やっほー、映画好きの皆さん! 今日も映画の深淵を一緒に覗きに行こうぜ!
今回掘り下げていくのは、巷で話題沸騰のJホラー、『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』。
僕もね、公開初日に観に行ったんですけど、もうチケットがソールドアウトでびっくりしましたよ。
それだけ期待されてた作品ってことですよね。
実際観てみたら、もう「これが求めていたJホラーだ!」って心底震えましたね。
静かなんだけど、じわじわと神経を削られるような恐怖。
そして、観終わった後も頭から離れない、謎めいた余韻。
今回は、このめちゃくちゃ怖いけどめちゃくちゃ面白い映画について、あらすじから最後の結末、そしていろんな謎や伏線について、僕なりに徹底的に考察していきますよ。
きっと、この記事を読んだら、もう一度観たくなるはずです。
それじゃあ、いってみよう!
ミッシング・チャイルド・ビデオテープ|あらすじネタバレ
映画のあらすじ、心臓掴まれました
物語の中心にいるのは、僕らと同じくらいの世代かな、兒玉敬太くん。
彼には幼い頃、自分と一緒に出かけた山で弟の日向くんが失踪してしまうという、とても辛い過去があるんです。
この出来事が彼の人生に大きく影を落としていて、成長した今は行方不明の人を探すボランティア活動に身を捧げています。
そんなある日、彼のもとに母親から一本の古いVHSビデオテープが送られてくるんですよ。
これがもう、不穏感ハンパないわけです。
そのテープには、なんと日向くんがいなくなるまさにその瞬間が映っていたんですって。
想像しただけでもゾッとしますよね。
敬太くんの同居人で、実は霊感がある天野司くんは、そのテープから何か禍々しい雰囲気を感じ取って、「これ以上深入りしない方がいい」って忠告するんですよ。
でも、敬太くんはそんな忠告には耳を貸さず、ずっと彼を苦しめてきた忌まわしい過去の真相を暴くために動き出します。
まさに、運命に引きずり込まれるような感覚ですよね。
そして、敬太くんを取材対象として追いかけていた新聞記者の久住美琴さんも、彼らに同行することになります。
こうして、3人は日向くんが失踪した“あの山”へと足を踏み入れていくんです。
物語の序盤、敬太くんの母親が送ってきた荷物の中に、大量のダンボールが積まれている描写があるんですが、これまでの人生でどれだけの「過去」が送られてきたんだろうって、考えちゃいましたね。
司くんが美琴さんと初めて会うシーンも印象的でした。
美琴さんがストーカーに悩まされていると思っているんだけど、司くんは「それ、多分違いますよ。
俺、視えちゃうんで」って、さりげなく自分の能力を明かすんです。
この時点で、司くんがただの同居人じゃないってわかるし、この映画がただの事件モノじゃないってことを示唆しているんですよね。
山に入っていくと、そこには大量の骨壺が不法投棄されていて、もうその光景がまず不気味でした。
この山、昔から神隠しや集団自殺、一家心中などの不可解な事件がいくつも発生していたという、とんでもない曰く付きの場所なんです。
さらに、司くんが敬太くんの母親が自殺していたことを発見するんです。
敬太くんは家に訪れたとき「留守だ」って言ってたのに、司くんが見つけるっていうのがね。
敬太くんが何か見て見ぬふりをしていたのか、それとも別の力が働いていたのか、このあたりからもう、何が現実で何がそうじゃないのか、わからなくなってきます。
山の中で出会う民宿の息子からは、「あの山は昔から“神様”を捨てる場所だ」という、さらにゾッとするような噂を聞かされるんです。
こうして、謎が深まっていく中で、3人は日向くんが消えた場所、廃墟へと辿り着くんです。
そこからが、もう本番ですよ。
ミッシング・チャイルド・ビデオテープ考察ネタバレ|最後の結末
最後の結末、解釈はあなた次第
廃墟の中で敬太くんを探す司くんと美琴さん。
ここで美琴さんが何者かに手首を掴まれるんですが、これ、めちゃくちゃ怖かったですよ。
