キンタロー。再ブレイクの裏側を深掘り!壮絶な生い立ちと家族の絆、意外な高学歴まで徹底解説!
皆さん、最近のキンタロー。さんの活躍、本当にすごいですよね!
「千鳥の鬼レンチャン」で見せたアンジェリーナ・ジョリーやマリオのドッスンなどのモノマネが「涙が出るほど面白い」と大バズりして、今まさに再ブレイクの波に乗っている彼女。
彼女の芸人としての瞬発力や革新的なアイデアは、本当に唯一無二だと感じています。
彼女の明るいキャラクターの裏には、実は壮絶な過去や、驚くほどの努力家としての顔が隠されているのをご存知でしたか?
今回は、今一番注目すべきお笑いタレント、キンタロー。さんのルーツを、読者の皆さんと一緒に深く掘り下げていきましょう!
キンタローwikiプロフィール|年齢・身長は?
キンタロー。ってどんな人?
まず、キンタロー。さんの基本的なプロフィールから確認していきますね。
彼女の本名は田中 志保(たなか しほ)さんで、1981年10月24日生まれ、愛知県岡崎市出身です。
愛知県の地元の僧侶の方が名付け親だそうですよ。
身長は152.5cmと小柄ですが、ステージでの存在感は圧倒的ですよね。
血液型はB型で、2024年3月までは12年間在籍した松竹芸能にいましたが、現在は円満退社してフリーで活動しています。
特技は、彼女のブレイクのきっかけにもなった社交ダンス(競技ダンス)と英会話で、ただのお笑い芸人ではない、確かなスキルを持っているのが彼女の魅力です。
キンタロー|経歴
遅咲きのデビューと壮絶な道のり
キンタロー。さんがお笑い芸人を志したのは、実は幼い頃からの夢でした。
初めてモノマネをしたのは、毎朝洗面台でするお父さんのくしゃみを「ブラッホン!!」とマネした時で、5歳年下の妹が笑ってくれたのが嬉しかったそうです。
芸人への道は一度、断念しています。
関西の短大時代に吉本新喜劇のオーディションに合格したのですが、当時好きだったダンス部の先輩から「ダンスかお笑い、どっちかにせぇ!」と怒られてしまい、その時は恋を取って合格を辞退してしまったんです。
短大卒業後、彼女は名古屋で社交ダンスの講師として順風満帆な社会人生活を送っていましたが、2007年に大きな転機が訪れます。
彼女が26歳の時に、お母さんが急死してしまったんです。
そのショックで、お父さんがうつ病の症状が悪化してしまい、キンタロー。さんはダンス講師を辞めて地元に戻り、妹と一緒に介護をすることになりました。
この頃、競技ダンスの世界大会の日本代表に選ばれていたにもかかわらず、父親の病気と家業を畳むために辞退せざるを得ませんでした。
そんな八方ふさがりの状況で介護がひと段落した29歳の時、「一度きりの人生、まだちゃんと向き合ってなかった芸人の夢に挑戦したい」という思いと、「天国のお母さんに頑張っている姿を見せて笑ってほしい」という切実な思いから、お笑いの道に再挑戦することを決意します。
30歳で松竹芸能タレントスクールに入学し、芸歴わずか1年で前田敦子さんのモノマネで大ブレイクを果たした彼女の「負けず嫌いの努力家」という自己評価は、この壮絶な半生を知ると深く頷けますよね。
キンタロー|旦那と結婚の馴れ初め
「ビビビ」なし?ディレクター夫との出会い
キンタロー。さんは2015年12月14日に一般男性とご結婚されました。
彼女の旦那さんは、フジテレビのディレクターである小杉隆史(こすぎ たかし)さんです。
馴れ初めは、キンタロー。さんがレギュラー出演していた番組の収録を通じて知り合い、仕事で顔を合わせるうちに交際に発展したそうです。
初めての出会いは東京駅の喫茶店での打ち合わせで、彼女は「よっ!」と気さくに声をかけてきた彼に対し、「なんか人相がバラエティーのディレクターっぽい顔の人だな~」という印象を持ったそうです。
運命の出会いによく言われる「ビビビ」という電撃はなかったそうですが、打ち合わせ中にタバコを一箱吸い終わるくらいスパスパ吸っていたことが強烈に印象に残ったと語っていて、タバコが苦手な彼女にとっては「むしろ印象少し悪かったりして」なんていうエピソードも残っています。
交際して約2年が経った頃、キンタロー。さんが何気なく放った一言が、旦那さんが結婚を意識する決定的なきっかけになったそうですよ。
キンタロー|旦那の仕事・年収
旦那さんはあの有名局のディレクター!
旦那さんの小杉隆史さんは、キンタロー。さんより3歳年上で、フジテレビのディレクターを務めています。
結婚会見は2016年1月に開かれ、幸せいっぱいの報告が話題になりました。
彼の仕事柄、具体的な年収は公にされていませんが、キー局のディレクターという立場を考えると、一般的には高収入である可能性が高いですよね。
ただ、彼女のブログによると、旦那さんは佐賀県伊万里市出身で、キンタロー。さんはその縁で伊万里市の観光大使に就任しています。
キンタロー|子供は何人?何歳?
