世界を舞台に魔法のような時間を創り出し続ける、日本が誇る演出家の宮本亞門さん。
2026年現在もその情熱は衰えることを知らず、演劇のみならず映画やドラマ、さらには復興支援活動など、多方面で私たちに勇気を与え続けてくれていますよね。
今回は、そんな亞門さんの歩んできた波乱万丈な道のりや、意外なプライベートの素顔について、Wikipediaに負けないくらい詳しく、心を込めて深掘りしていきたいと思います。
宮本亜門|プロフィール、年齢は?
■宮本亞門さんの深すぎるプロフィール
宮本亞門(みやもと あもん)さんは、1958年1月4日、東京都中央区銀座という華やかな街に生まれました。
本名は宮本亮次(みやもと りょうじ)さんとおっしゃいますが、2019年には病気を乗り越えた再スタートの決意を込めて、名前の表記を「亜門」から「亞門」へと改名されています。
身長は177cmとスラリとしていて、血液型は穏やかさと情熱を併せ持つO型、星座は努力家な山羊座ですね。
幼い頃は意外にもとても太っていたそうで、高校1年生の時に一念発起してダイエットに励み、一気に減量したというストイックな一面もお持ちです。
現在はホリプロに所属し、国内外で120本を超える作品を手掛けるなど、演出家として不動の地位を築かれています。
私個人としては、亞門さんのあの屈託のない笑顔の裏に、こうした改名や肉体改造といった強い意志が隠されていることに、プロフェッショナルとしての深みを感じてやみません。
宮本亜門|経歴
■ダンサーから世界的演出家への輝かしい経歴
亞門さんのキャリアのスタートは、演出家ではなく一人の「表現者」としてのものでした。
1978年にミュージカル「シーソー」でダンサーとしてデビューし、その後は振付師としてもその才能を発揮し始めます。
大きな転機となったのは29歳だった1987年、オリジナルミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で演出家としてデビューを果たしたことでした。
この作品でいきなり文化庁芸術祭賞を受賞するという快挙を成し遂げ、一躍時の人となったのです。
2004年にはニューヨークのオン・ブロードウェイで「太平洋序曲」を演出し、東洋人初のブロードウェイ演出家としてトニー賞4部門にノミネートされるなど、文字通り世界を席巻しました。
最近では、2025年に公開された能登復興支援映画「生きがい IKIGAI」で監督・脚本・企画を務めるなど、その活動は舞台の枠を超えて広がっています。
2023年にはNHKの朝ドラ「ブギウギ」で俳優デビューも果たされており、その多才ぶりには本当に驚かされるばかりです。
常に新しいことに挑戦し続けるその姿は、私たち30代の男性にとっても、人生の後半戦をどう生きるべきかという大きなヒントを与えてくれるような気がします。
宮本亜門|結婚・子供は?
■結婚歴と子供、独身を貫く理由
さて、ファンならずとも気になるのが亞門さんの私生活ですが、2026年現在、彼は一度も結婚をしたことがなく、お子さんもいらっしゃいません。
本人は理由をはっきりとは語っていませんが、15歳の頃に経験した「彼女との心中未遂」という衝撃的な事件が、心のどこかに影を落としているのかもしれません。
当時、人生に絶望していた亞門さんは、交際していた彼女と一緒に死ぬ約束をして睡眠薬を飲みましたが、実は薬局の人が機転を利かせて売ってくれたのはただのビタミン剤でした。
翌朝元気に目覚めて彼女に電話したところ、「本気だとは思わなかった」と言われてしまい、ひどい人間不信に陥ってしまったのだそうです。
また、亞門さんはご自身の感覚が「普通とは違う」と感じており、一人でいる方が精神的に楽だという価値観をお持ちのようです。
「結婚という形に縛られない生き方」もまた、彼らしい自由な精神の表れなのかもしれませんね。
宮本亜門|実家は喫茶店
■銀座の面影を残す実家・喫茶店「絵李花」
亞門さんの感性を育んだのは、銀座にある実家の喫茶店「茶房 絵李花(えりか)」という場所です。
以前は「須川」という店名でしたが、現在は亞門さんの弟さんが跡を継いで営業を続けています。
新橋演舞場のすぐ目の前という絶好のロケーションにあり、店内には今も亞門さんの舞台のポスターが飾られ、レトロで温かい雰囲気が漂っています。
ここの名物は、どこか懐かしい味わいのカレーライスやピラフ、そして飯尾和樹さんも絶賛したカスタードプリンです。
亞門さんは幼少期、この店の2階が役者さんの稽古場になっていたこともあり、日常的に芸能の世界に触れて育ったといいます。
私も一度訪れたことがありますが、銀座の喧騒を忘れさせてくれるような、とても居心地の良い空間でした。
宮本亜門|母親・父親は?
