毎朝、テレビをつければそこには必ずと言っていいほど羽鳥慎一さんの爽やかな笑顔がありますよね。
でも、彼が歩んできた道のりや、その背後にある家族の物語まで詳しく知っている人は意外と少ないのかもしれません。
今回は、ネット上の情報をかき集め、Wikipediaに負けないくらい、羽鳥さんの知られざる素顔を徹底的に深掘りして皆さんにお届けしたいと思います。
羽鳥さんの誠実な人柄がどこから来ているのか、この記事を読めばそのルーツがきっと見えてくるはずですよ。
羽鳥慎一|プロフィール、年齢・身長は?
■お茶の間の顔!羽鳥慎一のプロフィール
1971年3月24日生まれの羽鳥さんは、現在50代半ばを迎えられていますが、その若々しさにはいつも驚かされます。
身長182cmというモデルのような長身で、スーツをビシッと着こなす姿は本当にかっこいいですよね。
血液型はA型で、まさにその几帳面で真面目な仕事ぶりが画面越しにも伝わってきます。
ニックネームの「バード」は、実は先輩の福澤朗さんが名付けたもので、最初は公募したのに応募が少なかったというちょっと笑えるエピソードから誕生したんですよ。
今では自身の番組名に「バード」と入るほど定着していて、彼を象徴する愛称になりましたね。
羽鳥慎一|経歴
■華麗なる転身!エリートアナウンサーの経歴
羽鳥さんは1994年に日本テレビへ入社し、そこから彼のエリート街道が始まりました。
もともとは「野球の実況をしたい」という熱い想いでアナウンサーを志したそうで、入社当初はその夢の通りスポーツキャスターとして活躍していました。
その後、『ズームイン!!サタデー』や『ズームイン!!SUPER』の司会として、文字通り「日本の朝の顔」へと成長していったのです。
2011年には長年勤めた日本テレビを退社し、フリーアナウンサーとしての新たな挑戦をスタートさせました。
フリーになってすぐに他局であるテレビ朝日の番組『モーニングバード』の司会に就任したことは、当時の放送業界では異例中の異例として大きな話題を呼びましたね。
現在は『羽鳥慎一モーニングショー』をはじめ、『ぐるぐるナインティナイン』の進行など、報道からバラエティまでこなすマルチな才能を発揮しています。
羽鳥慎一|年収
■驚愕の数字!フリー転向後の推定年収
皆さんが一番気になっているかもしれない年収についてですが、これはもう桁違いの数字が飛び交っています。
フリーになってからの年収は、少なくとも2億円から3億円、噂では7億円に達するのではないかとも言われているんです。
特に平日朝の帯番組である『モーニングショー』のギャラは1本あたり約80万円とされており、これだけで年間2億円近い収入になります。
局アナ時代の年収が1,200万円程度だったと言われていますから、それをわずか3週間で稼いでしまう計算になるのは本当に夢がありますよね。
さらにバラエティ番組のレギュラーやCM、講演活動、さらには書籍の印税など、収入源は多岐にわたっています。
これだけの高額所得者でありながら、嫌味を感じさせない彼のバランス感覚は本当に素晴らしいなと個人的に感じています。
羽鳥慎一|実家
■故郷への想い!羽鳥慎一の実家とルーツ
羽鳥さんの原点は、埼玉県上尾市にあります。
ここで生まれ、小学校1年生の終わりまで過ごしたそうですが、当時は意外にも口数の少ないおとなしい少年だったというから驚きですよね。
その後、お父様の仕事の関係で神奈川県横浜市戸塚区へと移り住むことになります。
都会的なイメージがある羽鳥さんですが、実はのんびりした上尾の空気の中で育まれた「真面目さ」が彼の土台になっているのかもしれません。
お父様が晩年に暮らしていた埼玉県熊谷市中奈良の自宅は、残念ながら現在は空き家になっているか取り壊されている可能性が高いようです。
羽鳥さんは今でも「埼玉がなければ自分はいない」と語るほど強い郷土愛を持っており、その真っ直ぐな想いには胸を打たれます。
羽鳥慎一|母親・父親は?