2人の娘を持つママの顔
私生活では、キンタロー。さんは2人のかわいい娘さんのママです。
2020年1月28日に長女を、2021年12月18日に次女を出産されています。
実は、彼女の夫婦は妊活に励んでおり、旦那さんが無精子症であることが判明しながらも、不妊治療を経て2人のお子さんを授かっています。
芸人としてのキャリアを中断することへの不安もあったそうですが、「それ以上に母になることを味わってみたい」「両親にも恩返ししたい」という強い思いから、出産という選択をしたそうです。
子育ては大変なことも多いと思いますが、娘さんたちが変顔を見て「ママ、おもしろい」と言って笑ってくれることが、彼女がお笑いに自信を持てるようになった大きな理由だと語っていて、娘さんたちが彼女の芸人魂を支えているんですね。
キンタロー|実家はビジネス旅館?
実は超お嬢様?複雑な家族の過去
キンタロー。さんの実家は愛知県岡崎市で、もともとはビジネス旅館を経営していました。
名鉄東岡崎駅から歩いて2分の場所にあったそうで、家には両親、祖母、父の弟、キンタロー。さん、妹さんの6人で暮らしていた時期もありました。
彼女が小学校に上がる頃に旅館はテナントビルに建て替えられ、一時期は「超お嬢様」だったという報道もありましたが、彼女自身はテレビ番組やブログで「裕福ではない」「勝手に書かれた」と否定しています。
むしろ、お父さんが中古車を4万円で値切って買ってきて、道端で車が止まって怖い思いをしたという、庶民的なエピソードを明かしています。
キンタロー|母親・父親は?
家族構成と壮絶な両親の死
キンタロー。さんのご家族は、元々はお父さん、お母さん、キンタロー。さん、5歳年下の妹さんの4人家族です。
お父さんの田中正治さんは、繊細で心配性な性格でした。
テナント業の経営状態が不安定になったことで、心配性の性格からうつ病(双極性障害)を発症してしまいます。
そして、彼女が26歳の時、お母さんが急死(自殺)。
このショックでお父さんの病状はさらに悪化し、キンタロー。さんと妹さんは若くして、実家の事業を引き継ぎながらお父さんの介護をする「ヤングケアラー」という立場になりました。
お父さんは要介護度が上がって介護施設に入所することになり、キンタロー。さんが34歳の時に病気で亡くなっています。
キンタロー。さんは、芸人としてテレビに出始めた姿をお父さんが施設で見て、とても喜んでくれていたこと、「お父さんは大丈夫だから。頑張りなよ」と応援してくれたことが忘れられないと語っています。
妹さんは現在、男の子を持つシングルマザーのセラピストとして活動しており、壮絶な時期を共に乗り越えた姉妹の絆は、今も非常に強いようです。
キンタロー|学歴(出身高校・大学)は?
偏差値と隠れた才能!社交ダンスで全国4位
キンタロー。さんの学歴は、その身体能力と語学力に裏打ちされています。
出身小学校は地元の岡崎市立三島小学校で、中学は岡崎市立竜海中学校に進学しました。
高校は私立の岡崎学園高等学校(現・人間環境大学附属岡崎高等学校)で、偏差値は53程度(当時の情報)の学校です。
高校時代には、自分を変えたいとカナダへ短期留学を2度経験し、英語力を磨きました。
大学は、その語学力を活かして関西外国語大学短期大学部に進学し、英語を専攻しています。
ここで特筆すべきは、彼女が大学時代に競技ダンス部に入部し、熱中していたことです。
猛特訓の結果、社交ダンスの全国大会では4位という驚異的な成績を収めました。
このダンスのキレこそが、今のモノマネの土台になっていると考えると、彼女の芸の深さに納得です。
暗黒期を乗り越えた学生時代
キンタロー。さんの学生生活は、決して順風満帆ではありませんでした。
小学校時代は、お笑いが大好きでクラスのムードメーカーでしたが、中学1年生の時に、仲良しグループから突然無視されるという、辛いいじめを経験しています。
これにより不登校になった時期もあり、2学期だけで24日も欠席したことがあったそうです。
学校に居場所がないと感じていた当時の彼女を救ったのは、自宅でお笑い番組を見て笑う時間と、親の支えでした。
高校に進学したいじめがなくなったそうですが、この「行き場のない絶望」を経験したからこそ、彼女は「死ぬことは絶対に選ばないでほしい」「生きていれば、何とかなる」と、しんどい思いを抱える人たちにメッセージを送っています。
まとめ
彼女が私たちを惹きつける理由
キンタロー。さんの人生を振り返ると、彼女の底抜けの明るさの裏には、両親の死や介護、中学時代のいじめといった、想像を絶する困難があったことが分かります。
しかし、彼女はそれらを乗り越え、幼い頃からの夢だったお笑いの世界で、30歳という遅咲きのデビューからわずか1年で大ブレイクを果たし、さらに近年再ブレイクという快挙を成し遂げました。
家族への深い愛情、特に亡き母に笑いを届けたいという思いが、彼女の芸人としての原動力になっていることは間違いありません。
社交ダンスで培ったストイックなまでの努力と身体能力、そしてどんな苦境も笑いに変える彼女の強靭な精神力こそが、彼女が私たちを惹きつけてやまない理由だと、私は強く感じています。
彼女は今、2人の娘の母となり、キャリアと子育てを両立させていますが、これからもきっと、新しい笑いと感動を届けてくれることでしょう。
これからも全力で、彼女の活躍を応援していきましょう!
