ついにシリーズ完結作として僕たちの前に姿を現した『教場 Requiem』ですが、その中身は期待を遥かに超える濃密で、そして少しばかり官能的な熱を帯びたものでした。
木村拓哉さん演じる風間公親の最後の授業を目撃するために、劇場へ足を運ぼうと考えている皆さんが一番気になっているであろう「あのシーン」についても、僕なりの視点で深く切り込んでみたいと思います。
教場requiem(映画)|キスシーンは大原優乃)×真鍋辰貴(中山翔貴)
■劇中で描かれたキスシーンの真意
今回の物語の大きな軸の一つとなっている第205期生の恋愛模様は、警察学校という鉄の規律に縛られた場所だからこそ、より一層その背徳感が際立っていました。
特に、大原優乃さん演じる木下百葉が、中山翔貴さん演じる真鍋辰貴に対して放った「2番目でもいいから」という言葉は、同じ男として胸に刺さるような、ある種の危うさを感じさせるものでしたね。
その後に校内で密かに行われるキスシーンは、前編『Reunion』からの伏線を回収する形で描かれますが、驚くほど自然で、かつ二人の距離感が異常に近く、まるで本当の恋人同士のような生々しさがありました。
単なる青春の1ページとして描くにはあまりに重く、そこには洞口亜早紀を含めた複雑な三角関係のドロドロとした感情が渦巻いているのが見て取れます。
大原優乃さんの柔らかい表情と、中山翔貴さんの迷いながらも惹かれていく演技が重なり、観ているこちらまでルール違反の緊張感で鼓動が早まるような、そんな錯覚に陥るほどでした。
教場requiem(映画)気まずいシーン|ベッドシーン
■ベッドシーンの衝撃と隠された殺意
今作で最も話題を呼び、かつ多くの観客を驚かせたのは、間違いなく真鍋と木下の間に流れるあの濃厚なベッドシーンでしょう。
劇場の大画面で映し出されるその描写は、テレビドラマの枠では決して不可能だったであろう尺と、体位がはっきりと分かるほどの生々しさを伴っています。
なぜこれほどまでに過激な演出が必要だったのか、その答えは洞口亜早紀が仕組んだ「最高のシナリオ」という名の殺人未遂計画に集約されています。
真鍋が喉の治療のために投与されていたペニシリンを、行為を通じて過去にペニシリン・ショックを起こした経験のある木下の体内に送り込み、アナフィラキシーで死に至らしめるという、あまりに独創的で残酷なプロットです。
あのベッドシーンは、木下の「子供が欲しい」という切実な願望と、それを逆手に取った洞口の冷徹な復讐心を視覚的に残酷なまでに強調するために配置された、物語上の必然だったと言えるでしょう。
風間教官が、彼らが避妊なしで行為に及ぶことまで予見して外出禁止を言い渡したシーンには、彼の洞察力の凄まじさと共に、人間の本質的な弱さへの深い理解が込められていました。
教場requiem(映画)|親や友達と鑑賞する際の注意点
これから映画館へ向かおうとしている皆さんに、熟練のブロガーとしてアドバイスをさせていただくなら、家族連れでの鑑賞は少し慎重になった方がいいかもしれません。
PG12指定ではあるものの、先ほど触れたベッドシーンのインパクトは相当なもので、親御さんの隣で観るにはあまりに気まずい空気が流れることは容易に想像できます。
実際に劇場で「親子で観て凍りついた」という声も多く、ある種の教育的配慮を超えた、大人のためのサスペンスとしての側面が非常に強い作品だからです。
一方で、同じ趣味を持つ友人や、作品の考察を深く語り合いたいパートナーとなら、これほど面白い鑑賞体験はありません。
生々しい描写に驚きつつも、その後に続く平田和道による卒業式乱入事件の緊迫感や、十崎波琉との最終決戦の衝撃を共有できるのは、映画ファンにとって至福の時間になるはずです。
まとめ
■風間教場が僕たちに残したもの
『教場 Requiem』は、シリーズの集大成として、人間の持つ光と影をこれでもかというほど剥き出しにした怪物のような作品でした。
風間公親が最後に右目だけでなく左目の光までをも失いながら、なおも教壇に立ち続けるあのラストシーンには、言葉にできないほどの覚悟と悲哀が詰まっていました。
性的描写や暴力的な描写は、すべてが「警察官として、そして人間としてどう生きるか」という問いを突きつけるための、痛みを伴う演出だったのだと僕は深く納得しています。
エンドロールが終わった後、劇場の明かりがつく瞬間に感じるあの独特の重みは、ぜひ皆さん自身で体感してほしいと思います。
風間教場が僕たちに教えてくれたのは、正義を遂行することの難しさと、それでも自分を見失わないための強い心、その大切さだったのかもしれません。