一瞬の出来事なんだけど、音のない恐怖っていうか、本当に背筋が凍りつきましたね。
司くんは嫌な予感を感じながらも2階へと向かい、そこで敬太くんを発見します。
敬太くんは「日向を見つけた」って嬉しそうなんだけど、司くんは衝撃の真実を告げるんです。
「そいつは日向くんじゃない。
ずっと言えなかったけど、日向くんはいつも敬太の隣にいた」。
この言葉がね、もう全てをひっくり返すような一言でした。
僕も「え、どういうこと!?」ってなりましたもん。
そして、司くんの目の前には、日向くんが行方不明になったあの日の光景が広がります。
彼は日向くんの後を追い、階段の下で血を流して倒れている日向くんを見つけてしまうんです。
日向くんは事故で亡くなっていたのかもしれない、という事実が突きつけられる瞬間ですよね。
同時に、現実世界の敬太くんも階段の下で日向くんが着ていたレインコートを見つけ、泣き崩れます。
このシーン、本当に切なかったですね。
そして、ここからがまた謎なんですけど、司くんはそのまま行方不明になってしまうんですよ。
誰にも気づかれずに、まるで最初から存在しなかったかのように消えてしまうんです。
美琴さんはその後も、いつ記事になるのかもわからないまま、あの山についての調査を続けています。
でも、彼女の背後には常に視線が感じられて、物語は終わらない恐怖を暗示しているんですよね。
さらに、宿屋の息子も日向くんのポスターを見ていたときに、誰かに見られているような描写があって、次のカットでは彼も消えてしまうんです。
そして、敬太くんもマンションに帰ってきた後、背後から何かを感じ取り、「司…?」と振り向いた瞬間、彼の視点もビデオテープの映像のような粗い画質に変わって、物語は幕を閉じます。
つまり、彼もまた“映像の中”に取り込まれてしまったかのようなんです。
この映画のラストは、物理的な説明が一切ないんです。
誰が彼らを撮っているのか、なぜ消えたのか、映像の中で何が起こっているのか。
何一つ明確な説明がされないまま終わる。
これがね、この作品最大の恐怖であり、魅力なんですよね。
僕たちは、観客として「自分も知らず知らずのうちに誰かに見られ、記録されているのではないか」という、そんな不安に飲み込まれていくんです。
まさに、「ホラーは終わらないものだ」って語りかけてくるような結末でしたね。
ミッシング・チャイルド・ビデオテープ考察ネタバレ|伏線・未解決の謎
様々な謎と伏線、深掘りしていくと震えます
この映画ね、たくさんの謎や伏線が散りばめられていて、観終わった後に頭の中がグルグルするんですよ。
いくつか、僕が特に気になったポイントを深掘りしていきましょう。
「ぷよぷよ」の正体は?
物語の序盤、日向くんが「ぷよぷよがいるよ。
みえないの?」って言いますよね。
あれ、一体何なんだろうって気になった人も多いんじゃないかな。
僕の考察なんですが、あれは日本の自然信仰に出てくる「こだま」なんじゃないかと思うんです。
ほら、『もののけ姫』にも出てくる、お化けというよりは精霊とか神に近い存在です。
あの廃墟で、怪異が複数同時に発生するシーンがあったでしょう?
誰かに化けることができる「もの」が2体以上いたんじゃないか。
これ、こだまの特徴とすごく似ているんです。
彼らは知能が高いわけじゃなくて、「その人が強烈に気にしている存在に化けることができる」という能力を持っているのかもしれない。
そして、新たな仲間を増やそうとしている、と。
ちなみに、主人公の苗字も「児玉(こだま)」なんですよ。
これって偶然じゃないと思うんですよね。
摩白山、あの「捨てる場所」の恐ろしさ
民宿の青年が、「あの山は骨壺とか神仏にまつわる物を捨ててもいい場所だ」って語ってましたよね。
もともと、大昔から「こだま」が住んでいた場所で、だから神聖な、スピリチュアルな場所だとされてきたのかもしれません。
それが時代の流れと共に、いつの間にか「捨ててもいい場所」になってしまった。
