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モンスター: エド・ゲインの物語ネタバレ評価|あらすじ・最後の結末は?

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【Netflix】『モンスター:エド・ゲインの物語』は許しがたい問題作か、傑作か?ホラーの原点と衝撃の結末を徹底考察!

現代ホラー映画の歴史を語る上で、この男を避けて通ることはできません。

Netflixのアンソロジーシリーズ『モンスター』第3弾、『モンスター:エド・ゲインの物語』は、まさにその「ホラーの原型」となった実在の殺人鬼、エド・ゲインの生涯を、極めて濃密に描いています。

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モンスター: エド・ゲインの物語ネタバレ|あらすじ

舞台は1950年代、雪に閉ざされたウィスコンシン州プレインフィールドの寒々しい農場です。

主人公のエド・ゲイン(チャーリー・ハナム)は、世間から隔絶された環境で、狂信的で支配的な母親オーガスタ(ローリー・メトカーフ)の呪縛のもと育ちました。

オーガスタは、女性を罪深い存在と見なし、息子エドのあらゆる性的衝動や社会との関わりを徹底的に抑圧します。

この歪んだ母子関係と、生涯を通じて診断されることのなかった精神疾患、つまり統合失調症が、彼の内なる怪物を形成していったのです。

物語は、エドが兄ヘンリーを衝動的に殺害し隠蔽する場面から、その狂気の芽を描き出します。

そして、母オーガスタが亡くなると、エドの精神的な支柱は完全に崩壊しました。

彼は母の愛と存在を渇望するあまり、墓を暴き、遺体の皮膚や骨を使って家具や服、おぞましい「人体コレクション」を作り上げ、自宅を文字通りの「恐怖の館」へと変貌させていくのです。

彼の猟奇的な行動は、後に『サイコ』のノーマン・ベイツや『悪魔のいけにえ』のレザーフェイス、『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビルといった、数々の伝説的ホラーキャラクターのインスピレーション源となるのですが、本作は、この「ホラー文化の誕生」というテーマも、エドの物語と並行して深く掘り下げていく、極めて野心的な作品となっています。

モンスター: エド・ゲインの物語ネタバレ|ストーリー解説

■終盤の戦慄的展開

エドの狂気は、やがて墓荒らしから殺人にエスカレートしていきます。

作中では、地元の酒場の女主人メアリー・ホーガンを殺害し、遺体の一部を自宅に持ち帰りますが、これは彼の母への執着がもたらした行動として描かれます。

さらに終盤、彼は地元の金物屋の女主人バーニス・ウォーデン(レスリー・マンヴィル)と親密な関係を築こうとしますが、ここでも母の幻影に支配され、最終的に彼女を銃で殺害してしまいます。

バーニスの遺体は、エドの農場にある納屋で、鹿のように逆さ吊りにされ、解体された状態で見つかります。

この最後の凶行が、エドの逮捕に繋がりました。

バーニスの息子で郡保安官代理のフランクが店のレジに残された伝票からエドを特定し、捜査当局がゲインの農場に足を踏み入れたとき、彼らが目撃したのは、おぞましい人体の装飾品に満たされた、人間の想像を絶する光景だったのです。

この間、物語は非常に挑戦的な「メタ構造」を展開し続けます。

アルフレッド・ヒッチコック監督(トム・ホランダー)が登場し、エド・ゲイン事件を題材に『サイコ』の構想を練る姿は、現実の悲劇がエンターテイメントとして消費される「仕組み」そのものを、僕たち視聴者に突きつけてきます。

エドの内面の鏡のような存在である隣人、アデライン・ワトキンス(スザンナ・ソン)も、終盤までエドの歪んだ幻想に深く関わり、彼がナチスの戦犯イルゼ・コッホの残虐なイメージに影響を受けていた背景が強調されます。

また、賛否両論を巻き起こした要素として、エドが精神病院に収容された後、FBI捜査官(『マインドハンター』のオマージュ)に協力し、連続殺人鬼テッド・バンディの逮捕に繋がるヒントを与えた、という大胆なフィクションが描かれます。

これは史実とは異なるものの、「悪の系譜」や「モンスターの進化論」を表現しようとする制作側の野心的な試みだったと言えるでしょう。

モンスター: エド・ゲインの物語ネタバレ|最後の結末は?

