『近畿地方のある場所について』を観終えて、瀬野千紘のラストについて深く考えている皆さんの気持ち、痛いほどよく分かります。
本当に、あの結末には頭を抱えちゃいましたよね。
一体何が起きていたのか、千紘さんの行動の裏にはどんな真実が隠されていたのか。
僕も映画館を出てからずっと、あれこれと考察を巡らせていました。
今日は、そのあたりの謎を一緒に紐解いていきましょう。
映画を観た人ならきっと頷ける、あの衝撃の真相について、僕なりの解釈を語らせてください。
近畿地方のある場所についてネタバレ考察|ちひろ(千紘)正体・目的は?
千紘の行動に隠された悲しい願い
瀬野千紘という女性は、当初こそ失踪した編集者の佐山さんの同僚として、小沢君に協力する頼りになるライターに見えましたよね。
しかし、彼女の裏にはもっと個人的で、そして絶望的なほどの願いが隠されていました。
千紘さんは、幼い息子さん、たくみ君を失うという悲劇を経験していたんです。
ベビーカーに乗せて公園でうたた寝している間に、たくみ君がいなくなってしまい、後に池で発見されたという、想像を絶するような辛い過去です。
息子さんを失った悲しみと、もう一度会いたいという強い思いが、彼女をあの怪異へと向かわせる原動力となっていたんですよ。
彼女はかつて「あまのいわやと」という宗教団体に入信していました。
そこでは「やしろさま」と呼ばれる黒い石が信仰の対象となっていて、千紘さんはその石に、亡くなった息子さんを蘇らせる力があると考えていたんです。
この悲しい過去こそが、千紘さんの全ての行動の根底にあった、本当に切実な理由だったんですね。
近畿地方のある場所についてネタバレ考察|小沢と佐山、二人の編集者が巻き込まれた理由
千紘さんが息子さんを蘇らせるために選んだ方法は、なんとも恐ろしいものでした。
それは、生贄を捧げることだったんです。
彼女はまず、失踪した編集長の佐山さんをそのターゲットにしようと画策していました。
佐山さんが追っていた怪異の資料を彼に与え、巧妙に深みに引き込もうとしていたんですね。
しかし、佐山さんはその意図に気づき、逃れるように姿をくらましてしまいます。
その次に千紘さんが目をつけたのが、小沢君でした。
「一人で行動しないように」とか、「暴走しないように」と繰り返し忠告していたのは、彼の身を案じていたわけではなく、彼を生贄として「管理」していたからなんです。
小沢君に積極的に食事を摂らせていたのも、生贄として健康な状態を保っておくためだったと考えると、背筋が凍りつきますよね。
さらに、怪異化した了(あきら)君とその母親である「赤い服の女」も、別の怪異として生贄を求めていたので、千紘さんにとってはライバル関係にあったんです。
小沢君が危うく彼らに連れて行かれそうになった時、千紘さんがビンタしたり、車で赤い服の女を撥ね飛ばしたりしたのは、小沢君を奪われたくなかったからだと考えると、その執着の深さにゾッとします。
霊能力者の諸田さんが千紘さんの背後に白い手を見たことや、小沢君に彼女の手が血に塗れて見えた場面も、千紘さん自身がすでに怪異に深く関わっている、あるいは半ば怪異と化していることを示唆していたんでしょうね。
近畿地方のある場所についてネタバレ考察|ちひろの最後は?赤い女の呪いで怪異?
映画のクライマックスでは、ついに「やしろさま」の姿が明らかになります。
それは全身が白く、無数の手が生えた体毛のない猿のような見た目でしたよね。
団地に住む一家の娘が描いた絵で「一番偉い人」と言っていたのは、この「やしろさま」のことだったんです。
この「やしろさま」と黒い石が、死者を蘇らせる力を持つ存在として、映画全体の怪異の中心にいたんですね。
小沢君は、千紘さんの思惑通り生贄として黒い石に吸い込まれてしまいます。
無数の目に包まれていく小沢君の姿は、まさしく「やしろさま」が集めてきた目玉だったのかもしれません。
失踪した佐山さんが左目を失っていたことや、森で姿を消した少女の目に穴が空いていたという証言も、この怪異との関連を示唆しているんですよ。
そして、小沢君を生贄に捧げたことで、千紘さんは念願の息子、たくみ君を取り戻します。
しかし、そのたくみ君は普通の赤ん坊ではありませんでした。
おくるみから伸びてくる手は赤黒く、まるで「やしろさま」のように無数の触手が生えていたんです。
そして、映画の最後のシーンでは、千紘さん自身の両目が左右に大きく歪み、顔全体が変形していく様子が描かれていました。
これは、彼女自身もまた、怪異と一体化し、人ならざるものへと変貌してしまったことを意味しているんですよ。
近畿地方のある場所についてネタバレ|ラストシーンが示す呪いの連鎖
映画のラスト、千紘さんは再びSNSに動画を投稿します。
「私の友人が消息を絶ちました。彼の名前は小沢悠生。情報をお持ちの方はご連絡下さい」と、まるで最初と同じように、また誰かを探すかのようなメッセージです。
しかし、その腕には、怪異と化した息子、たくみ君が抱えられています。
映像の途中から聞こえてくる赤ん坊の泣き声と、おくるみから伸びる無数の触手のような黒い手は、たくみ君にも継続的に「養分」が必要であることを示しています。
つまり、千紘さんは息子を養うために、これからも呪いを広め、新たな生贄を集め続けていくという、救いのない連鎖の始まりを予感させる結末だったんです。
この終わり方は、原作小説とは少し違う、映画オリジナルの展開でした。
原作では、主人公が怪異の「広報官」のように情報を広める存在として描かれているのに対し、映画版では千紘さんがより能動的に、そして残酷に生贄を求める「呪いの主体」として描かれていたのが印象的です。
僕個人としては、あのモキュメンタリーパートの質の高さに比べると、終盤の「やしろさま」のビジュアルや千紘さんの変貌は、少しばかりCG感が強くて拍子抜けする部分もありました。
けれど、菅野美穂さんの鬼気迫る演技は本当に素晴らしかったです。
息子を蘇らせたいという母親の狂気と執着を、見事に演じ切っていましたよね。
「子どもを失った母の執着」という、Jホラーにありがちな要素に帰結したという意見もありますが、僕は彼女の悲しみと、それによって生まれた執念が、この映画の最も怖い部分だったと感じています。
まとめ
「呪いは終わらない」。
この言葉が、映画を観終わった後も、僕たちの心に深く残る、そんなラストでしたね。