■映画のような両親と家族構成
亞門さんの家族構成は、お父さん、お母さん、お姉さん、そしてかなり歳の離れた弟さんという賑やかな顔ぶれです。
ご両親の出会いはまさに映画のようで、慶應義塾大学出身のエリートだったお父さんの亮祐さんが、上野の料理店で女将をしていたお母さんの須美子さんに一目惚れしたことから始まりました。
須美子さんは松竹歌劇団(SKD)の元ダンサーで、亮祐さんより12歳年上のシングルマザーでしたが、亮祐さんは猛反対を押し切って脱サラし、夫婦で喫茶店を始めたのです。
最愛のお母さんは、亞門さんが21歳の時に脳溢血で急逝してしまいますが、それがきっかけで疎遠だったお父さんと和解し、二人で旅行に行くほどの仲になったそうです。
お父さんも2021年に94歳で、まるで眠るように大往生を遂げられました。
自分の信念を貫き通したご両親の生き様こそが、今の亞門さんの演出家としてのルーツになっているのではないでしょうか。
宮本亜門|兄弟
■32歳差という驚きの兄弟関係
亞門さんのご家族の中でも特にユニークなのが、弟さんとの関係です。
お母さんが亡くなった後、お父さんが再婚されたのですが、そのお相手はなんと亞門さんの知人女性でした。
その再婚相手との間に生まれたのが、亞門さんとは32歳も歳が離れた弟の師門(しもん)さんです。
自分の友人が継母になり、親子ほど歳の離れた弟ができるという複雑な環境ですが、亞門さんはこの状況を驚きつつも受け入れ、今では弟さんが実家の喫茶店を守っています。
こうした多様な家族の形を経験してきたからこそ、亞門さんの作品には人間に対する深い愛と洞察が込められているのかもしれません。
宮本亜門|学歴(出身高校・大学)は?
■玉川学園で過ごした波乱の高校・大学時代
學歴を振り返ると、亞門さんは自由な校風で知られる玉川学園に長く籍を置いていました。
高校は玉川学園高等部で、偏差値も高く多くの芸能人を輩出している名門校です。
しかし、高校時代は決して楽しいことばかりではなく、集団生活に馴染めず約1年間も自室に引きこもるという苦しい経験をされています。
その暗い部屋でレコードを聴きまくり、音楽を視覚化するイメージを膨らませたことが、演出家としての原点になったと本人は語っています。
大学はそのまま玉川大学の芸術学部演劇専攻科へと進みましたが、4年生の時にミュージカルのオーディションに合格したことを機に中退を決意しました。
「これ以上ここにいても学ぶことがない」という直感に従い、現場の荒波に飛び込んだことが、その後の成功へと繋がったのです。
宮本亜門|出身中学・小学校は?
■港区と大田区で育った中学・小学校時代
幼少期から少年時代にかけては、いわゆる「お坊ちゃん」らしい環境で育っています。
小学校は港区にある名門の白金小学校に通い、この頃から日舞だけでなく茶道もたしなむという、かなり早熟な子供でした。
将来は裏千家の家元や日本美術史の研究家になりたいと夢見ていたそうで、卒業アルバムにもそう記していたといいます。
中学校は大田区立田園調布中学校に進学しましたが、この頃は学校で孤立しがちで、一人で夜行バスに乗って京都や奈良の仏像を見に行くことに没頭していたそうです。
一見すると孤独な少年に見えますが、その時期に培った美意識や宗教観が、後のオペラや歌舞伎の演出において素晴らしいスパイスとなっているのは間違いありません。
まとめ
宮本亞門さんのこれまでの人生を辿ってみると、光り輝くステージの裏側には、常に孤独や葛藤、そして家族との深いドラマがあったことがわかります。
引きこもりやがんといった困難に直面するたびに、彼はそれを「人生という舞台」の一部として受け入れ、より力強い表現へと変えてきました。
2026年、68歳を迎えた亞門さんがこれからどのような驚きを私たちに届けてくれるのか、一人のファンとして、そして一人の表現者として楽しみでなりません。
「人生は悩むには短すぎる」というお父さんの言葉を胸に、彼が描き出す次の幕が開くのを、私たちはワクワクしながら待ちたいと思います。