■深い絆と悲しい別れ!愛すべき両親の物語
ご両親とのエピソードを紐解くと、羽鳥さんがいかに深い愛情の中で育ったかがよく分かります。
お父様の昭治さんは、2013年に73歳で亡くなられましたが、誰にも看取られない「孤独死」という形での最期だったことが報じられました。
月に数回は食事を共にするほど良好な関係だっただけに、突然の別れに羽鳥さんは深い無念と悔しさをにじませていました。
また、お母様は羽鳥さんが大学4年生の時、まさにアナウンサー試験に合格した直後に50歳前後の若さでこの世を去っています。
晴れ姿を見せられなかったことは、彼にとって今でも消えない心のトゲとなっているようです。
お父様の遺品整理の際、ご両親が結婚後も互いに送り合っていたラブレターが見つかったというお話は、本当に心が温まりますね。
それほど仲睦まじい両親の姿を見て育ったからこそ、羽鳥さんの今の温厚な人柄があるのだと確信しました。
羽鳥慎一|兄弟は?
■陰ながら支える存在!一般人の姉について
羽鳥さんには、お姉様が一人いらっしゃいます。
お姉様は一般の方なので詳細なプロフィールは明かされていませんが、以前は保育士として働いていたという情報があります。
現在は結婚して埼玉県内に住んでおり、晩年の一人暮らしをしていたお父様の様子をこまめに気にかけ、最期を発見したのも実はお姉様だったのです。
派手な舞台で活躍する弟の羽鳥さんを、静かに、そして力強く支えてきた素晴らしいお姉様なのでしょうね。
羽鳥家は、家族全員がそれぞれの場所で真面目に、そして互いを思いやって生きてきたことが伝わってきます。
ちなみに、元日本テレビアナウンサーの永井美奈子さんとは遠い親戚関係にあるという意外な繋がりも判明しており、アナウンサーの才能は血筋なのかもしれませんね。
羽鳥慎一|学歴(出身高校・大学)は?
■文武両道!出身高校と早稲田大学での日々
羽鳥さんの学歴を振り返ると、彼がいかに努力の人であるかがよく分かります。
出身高校は神奈川県立横浜平沼高校で、ここは偏差値65を誇る伝統ある進学校です。
高校時代は野球部に所属し、アンダースローのエースピッチャーとして、夏の神奈川大会4回戦まで進出した実績を持っています。
あの鈴木尚典選手から2打席連続三振を奪ったという伝説的なエピソードは、野球ファンならずとも興奮してしまいますね。
高校卒業後は一浪という試練を経験しますが、1日しか休まず猛勉強に励むことで、難関の早稲田大学政治経済学部へと進学しました。
「偏差値が良かったから選んだ」とクールに語っていますが、野球と学業を両立させたその精神力こそが、今の彼の成功を支えているのでしょう。
羽鳥慎一|出身中学・小学校は?
■横浜での成長!出身中学と小学校のエピソード
羽鳥さんの少年時代を彩ったのは、横浜の街での思い出です。
小学校1年生の時に埼玉県から移り住み、横浜市立権太坂小学校へと入学しました。
この頃から野球を始め、おとなしい性格ながらもスポーツを通じて心身を鍛えていったようです。
中学校は横浜市立境木中学校に進学し、部活動はやはり野球部に所属していました。
中学時代のポジションはピッチャーではなくセカンドでしたが、地道にコツコツと練習に励む姿勢はこの頃から健在だったようですね。
横浜という開放的な環境で過ごした多感な時期が、彼の洗練された振る舞いや、誰からも好かれる柔軟な対応力を育んだのかもしれません。
まとめ
羽鳥慎一さんという人物を深く掘り下げてみると、そこには単なる「人気アナウンサー」という言葉では片付けられない、一人の人間としての重厚な物語がありました。
華やかなキャリアや高額な年収の裏には、野球に捧げた情熱や、浪人時代の猛勉強、そして愛する家族とのあまりにも早すぎる別れといった経験が刻まれています。
ご両親が残したラブレターや、お姉様との絆、そして故郷への強い愛着が、今の彼の誠実な言葉の一つひとつに魂を吹き込んでいるように感じます。
毎朝、私たちがテレビで見るあの笑顔は、多くの喜びと悲しみを乗り越えてきたからこそ、あんなにも温かく、安心感を与えてくれるものなのかもしれません。
これからも、そんな羽鳥さんの活躍を、心から応援し続けていきたいですね。
