華やかな歌舞伎の世界で、ひと際しなやかで美しい輝きを放つ二代目・中村七之助さん。
彼の舞台を一度でも観れば、その指先の先まで神経が行き届いた所作や、憂いを含んだ瞳に心を奪われない人はいないのではないでしょうか。
今回は、今や中村屋を支える大黒柱の一人となった七之助さんについて、基本的なプロフィールから驚きの交友関係、そして気になるプライベートまで、Wikipediaに負けないくらい、いえ、それ以上に詳しく徹底的に解説していこうと思います。
一人の歌舞伎ファンとして、彼の歩んできた道のりや秘められた情熱を、皆さんと共有できることが嬉しくてたまりません。
中村七之助|プロフィール、年齢・身長は?
二代目・中村七之助さんは、1983年5月18日に東京都で生まれ、現在は42歳を迎えられました。
本名は波野隆行(なみの たかゆき)さんとおっしゃり、身長は174cm、体重は55kgと、そのすらりとしたスタイルはまさに女方のためのものと言っても過言ではありません。
血液型はO型で、屋号は伝統ある「中村屋」、定紋には「角切銀杏」を掲げていらっしゃいます。
趣味は意外にも現代的で、ゲームやカラオケ、そしてスニーカーの収集に情熱を注いでいるというから、なんだか親近感が湧いてしまいますよね。
特にカラオケに関しては、映画『真夜中の弥次さん喜多さん』でその美声を披露するほどの腕前で、歌うことが本当に大好きだそうです。
また、熱烈な阪神タイガースファンとしても知られており、ラジオ番組で実況ゲストを務めるなど、野球への愛も相当なものです。
穏やかで冷静な性格を自ら分析されていますが、舞台を降りればスッと自分に戻れるという切り替えの早さも、彼が長年第一線で走り続けられる秘訣なのかもしれません。
中村七之助|経歴
七之助さんの初舞台は1987年1月、歌舞伎座での『門出二人桃太郎』で、わずか3歳の時に二代目・中村七之助を名乗られました。
それ以前の1986年9月には『檻』の祭りの子役で初お目見得を果たしており、まさに人生のほとんどを板の上で過ごしてきたことになります。
若い頃は、実力派の先輩たちに囲まれ、必死に芸を磨く毎日だったそうで、いつの間にか歌舞伎が大好きになっていたと語る姿には、芸に対する真摯な想いが透けて見えます。
女方としての評価は非常に高く、坂東玉三郎さんに憧れ目標に掲げながら、『本朝廿四孝』の八重垣姫や『伽羅先代萩』の政岡など、数々の大役に挑戦し続けてきました。
歌舞伎のみならず映像の世界でもその才能は遺憾なく発揮されており、2003年のハリウッド映画『ラスト サムライ』での明治天皇役は、世界中に鮮烈な印象を与えました。
また、2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では石田三成役を演じ、親友である松本潤さんとの共演が大きな話題となったのも記憶に新しいところです。
これまでに読売演劇大賞の杉村春子賞や松尾芸能賞新人賞など、輝かしい賞を数多く受賞されており、2009年には重要無形文化財の総合認定も受けています。
2005年には酒に酔って警察官に暴行を加え逮捕されるという、父・勘三郎さんの襲名前夜に起きた手痛い事件もありましたが、謹慎を経て復帰し、今では中村屋を牽引する立派な役者へと成長されました。
中村七之助|実家・家系図
中村屋という家系は、まさに歌舞伎の歴史そのものを体現していると言っても過言ではありません。
実家は東京都文京区にあり、三階建ての自宅一階には立派な稽古場が設けられ、幼い頃からそこが彼らの生活のすべてでした。
家系図を紐解くと、父方の祖父は十七代目・中村勘三郎さん、母方の祖父は七代目・中村芝翫さんと、両家ともに人間国宝という凄まじい血筋です。
さらに遡れば、父方の曾祖父には「劇聖」と呼ばれた六代目・尾上菊五郎さんが名を連ね、まさにサラブレッドの中のサラブレッドと言えるでしょう。
親戚関係も華やかで、尾上菊之助さんや尾上右近さん、女優の寺島しのぶさんとは「はとこ」の間柄にあたります。
これほど多くの名跡が血縁で結ばれている一族は他になく、まさに「中村家=歌舞伎の歴史」と言われる所以がここにあります。
中村七之助|父親
七之助さんの父は、現代歌舞伎の改革者として絶大な人気を誇った十八代目・中村勘三郎さんです。
勘三郎さんは「平成中村座」を創設し、古典の枠を超えてニューヨーク公演を成功させるなど、歌舞伎の新しい形を模索し続けた情熱の人でした。
