ジブリ映画「かぐや姫の物語」を観て、あの衝撃的なラストや帝のアゴが忘れられないという方は、現在でも決して少なくないはずです。
この作品は、単なる昔話の枠を大きく超えた、私たちの魂に突き刺さるようなメッセージを秘めています。
数あるアニメーションの中でも類を見ない芸術性と、あまりにも生々しい人間ドラマが同居したこの名作を、映画ブロガーの視点から徹底的に解剖していこうと思います。
かぐや姫の物語|wiki情報【ジブリ映画】
■高畑勲監督が命を削って完成させた「かぐや姫の物語」の凄み
本作は、2013年11月23日に公開された高畑勲監督の遺作であり、企画開始から完成まで実に8年という歳月が費やされました。
製作費は約51.5億円という巨額なもので、通常の映画数本分に相当する労力が注ぎ込まれた大労作となっています。
最大の特徴は、まるで日本画や絵巻物がそのまま動き出したかのような、鉛筆の線と水彩画のタッチを活かした独特のアニメーション表現です。
この手法を実現するために50万枚を超える膨大な作画が必要となり、スタジオのスタッフたちがボロボロになりながら描き上げたというエピソードには圧倒されるばかりです。
声の出演も豪華で、かぐや姫役の朝倉あきさんをはじめ、高良健吾さん、そして本作が遺作となった地井武男さんの渾身の演技が、物語に深い魂を吹き込んでいます。
かぐや姫の物語ネタバレ考察|最後の結末
■記憶を奪う「忘却の羽衣」と涙のラストシーンが意味するもの
物語の結末は、私たちが知っている「竹取物語」の筋書きを辿りながらも、その演出は「死」や「人格の喪失」を強く意識させる非常に恐ろしいものです。
8月15日の満月の夜、月からやってくる天人たちの行列は、こちらの悲痛な叫びを一切無視して、サンバのように明るく陽気な音楽を奏でながら淡々と近づいてきます。
この「対話が全く成立しない他者性」こそが、抗えない運命や死のメタファーとして機能しており、観る者に根源的な恐怖を与えます。
かぐや姫は、地上での汚れを忘れさせるという「月の羽衣」を着せられた瞬間、瞳から生気が失われ、愛した人々や地球での思い出を全て失ってしまいました。
しかし、月へ昇っていく雲の上で、彼女は一度だけ地球を振り返り、その目からは一筋の涙がこぼれ落ちます。
この涙は、記憶を消されてもなお、この美しく残酷な地球で確かに「生きていた」ことの最後の証であり、観る者の胸を締め付けます。
個人的には、救いがないようで見えて、実は不完全な世界への強烈な肯定が込められている、究極のバッドエンドでありハッピーエンドだと感じています。
かぐや姫の物語ネタバレ考察|捨丸ひどい?
■捨丸は「ひどい男」なのか?妻子がいるのに駆け落ちを望んだ理由
映画オリジナルキャラクターである捨丸については、ネット上でも「クズ」「最低」といった厳しい意見が多く飛び交っています。
かぐや姫と再会した際、彼はすでに妻子がいる身でありながら、「一緒に逃げよう」とかぐや姫を抱きしめ、空を飛ぶという幻想的な時間を過ごしました。
家族を捨てようとした彼の行動は、現代の価値観で見れば不倫そのものであり、生理的な嫌悪感を抱く視聴者がいるのも当然でしょう。
しかし、別の視点から見れば、捨丸は「穢れ」や「欲望」を含めた地上の人間臭さを象徴する存在でもあります。
彼がかぐや姫に惹かれたのは、かつての純粋な日々への思慕や、抗えない魂の結びつきがあったからだという解釈も成り立ちます。
あの飛翔シーンが現実ではなく「二人の魂が交錯した一瞬の夢」として描かれていることも、物語の悲劇性をより深めていますね。
私には、彼が完璧なヒーローではなく、愚かで弱くて、それでも必死に生きている「ただの人間」として描かれたこと自体に、高畑監督のリアリズムを感じてなりません。
かぐや姫の物語ネタバレ考察|帝のアゴの理由・なぜ気持ち悪い?
