最近のテレビドラマや映画でその姿を見かけるたびに、吸い込まれるような透明感と凛とした美しさに思わず手を止めてしまうことがあります。
元宝塚歌劇団の月組トップ娘役という輝かしい経歴を持ちながら、現在は二人の子供を育てるお母さんとしての顔も持つ女優、映美くららさん。
彼女の活躍は多岐にわたり、最近ではNHKの大河ドラマでの熱演も大きな注目を集めていますよね。
ネット上でも彼女のプライベートや過去の歩みについて検索する人が増えていますが、今回はそんな彼女の魅力をWikipediaに負けないくらいディープに、そして愛を込めて徹底的に深掘りしていきたいと思います。
一人のファンとしての視点も交えながら、彼女のこれまでの軌跡を丁寧に紐解いていきましょう。
映美くらら|プロフィール、本名は?
■映美くららのプロフィールと意外な本名
まずは彼女の基本的なプロフィールから見ていきますが、映美くららという名前は芸名で、本名は本山麻衣子(もとやま まいこ)さんといいます。
1979年6月15日生まれの彼女は、現在40代半ばを過ぎていますが、SNSで見せる瑞々しい表情はとてもその年齢には見えず、驚かされるばかりです。
出身は熊本県菊池郡菊陽町で、自然豊かな環境で伸び伸びと育ったことが彼女の穏やかな雰囲気のルーツになっているのかもしれません。
気になる芸名の由来ですが、「くらら」という響きは学校時代の恩師が名付け、それに合う「映美」という名字をお母様が考えたという、周囲の愛情が詰まった素敵なエピソードがあります。
この「くらら」にはカトリックの聖女クララのような、美しく映える女性になってほしいという願いが込められているそうで、まさに今の彼女の生き方そのものを表しているようです。
身長は159cmと小柄ながら、舞台や画面の中ではその存在感の大きさに圧倒されることがよくあります。
映美くらら|経歴
■宝塚時代の伝説と女優としての歩み
彼女のキャリアを語る上で欠かせないのが、やはり宝塚歌劇団での輝かしい時代です。
1999年に85期生として入団した彼女は、なんと入団3年目という異例の速さで月組トップ娘役に抜擢されるという伝説を作りました。
これはあの黒木瞳さんに次ぐ史上2番目のスピード出世で、当時の宝塚ファンに大きな衝撃を与えたのは有名な話です。
紫吹淳さんや彩輝直さんの相手役として多くのファンを魅了しましたが、惜しまれつつも2004年に退団し、そこから女優としての第二の人生が始まりました。
退団後はドラマ『ナニワ金融道6』でのデビューを皮切りに、『鈴子の恋』での主演やNHK連続テレビ小説『純と愛』『おちょやん』など、数々の話題作に出演し続けています。
最近では『仮面ライダーリバイス』でお母さん役を演じ、若い世代からも「綺麗すぎるママ」として絶大な支持を集めていたのが印象的でした。
映美くらら|結婚の馴れ初め
■結婚の馴れ初めとロマンチックな演出
私生活では2015年5月に結婚を発表しており、多くのファンが祝福の声を上げました。
気になる旦那様との出会いは、2013年頃に共通の友人を介しての紹介だったそうで、約1年半の交際を経てゴールインしたということです。
旦那様は宝塚のファンだったわけではなく、彼女を「一人の女性」として自然体で見てくれたことが、多忙な彼女にとって大きな心の支えになったようです。
プロポーズのエピソードがまた素敵で、何気ない日常の中で突然、手紙と指輪を渡されたといいます。
その手紙を読んだ瞬間、彼女はあふれる感動に号泣してしまったそうで、ドラマのような派手な演出よりも心に響く瞬間だったのでしょう。
2016年には家族を中心とした小さな結婚式を挙げ、その幸せそうな花嫁姿は今でも語り草になっています。
映美くらら|旦那は?
■旦那様はどんな人?小動物系の会社経営者
彼女が「最強のパートナー」と呼ぶ旦那様は、彼女より3歳から5歳ほど年上の会社経営者です。
一般の方なのでお名前や顔写真は公表されていませんが、身長は177cmと高く、スタイルも抜群のようです。
彼女自身が旦那様のことを「童顔で小動物系の可愛らしい顔立ち」と表現しており、穏やかで優しい雰囲気が目に浮かびますね。
面白いことに、彼女の父親や友人たちからは「並ぶとまるで兄妹のようだ」と言われるほど、二人の醸し出す空気感が似ているそうです。
ファッション関係の会社を経営しているのではないかという噂もありますが、確かなのは彼が彼女の仕事を深く理解し、大きな心で見守っているということです。
SNSでも旦那様の姿は徹底して隠されていますが、それは家族のプライバシーを何よりも大切にしたいという彼女の優しさの表れなのでしょう。
映美くらら|子供は?