そして、捨てられる物に宿る強烈なエネルギーと「こだま」たちが混じり合い、より禍々しく、巨大なものへと成長してしまったんじゃないかな。
例えるなら、『もののけ姫』でいう「あらぶる神」に変わってしまったようなイメージです。
だから、あの山では失踪が相次いでいるんだと思います。
この映画は、日本古来の自然や神の信仰に根ざした怖さを表現しているんじゃないかって、僕は感じました。
摩白山は、人間が「見なかったことにしたいもの」を押し込む場所なんです。
それは物理的なものだけでなく、「記憶のゴミ箱」であり、「罪の預け先」でもあるのかもしれません。
捨てたはずの記憶や罪が、完全に消えることはなく、形を変えて還ってくるという、Jホラーの伝統的な恐怖がここにあるんですよね。
消えた司くん、彼の存在の行方
司くんの消失は、この映画の最も衝撃的な部分の一つですよね。
誰にも気づかれずに、記憶からも消えていく。
まるで「物語から削除された」かのような消え方でした。
僕もね、司くんが消えたとき、本当に「えっ?」って声が出そうになりましたもん。
この司くんの存在って、もしかしたら敬太くんが抱える過去の罪悪感や喪失体験が「具現化」した存在だったんじゃないか、と考えることができるんです。
司くんが最後にした行動は、敬太くんが最も認めたくなかった「日向くんはもう死んでいる」という真実を突きつけることでしたよね。
敬太くんにとって、日向くんは「かくれんぼの途中」で、いつか見つかるかもしれない希望だった。
でも司くんがその幻想を打ち破ってしまった。
その瞬間、敬太くんは無意識のうちに司くんを「認めたくない現実」として「捨ててしまった」のかもしれない。
摩白山は、そんな半ば無意識的な願いすら叶えてしまう場所だった。
そう考えると、司くんが消えてしまった理由が、少しだけ腑に落ちる気がするんです。
彼は、敬太くんが真実と向き合うための「装置」だったのかもしれないし、その役目を終えたら、ひっそりと物語から退場したのかもしれない。
そして、彼のように「誰にも気づかれず、記憶にも記録にも残らない存在」となること。
これこそが、この映画が描く最大の恐怖なんじゃないでしょうか。
VHSテープの呪いと「未必の故意」
この映画のキーアイテムであるVHSテープも、ただの記録媒体じゃないですよね。
ノイズや映像の乱れ、そして再生するたびに微妙に内容が変化しているように感じられる描写。
これはもう、単なる映像ではなく、「呪具」として機能しているんです。
映像が真実を記録するのではなく、見る者の記憶を侵し、現実を捻じ曲げ、最終的には人間そのものを取り込んでしまう。
僕らが見ている世界も、実は誰かに見られて、記録されているんじゃないか。
そんな不安を掻き立てられますよね。
そして、この映画をより深く理解する上で欠かせないのが、入場者特典として配布された短編小説「未必の故意」です。
この「未必の故意」って、法的な概念で「ある結果が起こる可能性を認識しつつ、それを受け入れて行動する心理状態」を指すんです。
つまり、「こうなっちゃうかもしれないけど、まあいいや」って思って行動すること。
映画本編では、敬太くんが弟を見失った背景や母親の死について明確な原因は語られないんです。
でも、「気づいていたのに止めなかったかもしれない」という曖昧な罪の意識が全編に漂っているように感じます。
特典小説は、映画とは直接的なストーリーの繋がりはないものの、「語られない罪」や「曖昧な加害性」というテーマで映画と共鳴しているんです。
敬太くんは日向くんを殺したわけではないと思うんだけど、もしかしたら「いなくなればいい」と無意識に思ってしまったのかもしれない。
そして、山はその願いを汲み取ってしまった。
この「未必の故意」という視点が加わることで、敬太くんの心の葛藤や、彼の行動の裏に隠された無意識の責任というものが、より鮮明に浮かび上がってくるんです。
映らない恐怖、細部に宿る不穏さ
この映画がね、本当に上手いなって思ったのは、「ノーCG」「ノー特殊メイク」「ノージャンプスケア」という、徹底した「見せない」演出です。