■なぜアゴが長い?帝のビジュアルに隠された驚きの演出意図
作品後半に登場する帝(御門)の、あの鋭利で長すぎるアゴの造形は、公開当時から現在に至るまで大きな話題を呼び続けています。
この独特のデザインは、スタッフが描いた美男子のキャラクターに対して、高畑監督が「どこか一箇所バランスを崩してみたらどうか。例えばアゴとか」と発案したことがきっかけでした。
また、高畑作品特有の「プレスコ(声を先に録る手法)」により、演者である中村七之助さんのシャープな輪郭がキャラクターに反映された結果でもあります。
しかし、このアゴは単なる外見的なインパクトだけでなく、帝の「自信過剰さ」や「他者を所有物として扱う傲慢さ」を視覚的に強調する装置として機能しています。
背後からいきなり抱きつくという強引な求愛は、現代なら性暴力とも言える行為であり、あのアゴの「いびつさ」がかぐや姫の抱く生理的な嫌悪感を見事に代弁しているのです。
あのビジュアルがあったからこそ、かぐや姫が「もうここにはいたくない!」と月に助けを求めてしまう展開に、私たち視聴者も心から共感できるわけですね。
かぐや姫の物語|何を伝えたい?
■「姫の犯した罪と罰」とは?高畑監督が私たちに伝えたかったこと
キャッチコピーである「姫の犯した罪と罰」の正体については、劇中で明確に説明されていませんが、多くの考察が存在します。
有力な説としては、月の住人でありながら地上の「穢れ(感情や命の躍動)」に憧れを抱いたことが「罪」であり、実際に地球へ送られて苦しみや絶望を味わうことが「罰」だったというものです。
しかし、この物語が本当に伝えたいのは、そんな罰としての苦しみさえも「生きる喜び」の一部であるという「生の賛歌」ではないでしょうか。
月の世界は悩みも死もありませんが、それは同時に「生きている実感」もない無機質な場所です。
対して地球は、病や死、裏切りや悲しみに満ちていますが、だからこそ草花の彩りや人の温もりが何物にも代えがたい宝物になります。
かぐや姫が去り際に叫んだ「この世は穢れてなんかいないわ!」という言葉は、私たちへの、今この瞬間を精一杯生きなさいという力強いエールのように聞こえます。
かぐや姫の物語|感想
■視聴者のリアルな感想と、私の心に残ったこと
多くの視聴者が、この作品を観た後に「トラウマになった」「後味が悪い」といった感想を漏らしています。
その一方で、圧倒的な映像美や、翁と媼の不器用な愛情表現に涙したという声も非常に多いのが印象的です。
特にかぐや姫が十二単を脱ぎ捨てて疾走するシーンの、線が崩れ去るほどの圧倒的なエネルギーには、観るたびに魂を揺さぶられます。
女性を所有物のように扱う社会構造や、親のエゴと子の幸せのギャップなど、現代に通じる重いテーマが描かれている点も、評価が分かれる一因かもしれません。
私自身も、初見の後はあまりの虚無感に動けなくなりましたが、何度も見返すうちに、かぐや姫が流した最後の涙が、希望の種のように感じられるようになりました。
まとめ
■不完全なこの地球を愛するためのバイブル
「かぐや姫の物語」は、私たちが当たり前だと思っている「生きること」の価値を、これ以上ないほど残酷で美しい形で突きつけてくる作品です。
製作期間8年、50億円という膨大なリソースを投じて作られたこのアニメーションは、もはや一つの文化遺産と言っても過言ではありません。
帝の奇怪なアゴや捨丸の不誠実な行動も、全ては「地上の生々しさ」を描き切るために必要な要素だったのだと改めて感じます。
もし、あなたが日々の生活に疲れ、「ここではないどこか」へ行きたいと願うことがあるなら、ぜひこの映画をもう一度観てみてください。
かぐや姫が愛し、忘れまいと泣いたこの地球の「彩り」が、きっとあなたの目にも新しく映るはずですから。
