『魔法少女山田』第2話、これって本当にドキュメンタリーなのか?
先週の衝撃から一週間。
待ちに待った『魔法少女山田』の第2話が放送されましたね。
僕はもう、放送前からドキドキが止まりませんでした。
テレビ東京が仕掛けてくるフェイクドキュメンタリーは、本当に見ている側の心を揺さぶりますよね。
今回の第2話は、またさらに深い闇へと誘われたような、そんな感覚に陥っています。
魔法少女山田』ネタバレ考察|2話の感想
『魔法少女おじさん』が暴かれた第2話
今回の物語の中心は、まさにそのタイトルにもなっている「魔法少女おじさん」という自主制作映画でしたね。
第1話でその存在が示唆されていましたが、まさかここまで核心に迫るとは思いませんでした。
この映画は、元教師である山田正一郎さんの活動を追ったドキュメンタリーという体裁をとっています。
彼は2009年当時41歳の独身で、アルバイトをしながら「魔法少女」のコスプレをして、インターネットで子供たちに「魔法のような学び」を届けようとしていたんです。
最初は普通の格好だった山田さんが、子供たちの気を引くために魔法少女の姿になったという経緯も語られました。
そこには、離婚した妻と娘が何も言わずに引っ越してしまい、教師の道を諦めていた彼の情熱が透けて見えました。
彼はやがて、実際に子供たちと個人授業を行うようになります。
しかし、子供たちに彼の「魔法」は届かず、限界を感じて再び教員試験を目指すことに。
試験には落ちてしまうのですが、監督である三田愛子さんからもらった子供たちの手紙に励まされ、再び魔法少女としての活動を始める、という筋書きでしたね。
しかし、物語の終盤でとんでもない事実が明かされるんです。
貝塚さんが三田監督に接触し、上映会の映像が送られてくるのですが、それはなんと2011年に行われた山田さんの「追悼上映会」だったんです。
つまり、山田さんは2011年までに亡くなっていたということ。
僕も思わず声を上げてしまいましたよ。
あの再起を誓う姿が映っていたのに、まさか亡くなっていたとは。
魔法少女山田』2話|三田監督の「編集」が不気味すぎる
今回、特に僕がゾッとしたのは、この三田愛子監督の存在と、彼女が作った映画の「真実性」についてです。
実は、山田さんが教員試験に落ちたというシーンには、いくつかの違和感があったんですよね。
例えば、9月20日に不合格のメールが来たのに、部屋にはまだ扇風機が置かれていました。
9月下旬といえば、通常ならもう片付けている時期ですよね。
また、教員試験の勉強中は魔法少女の衣装が見当たらなかったのに、試験失敗後の部屋にはぐしゃぐしゃになった衣装が転がっていました。
これは、「諦める」という描写のために、映像の時系列が意図的に入れ替えられている可能性を示唆しています。
もしかしたら、山田さんは教員試験に合格していたのに、三田監督が映画を完成させるために「不合格」と見せかけたのではないでしょうか。
メールの画面もほとんど動きがなく、文字部分だけ加工されている可能性も考えられます。
もしそうだとすれば、三田監督は自分の作りたい物語のために、山田さんの人生を大きく歪めたことになります。
さらに、映画の最後に行われた「魔法少女山田の復活配信」も、山田さん本人ではない可能性が濃厚です。
配信中の魔法少女の首元が女性のようにきれいで、男性特有の喉仏が見当たりません。
山田さんは首元を隠す衣装を着ていたのに、最後の配信では首元が見えています。
そして、髪型もこれまでの山田さんとは違っていました。
マスクや黒板に描かれた絵も、これまでの山田さんのセンスとはかけ離れて、非常に可愛らしいデザインに変わっていたんです。
極めつけは、山田さんが「魔法少女ヤマダ」とカタカナにこだわりを持っていたはずなのに、最後の配信では「魔法使い山田」と漢字表記になっていたこと。
これは、三田監督が山田さんの死後、あるいは死亡を偽って、自ら「魔法少女山田」を演じて配信を行ったと考えるのが自然でしょう。
映画の完成のためなら、こんなことまでしてしまうのかと、人間の「業」のようなものを感じました。
子供たちからの手紙も、三田監督が山田さんを再起させるために書いた偽物だったのかもしれませんね。
魔法少女山田』ネタバレ考察|3話・最後の結末はどうなる?真相は?