僕もホラー映画は大好きなんですけど、最近の作品ってCGやジャンプスケアに頼りがちじゃないですか。
でもこの映画は、音や映像で直接的に驚かせるんじゃなくて、静寂と違和感で僕らの神経をじわじわと削ってくるんです。
これぞまさに、Jホラーの真骨頂ですよ。
特に印象的だったのが、フレームの端に一瞬映り込む人影とか、鏡やガラスに映る「ずれた現実」の描写です。
あれって、本当に映っていたのか、僕らの目が錯覚しただけなのか、すごく曖昧なんですよね。
監督は「説明しないことで観た人の記憶を揺さぶる狙いがあった」って言ってるんですけど、まさにその通りで。
観終わった後も、「あれは本当にあったことなのか?」って、自分の記憶すら信じられなくなってくるんですよ。
旅館の青年が語る怪談もね、本当に秀逸でした。
決して流暢に話すわけじゃないんだけど、その素人っぽい語り口が逆にリアルで、まるで本当にあった話を聞いているかのように引き込まれました。
彼が語る「神は時に祟るもの。
町の人たちが捨てた不浄のものを全て飲み込んでくれる山は、同等の贄を要求していた」という話は、この山の本質を突いているように感じましたね。
「解決しない」ことが恐怖を増幅する
『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、多くの謎を未解決のまま残して終わります。
弟の失踪、司くんの行方、山の正体。
どれも明確な答えは示されない。
最初はね、「なんで教えてくれないんだよ!」ってモヤモヤもしました。
でも、これがこの映画の「怖さ」の根源なんだと気づいたんです。
人間って、わからないものに一番恐怖を感じるじゃないですか。
明確な答えがないからこそ、僕たちは自分の中で想像力を働かせ、恐怖を継続させるんです。
「結局よくわからない」という結論に至ることこそが、本作の恐怖感が持続する要因だと監督も語っています。
曖昧さを楽しむ。
これこそが、この映画の醍醐味なんですよね。
弟、司くん、母親、そしてかつての失踪者たち。
この作品では、「消えること」「残された者が感じる断絶」が繰り返し描かれます。
誰もはっきりとした答えを持たないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
山という異界の存在が、人間関係や精神の崩壊を加速させているようにも見えました。
この映画はね、怪異そのものよりも、怪異に対して人がどう壊れていくかを描きたかったのかもしれませんね。
だからこそ、観終わった後もずっと、心に静かな不穏さが残るんです。
正直、何回か見返して「こういうことだったのか!」って気づくたびに、また違った怖さがこみ上げてくる、そんな中毒性のある作品でした。
まだ観てない人は、ぜひ劇場か配信で体験してみてほしい。
そして、観た人は、ぜひ僕の考察を参考に、もう一度映画の世界に浸ってみてください。
きっと、新たな発見と、ぞっとするような恐怖が待っていますよ!
じゃあ、また次の記事で会おうぜ!やっほー、映画好きの皆さん! 今日も映画の深淵を一緒に覗きに行こうぜ!
今回掘り下げていくのは、巷で話題沸騰のJホラー、『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』。
僕もね、公開初日に観に行ったんですけど、もうチケットがソールドアウトでびっくりしましたよ。
それだけ期待されてた作品ってことですよね。
実際観てみたら、もう「これが求めていたJホラーだ!」って心底震えましたね。
静かなんだけど、じわじわと神経を削られるような恐怖。
そして、観終わった後も頭から離れない、謎めいた余韻。
今回は、このめちゃくちゃ怖いけどめちゃくちゃ面白い映画について、あらすじから最後の結末、そしていろんな謎や伏線について、僕なりに徹底的に考察していきますよ。
きっと、この記事を読んだら、もう一度観たくなるはずです。
それじゃあ、いってみよう!
