今まさにJリーグファンの間で熱い議論を巻き起こしているのが、北海道コンサドーレ札幌で右サイドを支配してきた近藤友喜選手の移籍報道ですね。
彼のこれまでの歩みや知られざる素顔について、Wikipediaに負けないくらい深く、そして愛を込めて掘り下げていきたいと思います。
近藤友喜|横浜F・マリノス移籍へ!
■マリノス移籍の衝撃とファンの声
スポニチなどの報道によると、近藤選手が横浜F・マリノスへ完全移籍することが決定的となったようです。
条件面でも既に合意しており、近日中にも正式に発表される見通しだと言われています。
札幌がJ2に降格した後、一度は「漢気残留」を選んでくれた彼ですが、やはりJ1でのプレーを求める決断をしたのでしょう。
ファンからは「あのスピードはマリノスに絶対フィットする」と期待の声が上がる一方で、実力者揃いのサイド陣とのポジション争いを注視する声も目立ちます。
僕個人としては、彼の爆発的な推進力がトリコロールのユニフォームでどう弾けるのか、今から楽しみで仕方がありません。
近藤友喜|プロフィール、年齢・身長は?
■近藤友喜選手の基本プロフィール
ここで、あらためて彼のプロフィールをおさらいしておきましょう。
2001年3月21日生まれの24歳で、愛知県春日井市の出身です。
身長172cm、体重64kgと、プロサッカー選手としては決して大柄ではありませんが、その体には驚異的な身体能力が秘められています。
利き足は右足で、ピッチ上では主に右サイドを主戦場としています。
近藤友喜|経歴
■挫折を力に変えた不屈の経歴
彼のキャリアを語る上で外せないのが、あまりにもショッキングな「ユース昇格見送り」のエピソードです。
小学校・中学校時代は名古屋グランパスのアカデミーで英才教育を受けていましたが、中学3年生の夏、スタメン11人の中で自分だけがユースに上がれないという現実を突きつけられました。
当時の監督からはフィジカル不足を理由に挙げられ、彼は絶望の淵で何度も涙を流したそうです。
しかし、その悔しさが「いつか見返してやる」という強烈なモチベーションに変わり、今の彼を形作っています。
その後、前橋育英高校から日本大学へと進み、特別指定選手を経て2023年に横浜FCでプロとしての第一歩を刻みました。
近藤友喜|プレースタイル・ポジションは?
■圧巻のスピードとプレースタイル
近藤選手の最大の武器は、なんといっても「初速の速さ」にあります。
最初の3歩で相手を置き去りにするその加速力は、まさに「ピッチを切り裂く逆襲のジャックナイフ」という異名にふさわしいものです。
ポジションは右ウィングバックや右サイドハーフ、さらには右サイドバックまでこなす万能型のアタッカーですね。
単に縦に速いだけでなく、鋭いクロスやインサイドへのカットイン、さらにはロングスローまで持っているのが彼の恐ろしいところです。
札幌では「金子拓郎の後継者」や「理解らせマシーン」とも呼ばれ、相手のサイドを幾度となく崩壊させてきました。
近藤友喜|結婚・子供は?
■運命の人との結婚と将来について
プライベートに目を向けると、近藤選手は2025年3月21日の24歳の誕生日に結婚を発表されています。
お相手は一般女性の方ですが、実は前橋育英高校時代に出会ったという、なんとも素敵な「純愛」を貫かれたようです。
横浜FCに加入した2022年から本格的に交際をスタートさせ、彼の挑戦を一番近くで支え続けてきた心強い存在だと語っています。
現時点で子供についての情報はありませんが、守るべき家族ができたことで、彼のプレーにはより一層の責任感と力強さが宿っています。
近藤友喜|実家と母親・父親は?
■野球少年だった実家と両親の想い
彼が生まれ育ったのは、名古屋の中心部から電車で30分ほどの場所にあるベッドタウン、春日井市です。
お父さんはずっと野球をされていたそうで、実は息子にも野球をやってほしかったという胸の内があったようですね。
実際に、近藤選手も小学3年生頃までは野球とサッカーの両方を掛け持ちしており、野球ではショートを守っていました。
「グランパスのアカデミーに落ちたら野球に専念する」という約束でセレクションを受け、見事に合格したことが彼の運命を決定づけました。
近藤友喜|兄弟は?
■夢へのきっかけをくれた兄弟の存在
近藤選手には2つ年上のお姉さんがいらっしゃいます。
サッカーに出会ったきっかけは、5歳の時にお姉さんの同級生たちがスクールに通っているのを見て「自分もやりたい!」と言い出したことでした。
もしお姉さんの友達がサッカーをしていなかったら、今の「日本のスピードスター」は誕生していなかったかもしれませんね。
家族は今でも彼の最大のサポーターであり、彼はその支えに対して深い感謝を抱いています。
近藤友喜|学歴(出身高校・大学)は?
■栄光を掴んだ高校・大学時代
高校は群馬県の名門、前橋育英高校へと進学しました。
ここでは2年生の時に全国高校サッカー選手権大会で優勝を経験しており、その実力を全国に知らしめることになります。
その後進んだ日本大学でも、1年生から試合に絡み、3年生の時には関東2部リーグのベストイレブンに選出されるほどの活躍を見せました。
大学時代には「自分が圧倒的すぎて競争がない」という環境に悩み、メンタル的な壁にぶつかった時期もありましたが、それもまた彼を大きく成長させる糧となりました。
近藤友喜|出身中学・小学校は?
■ルーツを辿る中学・小学校時代
彼の原点は、やはり名古屋グランパスのスクールとアカデミーにあります。
5歳でサッカーを始め、小学4年生から本格的に下部組織での活動をスタートさせました。
中学校は春日井市立松原中学校に通いながら、名古屋グランパスU-15で研鑽を積む毎日だったようです。
当時は周囲との体格差に悩み、試行錯誤しながら自分のスタイルを模索していた時期でもありました。
まとめ
挫折を知る男は強い、という言葉をまさに体現しているのが近藤友喜という選手です。
ユース昇格見送りという絶望を味わいながらも、自らの足で這い上がり、今やJ1の強豪がこぞって欲しがるアタッカーへと進化を遂げました。
横浜F・マリノスという新たな舞台で、彼がどのような衝撃を日本サッカー界に与えてくれるのか、期待に胸が膨らみます。
これからも、泥臭く、そして誰よりも速くピッチを駆け抜ける彼の背中を、僕たちは全力で応援し続けましょう。
近藤選手のキャリアは、まるで「一度地面に叩きつけられたボールが、その反動で空高くへと跳ね上がっていく」ような、鮮やかな逆転劇の連続ですね。