■二人の子供と幸せ溢れるママの顔
映美くららさんには、現在一男一女の二人の子供がいます。
第一子となる長男は2017年3月に誕生し、現在は小学生になって元気に成長している姿が想像できます。
第二子の長女は2019年4月に生まれ、彼女のインスタグラムでは娘さんとの微笑ましい日常がたびたび綴られています。
長男はサッカーが好きだったり、仮面ライダーに夢中になったりと活発なようで、彼女もお弁当作りや通園グッズの手作りに奮闘してきたようです。
驚いたのは、娘さんのベビードレスを彼女自身のウェディングドレスの余った布で作ったというエピソードで、家族の絆を大切にする彼女の感性に胸が熱くなりました。
仕事で忙しい時も娘さんから「ままお仕事がんばってね」とメッセージをもらうなど、子供たちの存在が彼女の演技の深みにも繋がっているに違いありません。
映美くらら|実家
■故郷・熊本の実家と家族への想い
彼女のルーツである実家は、熊本県菊池郡菊陽町にあります。
ここは阿蘇山の麓に位置する自然豊かな場所で、幼い頃は田畑を駆け回って遊ぶような活発な女の子だったそうです。
2016年の熊本地震の際には実家も被災し、彼女は非常に心配してすぐに安否を確認したというエピソードもあり、故郷への愛は人一倍強いことが伺えます。
現在も忙しい仕事の合間を縫って子供たちを連れて帰省することがあり、熊本の穏やかな風景が彼女の心の拠り所になっているようです。
地元では彼女の活躍を誇りに思っている人も多く、まさに熊本が産んだスターの一人と言えるでしょう。
映美くらら|母親・父親、兄弟は?
■支えてくれた両親と仲の良い兄弟
彼女の家族構成は、父、母、兄の4人家族です。
お父様は彼女と旦那様が似ていることを「兄妹のようだ」と笑って話すような、ユーモアのある方のようです。
お母様は彼女の芸名の一部を考え、宝塚入団という大きな夢を全力で応援し、精神的な支えとなってきました。
また、彼女にはお兄さんが一人いますが、昔からとても仲が良く、互いに支え合う関係だったと語られています。
家族のプライバシーを守るため詳細は伏せられていますが、こうした温かい家庭環境があったからこそ、彼女の持つ独特の品格が育まれたのだと感じます。
才能豊かな彼女を育て上げたご両親や、良き理解者であるお兄さんの存在は、彼女にとって何物にも代えがたい宝物なのでしょう。
映美くらら|学歴(出身高校・大学)は?
■出身高校と大学進学を選ばなかった理由
学歴について掘り下げてみると、彼女がいかに早い段階で自分の道を決めていたかが分かります。
高校は地元の私立女子校である熊本信愛女学院高等学校に進学しました。
ここはカトリック系のミッションスクールで、彼女は普通科に在籍していましたが、当時から宝塚音楽学校を目指してレッスンに明け暮れる日々を送っていました。
そして高校2年生を終えた1997年、2度目の挑戦で見事に宝塚音楽学校に合格したため、高校は2年で中退しています。
そのため一般的な大学には進学していませんが、彼女にとって宝塚音楽学校こそが最高の学び舎だったはずです。
もし高校をそのまま卒業していたら、どのような道を歩んでいたのか想像もつかないほど、彼女の人生は宝塚と深く結びついています。
映美くらら|出身中学・小学校は?
■出身中学・小学校でのエピソード
さらに遡って子供時代の彼女についても触れておきましょう。
小学校は地元の菊陽町立菊陽中部小学校に通い、この頃からクラシックバレエを習い始めてコツコツと努力を重ねる性格だったといいます。
中学校は地元の菊陽町立菊陽中学校に進学しましたが、2学年上にはプロ野球の中日ドラゴンズで活躍した荒木雅博さんも在籍していたという意外な繋がりもあります。
運命の転機が訪れたのは中学時代の修学旅行で、初めて宝塚歌劇を観劇した彼女は、その迫力と夢のような世界に圧倒されて「ここに入りたい!」と決意しました。
それまでは自分の意思で何かを強くやりたいと思ったことはなかったそうですが、この出会いが一人の少女の人生を大きく変えることになったのです。
部活動には入らず、放課後はひたすらバレエのレッスンに通い詰めていた中学生時代の彼女の情熱が、後のトップ娘役就任への土台となったのは間違いありません。
まとめ
映美くららさんの歩んできた道を辿ってみると、そこには揺るぎない情熱と、家族や周囲の人々からの温かい愛情が溢れていました。
宝塚での伝説的なスピード出世から、女優としての確かなキャリア、そして母としての等身大な姿まで、どの側面を切り取っても彼女の誠実な人柄が伝わってきます。
特に大河ドラマでの活躍は、彼女が単なる「元タカラジェンヌ」という枠を超え、一人の表現者としてさらに高いステージに到達したことを証明していますよね。
これからも、妻として、母として、そして何より一人の輝く女性として、私たちの目を楽しませてくれることでしょう。
彼女のこれからの活躍を、一人のファンとして、そしてこの記事を読んでくださった皆さんと共に、温かく見守り続けていきたいと思います。
美しい真珠が長い時間をかけて貝の中で育まれるように、彼女の演技もまた、これまでの人生の経験という層を重ねることで、より深く、より優しい輝きを放ち続けているのです。