映画のあらすじ、心臓掴まれました
物語の中心にいるのは、僕らと同じくらいの世代かな、兒玉敬太くん。
彼には幼い頃、自分と一緒に出かけた山で弟の日向くんが失踪してしまうという、とても辛い過去があるんです。
この出来事が彼の人生に大きく影を落としていて、成長した今は行方不明の人を探すボランティア活動に身を捧げています。
そんなある日、彼のもとに母親から一本の古いVHSビデオテープが送られてくるんですよ。
これがもう、不穏感ハンパないわけです。
そのテープには、なんと日向くんがいなくなるまさにその瞬間が映っていたんですって。
想像しただけでもゾッとしますよね。
敬太くんの同居人で、実は霊感がある天野司くんは、そのテープから何か禍々しい雰囲気を感じ取って、「これ以上深入りしない方がいい」って忠告するんですよ。
でも、敬太くんはそんな忠告には耳を貸さず、ずっと彼を苦しめてきた忌まわしい過去の真相を暴くために動き出します。
まさに、運命に引きずり込まれるような感覚ですよね。
そして、敬太くんを取材対象として追いかけていた新聞記者の久住美琴さんも、彼らに同行することになります。
こうして、3人は日向くんが失踪した“あの山”へと足を踏み入れていくんです。
物語の序盤、敬太くんの母親が送ってきた荷物の中に、大量のダンボールが積まれている描写があるんですが、これまでの人生でどれだけの「過去」が送られてきたんだろうって、考えちゃいましたね。
司くんが美琴さんと初めて会うシーンも印象的でした。
美琴さんがストーカーに悩まされていると思っているんだけど、司くんは「それ、多分違いますよ。
俺、視えちゃうんで」って、さりげなく自分の能力を明かすんです。
この時点で、司くんがただの同居人じゃないってわかるし、この映画がただの事件モノじゃないってことを示唆しているんですよね。
山に入っていくと、そこには大量の骨壺が不法投棄されていて、もうその光景がまず不気味でした。
この山、昔から神隠しや集団自殺、一家心中などの不可解な事件がいくつも発生していたという、とんでもない曰く付きの場所なんです。
さらに、司くんが敬太くんの母親が自殺していたことを発見するんです。
敬太くんは家に訪れたとき「留守だ」って言ってたのに、司くんが見つけるっていうのがね。
敬太くんが何か見て見ぬふりをしていたのか、それとも別の力が働いていたのか、このあたりからもう、何が現実で何がそうじゃないのか、わからなくなってきます。
山の中で出会う民宿の息子からは、「あの山は昔から“神様”を捨てる場所だ」という、さらにゾッとするような噂を聞かされるんです。
こうして、謎が深まっていく中で、3人は日向くんが消えた場所、廃墟へと辿り着くんです。
そこからが、もう本番ですよ。
最後の結末、解釈はあなた次第
廃墟の中で敬太くんを探す司くんと美琴さん。
ここで美琴さんが何者かに手首を掴まれるんですが、これ、めちゃくちゃ怖かったですよ。
一瞬の出来事なんだけど、音のない恐怖っていうか、本当に背筋が凍りつきましたね。
司くんは嫌な予感を感じながらも2階へと向かい、そこで敬太くんを発見します。
敬太くんは「日向を見つけた」って嬉しそうなんだけど、司くんは衝撃の真実を告げるんです。
「そいつは日向くんじゃない。
ずっと言えなかったけど、日向くんはいつも敬太の隣にいた」。
この言葉がね、もう全てをひっくり返すような一言でした。
僕も「え、どういうこと!?」ってなりましたもん。
そして、司くんの目の前には、日向くんが行方不明になったあの日の光景が広がります。
彼は日向くんの後を追い、階段の下で血を流して倒れている日向くんを見つけてしまうんです。
日向くんは事故で亡くなっていたのかもしれない、という事実が突きつけられる瞬間ですよね。
同時に、現実世界の敬太くんも階段の下で日向くんが着ていたレインコートを見つけ、泣き崩れます。
このシーン、本当に切なかったですね。
そして、ここからがまた謎なんですけど、司くんはそのまま行方不明になってしまうんですよ。
誰にも気づかれずに、まるで最初から存在しなかったかのように消えてしまうんです。
美琴さんはその後も、いつ記事になるのかもわからないまま、あの山についての調査を続けています。
でも、彼女の背後には常に視線が感じられて、物語は終わらない恐怖を暗示しているんですよね。
さらに、宿屋の息子も日向くんのポスターを見ていたときに、誰かに見られているような描写があって、次のカットでは彼も消えてしまうんです。
そして、敬太くんもマンションに帰ってきた後、背後から何かを感じ取り、「司…?」と振り向いた瞬間、彼の視点もビデオテープの映像のような粗い画質に変わって、物語は幕を閉じます。
つまり、彼もまた“映像の中”に取り込まれてしまったかのようなんです。
この映画のラストは、物理的な説明が一切ないんです。
誰が彼らを撮っているのか、なぜ消えたのか、映像の中で何が起こっているのか。
何一つ明確な説明がされないまま終わる。
これがね、この作品最大の恐怖であり、魅力なんですよね。
僕たちは、観客として「自分も知らず知らずのうちに誰かに見られ、記録されているのではないか」という、そんな不安に飲み込まれていくんです。
まさに、「ホラーは終わらないものだ」って語りかけてくるような結末でしたね。
様々な謎と伏線、深掘りしていくと震えます
この映画ね、たくさんの謎や伏線が散りばめられていて、観終わった後に頭の中がグルグルするんですよ。
いくつか、僕が特に気になったポイントを深掘りしていきましょう。
「ぷよぷよ」の正体は?