最終回はどうなる?『唄うと死ぬ歌』とコミカライズの行方
第2話で山田さんが2011年までに亡くなっていたことが判明した今、最大の謎は「唄うと死ぬ歌」がなぜその名前になったのか、そして山田さんの死にどう関わっているのかという点です。
この歌は山田さんが作った未完成の曲が元になっているそうですが、ネットに広まっている完成版には子供たちの合唱が含まれていて、途中で子供たちの声が消えるという不穏な音源になっています。
これまでの考察では、貝塚さんや萌花さんがこの歌を「知っていた」理由が不明でした。
萌花さんが魔法少女を怖がり始めた時期が、山田さんの活動時期と重なることから、何らかの接点があった可能性が高いですよね。
もしかしたら、あの不気味な歌の合唱パートに関わった子供たちが、その場で何らかの事件に巻き込まれたのかもしれません。
そして、その歌が山田さんの死と結びつき、「唄うと死ぬ歌」として都市伝説になったのではないでしょうか。
第1話冒頭で貝塚さんらしき人物の腕に血が付いていた映像も気になります。
山田さんの死後、2011年以降に別の事件が起きた可能性も否定できません。
三田監督が映画の時系列を入れ替えていたとすれば、僕たちがこれまで見てきた『魔法少女山田』という番組自体が、三田監督が仕組んだ壮大なフェイクである可能性も浮上してきます。
本当に怖いのは、超常現象ではなく、人間の信じ込みや思い込みが生み出す恐怖なのかもしれませんね。
そして、嬉しいお知らせとして、この『魔法少女山田』は「ゼノン編集部」で『魔法少女山田 ?ある漫画編集者の記録?』としてコミカライズされることが決定しています。
7月25日から連載開始だそうですよ。
漫画の主人公も「魔法少女恐怖症」を抱える新人漫画編集者とのことなので、テレビシリーズとは異なる視点から、この世界の深淵が描かれることに期待しています。
もしかしたら、本編の謎を解き明かすヒントが、漫画の中に隠されているかもしれませんね。
ゾクゾクが止まらない『魔法少女山田』の見どころ
この『魔法少女山田』シリーズは、本当に「考察型ホラー」というジャンルを確立していますよね。
一見すると普通のドキュメンタリー番組のようでありながら、じわじわと不穏な空気が広がり、現実と虚構の境界線が曖昧になっていく演出が素晴らしいんです。
飛び跳ねるようなジャンプスケアに頼らず、心理的な「湿度の高い恐怖」で視聴者を包み込む手腕は、まさに日本のホラーの真骨頂だと感じます。
そして、何よりも見る側が「何が現実で何が嘘なのか」を必死に見極めようとする、この「参加型」の楽しみ方がたまらないんです。
SNSでは連日、様々な考察が飛び交っていて、それを見ているだけでも作品の世界が広がっていくのを感じます。
今回の第2話のように、作り込まれた「劇中作」がまた別のリアルなドキュメンタリーの体をなしているという、多層的な構造もこのシリーズの魅力です。
ちょっとした違和感や、セリフの裏に隠された真実を探すのが、この作品の醍醐味ですよ。
まとめ
次の最終回で、全ての謎が解き明かされるのか、それとも新たな謎が残されるのか。
その結末がどうなるのか、僕はもう楽しみで仕方ありません。
あなたもぜひ、もう一度第2話を見返して、隠された真実に迫ってみてください。