間には、2人の男の子がいます。
次男(小川陽喜/はるきくん)は2017年12月18日生まれ。この誕生日は、奇しくも亡くなった母・陽子さんの命日と同じでした。
陽喜くんの名前は、両親の名前から一文字ずつ取って名付けられたとのことです。
陽喜くんは2022年1月に初お目見え、そして2024年4月に小学校に入学しました。
通っているのは、獅童さん自身の母校でもある明星学園小学校です。
この学校を選んだ理由がまた素敵で、獅童さんは受験の際、親がマニュアル通りに動く「お受験」の風潮に疑問を感じ、「自分で何でも決めさせる学校」で、陽喜くん自身が行きたいと希望した明星学園を選んだそうです。
この学校は、通信簿がなく、個性を伸ばす自由な校風が特徴で、まさに獅童さんの個性を育んだ場所でもあります。
三男(小川夏幹/なつきくん)は2020年6月生まれ。名前には獅童さんの本名「幹弘」から「幹」の文字が入っています。
夏幹くんは2023年12月の歌舞伎座「超歌舞伎」で初お目見えを果たしました。
夏幹くんについては、生まれつき両手の小指が欠損していることを獅童さん自身が公表しており、「一つの個性」として受け入れ、賛否両論があっても自分で道を信じて生きていく姿勢を見せたいと涙ながらに語っています。
現在の妻・沙織さんは、息子たちが歌舞伎を辞めたいと言ったら「辞めてもいい」と、子どもの意志を尊重し、全力でサポートするという教育方針を貫いています。
この家庭の温かさこそが、彼の多忙な日々を支える最大のエネルギーになっているのは間違いないでしょうね。
中村獅童|両親、父親・母親は?
■歌舞伎界の名門に連なる血筋と家族構成:母の愛と亡き父への想い
中村獅童さんは、両親と本人の3人家族で、実は一人っ子です。
父は初代中村獅童(本名:小川三喜雄)さん。歌舞伎役者を若くして廃業した後、東映の映画プロデューサー(奥役)として活躍し、後に輸入会社を経営していました。
父は2008年10月に胃がんで亡くなっています。獅童さんが飲酒運転問題で謹慎していた際、「引き受けた仕事は最後までやり通せ」と諭し、亡くなる直前には「あいつの悪い部分はすべて俺が持って死んでいく」と母に話したというエピソードは、厳しくも深い父の愛情を感じさせます。
そして母の小川陽子さんは、獅童さんにとって欠かせない存在でした。
歌舞伎界に後ろ盾がない息子を支えるため、マネージメントから、通常はお弟子さんや付き人が行う楽屋の支度、鏡台、着物、絨毯の手配まで、すべて一人でこなしていました。
思春期の獅童さんは、着物を着てどこへ行っても頭を下げる母の姿を「恥ずかしい」と思っていたそうですが、亡くなった今では「本当にありがとう」と心から感謝しているそうです。
陽子さんは2013年12月に心不全で急逝されましたが、獅童さんの歌舞伎化のアイデア(『あらしのよるに』)を松竹に提出するなど、息子への深い愛情と情熱を持ち続けた女性でした。
中村獅童|家系図
■息子:3人の子供たちの現在と教育方針
■家系図:萬屋一門と著名な親族たち
中村獅童さんの家系は、歌舞伎界の名門「萬屋(よろずや)」に連なります。
萬屋は、元々「播磨屋(はりまや)」から1971年に初代中村錦之助さんらが独立して成立した、比較的新しい名門です。
祖父は、昭和の名女方と謳われた三代目 中村時蔵です。ちなみに「獅童」という芸名自体が、この祖父の俳号に由来しています。
父の兄弟、つまり獅童さんの叔父にあたる方々が、またすごいメンバーなんです。
萬屋錦之介さんと中村嘉葎雄さんという、映画俳優としても名高い方々が叔父にあたります。
また、従兄弟には五代目中村歌六さん、三代目中村又五郎さん、初代中村萬壽さん、二代目中村錦之助さんなどがおり、萬屋一門を支える方々が名を連ねています。
この家系には、がんを患った方も多く、父・初代中村獅童さんが胃がん、叔父の萬屋錦之介さんが咽頭がんを患っていたことが知られています。
獅童さんが後ろ盾のない環境で苦労された背景には、父が若くして歌舞伎を廃業したという事情がありますが、その中で培われた反骨精神が、彼を唯一無二の存在へと押し上げたのだと僕は思います。
中村獅童|学歴(出身高校・大学)は?
■学歴:型破りな青春と学びの軌跡、歌舞伎復帰を決めた大学での気づき
中村獅童さんの学歴を辿ると、一貫して明星学園で過ごした青春時代が見えてきます。
小学校は明星学園小学校に入学。実は当初、他の私立校を受験する予定でしたが、体力測定で逆走して不合格となり、この明星学園に進学したそうです。
この学校は、個性や自由な校風を重んじる教育方針で、通信簿がないことでも知られていました。母がこの個性を伸ばす環境を気に入って受験させたと言います。
中学校・高等学校も、そのまま明星学園中学校・高等学校へと内部進学しています。
学生時代は歌舞伎の仕事が激減し、ロックに傾倒してバンド活動に熱中していました。高校時代は問題児で、遅刻や不真面目さでしょっちゅう学校に呼び出されていたそうですが、母の陽子さんが笑って金髪姿を記念撮影したり、ライブ会場で踊り狂ったりしたため、「不良になりきれなかった」とご本人が話しているのが最高に面白いエピソードですよね。
高校卒業後、祖母の勧めもあり日本大学芸術学部演劇学科に進学しますが、浪人生活を経ての入学でした。
大学時代は歌舞伎から離れ、ラーメン屋でアルバイトをしたりバンド活動に明け暮れたりしていましたが、大学の授業の一環で客席から歌舞伎を観たことが、彼の人生の転機となります。
客観的に観た歌舞伎の世界が新鮮に映り、「歌舞伎スゲー」と感嘆する学生たちの声を聞いて、歌舞伎のカッコよさを伝えたいという気持ちが再燃。
この強い思いから大学を中退し、歌舞伎の道に戻る決意をしたのです。
このエピソードは、どんなに遠回りしても、自分が本当にやりたいことには必ず引き戻されるという、情熱の大切さを教えてくれますね。
まとめ
■終わりに:伝統と革新を繋ぐ役者魂
中村獅童さんの人生を辿ると、歌舞伎という伝統の世界に生まれながらも、恵まれない環境を乗り越え、自らの才能と努力で道を切り開いてきた「異端児」としての熱い魂を感じます。
映画『ピンポン』でのブレイクが彼にとっての大きなターニングポイントでしたが、そこで得た知名度を武器に、「歌舞伎を見たことのない若者を振り向かせるのが使命」と、常に歌舞伎の敷居を下げる挑戦を続けているんですよね。
特にバーチャルアイドルと共演する「超歌舞伎」は、古典の型をしっかりと踏まえつつ、最新技術で現代のオタク文化に突き刺さる作品を創るという、まさに彼にしかできない偉業だと思います。
また、前妻との長男や、生まれつき小指に欠損を持つ三男への率直で深い愛情を公に語る姿は、強面のイメージとは裏腹な、繊細で誠実な一人の父親としての横顔を見せてくれています。
彼の今後の活動は、歌舞伎界の未来を担うだけでなく、「自分らしく生きる」ことの大切さを体現する、私たちへのメッセージにもなっている気がします。
これからも、中村獅童さんが伝統と革新を繋ぐ役者として、どんな「型破り」な世界を見せてくれるのか、ますます目が離せませんね!