物語の序盤、日向くんが「ぷよぷよがいるよ。
みえないの?」って言いますよね。
あれ、一体何なんだろうって気になった人も多いんじゃないかな。
僕の考察なんですが、あれは日本の自然信仰に出てくる「こだま」なんじゃないかと思うんです。
ほら、『もののけ姫』にも出てくる、お化けというよりは精霊とか神に近い存在です。
あの廃墟で、怪異が複数同時に発生するシーンがあったでしょう?
誰かに化けることができる「もの」が2体以上いたんじゃないか。
これ、こだまの特徴とすごく似ているんです。
彼らは知能が高いわけじゃなくて、「その人が強烈に気にしている存在に化けることができる」という能力を持っているのかもしれない。
そして、新たな仲間を増やそうとしている、と。
ちなみに、主人公の苗字も「児玉(こだま)」なんですよ。
これって偶然じゃないと思うんですよね。
摩白山、あの「捨てる場所」の恐ろしさ
民宿の青年が、「あの山は骨壺とか神仏にまつわる物を捨ててもいい場所だ」って語ってましたよね。
もともと、大昔から「こだま」が住んでいた場所で、だから神聖な、スピリチュアルな場所だとされてきたのかもしれません。
それが時代の流れと共に、いつの間にか「捨ててもいい場所」になってしまった。
そして、捨てられる物に宿る強烈なエネルギーと「こだま」たちが混じり合い、より禍々しく、巨大なものへと成長してしまったんじゃないかな。
例えるなら、『もののけ姫』でいう「あらぶる神」に変わってしまったようなイメージです。
だから、あの山では失踪が相次いでいるんだと思います。
この映画は、日本古来の自然や神の信仰に根ざした怖さを表現しているんじゃないかって、僕は感じました。
摩白山は、人間が「見なかったことにしたいもの」を押し込む場所なんです。
それは物理的なものだけでなく、「記憶のゴミ箱」であり、「罪の預け先」でもあるのかもしれません。
捨てたはずの記憶や罪が、完全に消えることはなく、形を変えて還ってくるという、Jホラーの伝統的な恐怖がここにあるんですよね。
消えた司くん、彼の存在の行方
司くんの消失は、この映画の最も衝撃的な部分の一つですよね。
誰にも気づかれずに、記憶からも消えていく。
まるで「物語から削除された」かのような消え方でした。
僕もね、司くんが消えたとき、本当に「えっ?」って声が出そうになりましたもん。
この司くんの存在って、もしかしたら敬太くんが抱える過去の罪悪感や喪失体験が「具現化」した存在だったんじゃないか、と考えることができるんです。
司くんが最後にした行動は、敬太くんが最も認めたくなかった「日向くんはもう死んでいる」という真実を突きつけることでしたよね。
敬太くんにとって、日向くんは「かくれんぼの途中」で、いつか見つかるかもしれない希望だった。
でも司くんがその幻想を打ち破ってしまった。
その瞬間、敬太くんは無意識のうちに司くんを「認めたくない現実」として「捨ててしまった」のかもしれない。
摩白山は、そんな半ば無意識的な願いすら叶えてしまう場所だった。
そう考えると、司くんが消えてしまった理由が、少しだけ腑に落ちる気がするんです。
彼は、敬太くんが真実と向き合うための「装置」だったのかもしれないし、その役目を終えたら、ひっそりと物語から退場したのかもしれない。
そして、彼のように「誰にも気づかれず、記憶にも記録にも残らない存在」となること。
これこそが、この映画が描く最大の恐怖なんじゃないでしょうか。
VHSテープの呪いと「未必の故意」
この映画のキーアイテムであるVHSテープも、ただの記録媒体じゃないですよね。
ノイズや映像の乱れ、そして再生するたびに微妙に内容が変化しているように感じられる描写。
これはもう、単なる映像ではなく、「呪具」として機能しているんです。
映像が真実を記録するのではなく、見る者の記憶を侵し、現実を捻じ曲げ、最終的には人間そのものを取り込んでしまう。
僕らが見ている世界も、実は誰かに見られて、記録されているんじゃないか。
そんな不安を掻き立てられますよね。
そして、この映画をより深く理解する上で欠かせないのが、入場者特典として配布された短編小説「未必の故意」です。