■怪物が迎える最後の結末

逮捕後、エドは裁判にかけられることなく、精神異常を理由に精神病院に収容されます。

隔離生活の中で、彼はついに医師から統合失調症と診断を受けます。

彼は、自分が病気のせいで殺人を犯し、その記憶がないことを悟り、激しく泣き崩れるシーンが描かれます。

エドはまた、自分がトランスジェンダーだと信じ込んでいましたが、幻覚を通じてクリスティン・ジョーゲンセン(トランスジェンダーのアイコン)と対話する中で、自身が女性の体に深く惹かれ、その内部に入りたいと願う女性愛好症(gynephilic)であることを理解します。これは、制作陣が、暴力とトランスジェンダーを結びつける誤った情報に一石を投じるために、意図的に加えた描写でした。

エドは肺がんで死期を迎えますが、その直前、彼は幻想の中で、自分を「ゴッドファーザー」のように崇めるチャールズ・マンソンテッド・バンディといった後続の殺人鬼たちに囲まれ、称賛を浴びます。

彼は、自分が文化に大きな「足跡を残した」という事実に満足している様子が描かれており、僕としては、なんとも皮肉で不気味な光景だと感じましたね。

そして、死の直前、エドは幻想の中で階段を上り、そこで支配的だった母オーガスタに迎えられます。

母は「エディ、あんたは本当にゲイン家の名を挙げたね。誇りに思うよ」と褒め称え、エドはその瞬間に安らかに息を引き取るのです。

物語の本当のラストシーンは、エドが亡くなった後、彼の墓石を盗もうとする若者たちが、ホラー映画の怪物たち(ノーマン・ベイツ、レザーフェイス、バッファロー・ビル)の幻影に怯えて逃げ去る様子で締めくくられます。

エド・ゲインという存在は死んでも、彼が残した恐怖のレガシーは、ポップカルチャーの中で永遠に生き続ける、というメッセージが込められた、象徴的な終わり方です。

そして最後に、若き日のエドと母が静かに座る過去のフラッシュバックが挿入され、母が「お前を愛せるのは母だけ」と囁く言葉でフェードアウトします。

このセリフは、彼の悲劇の全てが、この呪いの言葉に集約されていることを示唆しており、観客に強烈な後味を残します。

モンスター: エド・ゲインの物語|評価レビュー

■評価:美しい毒りんごの真実

この『モンスター:エド・ゲインの物語』は、まさに「美しい毒りんご」だと僕は評価したいです。

批評家と視聴者の間で評価が真っ二つに分かれており、Rotten Tomatoesの批評家スコアは20%と低迷していますが、これはNetflixシリーズとして非常に異例の事態です。

この作品に対する批判の核心は、ライアン・マーフィー作品への長年の指摘と同じで、「倫理観の欠如」「実話の過度なセンセーショナリズム」にあります。

特に、テッド・バンディを登場させたり、事件に深く関わったとされる架空の女性アデライン・ワトキンスの描写を大々的に加えたり、史実を大胆に改変し、グロテスクなシーンをスタイリッシュに描きすぎた点が、一部の批評家には「許しがたい」「悪趣味な見世物」と映ったのです。

しかし、その是非はともかく、この作品がもたらす視聴体験は、間違いなく一級のサイコホラー・エンターテイメントです。

何と言っても、主演チャーリー・ハナムの怪演は圧巻の一言。

彼はゲイン本人の未公開音声テープを聴き込み、その独特な声の抑揚や、孤独と狂気が入り混じる複雑な人物像を見事に体現しました。

また、母親オーガスタを演じたローリー・メトカーフの演技は、鳥肌モノの支配力があり、このドラマの評価を押し上げた最大の要因だと僕は断言できます。

制作側は、エド・ゲインを単なる怪物ではなく、「虐待と孤立、そして未治療の精神疾患に苦しんだ悲劇的な人間」として描き、社会が精神的に病んだ人々に負う責任について問題提起をしています。

結局、このドラマが僕らに問いかけているのは、「エド・ゲインという怪物」そのものではありません。

なぜ、我々はこんなにも残虐なトゥルークライムに夢中になるのか?」という、僕たち自身の内なる闇と倫理観に対する、ライアン・マーフィー監督の悪趣味で知的な挑戦状なのです。

事実に基づいた正確な物語を求める人には正直おすすめできませんが、もしあなたが、この強烈な映像美と倫理的な問いかけを、一つの芸術作品として受け止める覚悟があるなら、これほど心に傷跡を残す、忘れがたいシリーズはないでしょう。

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