七之助さんたち兄弟に対しては、芝居のこと以外では一切口出しをしないという放任主義を貫きながらも、芸については非常に厳しく叩き込んだそうです。
父から常に言われていた「兄弟二人で力を合わせて伝統を守ってほしい」という言葉は、今でも七之助さんの心の支えになっています。
2012年に57歳という若さで惜しまれつつこの世を去りましたが、その魂は今も息子たちの舞台の中に生き続けているのを感じずにはいられません。
中村七之助|母親
七之助さんの母親は、波野好江(よしえ)さんとおっしゃり、成駒屋の重鎮であった七代目・中村芝翫さんの次女として生まれました。
名門の娘として生まれ、中村屋の女将として、破天荒だった勘三郎さんと二人の息子、そして一門を陰で支え続けてきた芯の強い女性です。
勘三郎さんが亡くなった際には、夫への変わらぬ愛を誓う意味を持つ「白い喪服」を纏って見送った姿が、多くの人の涙を誘いました。
夫の最期の日々を綴った著書『中村勘三郎 最期の131日』を出版するなど、家族の絆を誰よりも大切にされています。
現在は、文京区の自宅で息子夫婦や孫たちと共に暮らし、中村屋の精神を次世代へ伝える大きな役割を担っていらっしゃいます。
中村七之助|兄弟
七之助さんには、2歳年上の兄、六代目・中村勘九郎さんがいらっしゃいます。
幼い頃から共にドキュメンタリー番組で見守られてきた二人は、ライバルというよりも、お互いを深く信頼し合う最高のパートナーです。
兄の勘九郎さんは「役に入り込むタイプ」であるのに対し、弟の七之助さんは「冷静に役を俯瞰するタイプ」と、芸風も性格も対照的だからこそ、絶妙なバランスが保たれています。
二十代になっても一緒にお風呂に入るほど仲が良く、兄が弟にいたずらをするような微笑ましいエピソードも絶えません。
兄の息子である勘太郎くんと長三郎くんを、七之助さんは「おじじ」として心から可愛がっており、その溺愛ぶりはファンの間でも有名ですよね。
中村七之助|学歴(出身高校・大学)は?
七之助さんは、芸能人御用達として知られる堀越高等学校のトレイトコースを卒業されています。
元々は暁星高等学校に通っていましたが、仕事が多忙を極めたことで不登校気味になり、編入を決意したという苦労も経験されました。
この高校時代が彼の人生において非常に重要で、同級生には嵐の松本潤さんや松田龍平さんといった、今でも親交が深い豪華なメンバーが揃っていました。
実は高校を辞めようと考えたこともあったそうですが、親友の松本潤さんが説得してくれたおかげで卒業できたという、胸が熱くなるような友情秘話も残っています。
学校では女子から「なみなみ」の愛称で呼ばれ、松本さんや松田さんを抑えて学校一モテていたという伝説の持ち主でもあります。
高校卒業後は、大学には進学せず、歌舞伎役者としての道一本に専念することを選ばれました。
中村七之助|出身中学・小学校は?
小学校は、千代田区にあるカトリック系の男子校、暁星小学校を卒業されています。
幼少期から「中村屋の御曹司」として注目され、ドキュメンタリーのカメラが回る中で、厳しい稽古と学校生活を両立させていました。
中学校は、文京区立第五中学校(現在の文京区立音羽中学校)に進学されました。
小学校での私立生活から一転して公立中学を選んだのは意外かもしれませんが、そこで陸上部に所属し、短距離走に打ち込んでいたというアクティブな一面もあったようです。
反抗期らしい反抗期はなかったそうですが、それは「もし父親に逆らえば家を追い出される」という厳格な家庭環境があったからだと、後に笑って振り返っています。
まとめ
二代目・中村七之助さんの歩みを辿ってみると、そこには名門に生まれた宿命と、それを上回るほどのたゆまぬ努力、そして温かな家族や友人の存在がありました。
女方としての美しさの裏側には、父の教えを守り抜き、兄と共に中村屋の看板を背負って立つという強い覚悟が秘められています。
2025年に伴侶を得て、家庭を持ったことで、彼の演じる役にはさらに深い色気と人間味が加わっていくことでしょう。
これからも、伝統を重んじながらも新しい風を吹き込み続ける七之助さんから、一秒たりとも目が離せません。
彼の舞台を観るたびに、私たちは歌舞伎という伝統芸能の奥深さと、それを未来へ繋ぐ人々の情熱に触れることができるのです。
伝統を繋ぐ歌舞伎役者は、激しい荒波を越えて大河へと至る船のような存在。
七之助さんは今、その船の舳先に立ち、確かな眼差しで次なる地平を見つめているのかもしれません。