この「未必の故意」って、法的な概念で「ある結果が起こる可能性を認識しつつ、それを受け入れて行動する心理状態」を指すんです。
つまり、「こうなっちゃうかもしれないけど、まあいいや」って思って行動すること。
映画本編では、敬太くんが弟を見失った背景や母親の死について明確な原因は語られないんです。
でも、「気づいていたのに止めなかったかもしれない」という曖昧な罪の意識が全編に漂っているように感じます。
特典小説は、映画とは直接的なストーリーの繋がりはないものの、「語られない罪」や「曖昧な加害性」というテーマで映画と共鳴しているんです。
敬太くんは日向くんを殺したわけではないと思うんだけど、もしかしたら「いなくなればいい」と無意識に思ってしまったのかもしれない。
そして、山はその願いを汲み取ってしまった。
この「未必の故意」という視点が加わることで、敬太くんの心の葛藤や、彼の行動の裏に隠された無意識の責任というものが、より鮮明に浮かび上がってくるんです。
映らない恐怖、細部に宿る不穏さ
この映画がね、本当に上手いなって思ったのは、「ノーCG」「ノー特殊メイク」「ノージャンプスケア」という、徹底した「見せない」演出です。
僕もホラー映画は大好きなんですけど、最近の作品ってCGやジャンプスケアに頼りがちじゃないですか。
でもこの映画は、音や映像で直接的に驚かせるんじゃなくて、静寂と違和感で僕らの神経をじわじわと削ってくるんです。
これこそまさに、Jホラーの真骨頂ですよ。
特に印象的だったのが、フレームの端に一瞬映り込む人影とか、鏡やガラスに映る「ずれた現実」の描写です。
あれって、本当に映っていたのか、僕らの目が錯覚しただけなのか、すごく曖昧なんですよね。
監督は「説明しないことで観た人の記憶を揺さぶる狙いがあった」って言ってるんですけど、まさにその通りで。
観終わった後も、「あれは本当にあったことなのか?」って、自分の記憶すら信じられなくなってくるんですよ。
旅館の青年が語る怪談もね、本当に秀逸でした。
決して流暢に話すわけじゃないんだけど、その素人っぽい語り口が逆にリアルで、まるで本当にあった話を聞いているかのように引き込まれました。
彼が語る「神は時に祟るもの。
町の人たちが捨てた不浄のものを全て飲み込んでくれる山は、同等の贄を要求していた」という話は、この山の本質を突いているように感じましたね。
「解決しない」ことが恐怖を増幅する
『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、多くの謎を未解決のまま残して終わります。
弟の失踪、司くんの行方、山の正体。
どれも明確な答えは示されない。
最初はね、「なんで教えてくれないんだよ!」ってモヤモヤもしました。
でも、これがこの映画の「怖さ」の根源なんだと気づいたんです。
人間って、わからないものに一番恐怖を感じるじゃないですか。
明確な答えがないからこそ、僕たちは自分の中で想像力を働かせ、恐怖を継続させるんです。
「結局よくわからない」という結論に至ることこそが、本作の恐怖感が持続する要因だと監督も語っています。
曖昧さを楽しむ。
これこそが、この映画の醍醐味なんですよね。
弟、司くん、母親、そしてかつての失踪者たち。
この作品では、「消えること」「残された者が感じる断絶」が繰り返し描かれます。
誰もはっきりとした答えを持たないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
山という異界の存在が、人間関係や精神の崩壊を加速させているようにも見えました。
この映画はね、怪異そのものよりも、怪異に対して人がどう壊れていくかを描きたかったのかもしれませんね。
だからこそ、観終わった後もずっと、心に静かな不穏さが残るんです。
まとめ
正直、何回か見返して「こういうことだったのか!」って気づくたびに、また違った怖さがこみ上げてくる、そんな中毒性のある作品でした。
まだ観てない人は、ぜひ劇場か配信で体験してみてほしい。
そして、観た人は、ぜひ僕の考察を参考に、もう一度映画の世界に浸ってみてください。
きっと、新たな発見と、ぞっとするような恐怖が待っていますよ!
じゃあ、また次の記事で会おうぜ!