PR

ジョジョ7部アニメのED(エンディング曲)の評価・評判は?

スポンサーリンク
はるを アニメ・マンガ

2026年9月、待望のNetflixアニメ『スティール・ボール・ラン ジョジョの奇妙な冒険』2nd & 3rd STAGEの配信が全世界でスタートしました。

長年アニメ化を待ち望んでいた多くのファンが歓喜に包まれる一方で、新たに公開されたエンディングテーマ(ED)を巡り、ネット上では前代未聞の大炎上と強い拒絶反応が巻き起こっています。

アーティスト・千葉雄喜氏による書き下ろし楽曲「死ぬか生きるか」に対し、国内のSNSだけでなく海外のコミュニティからも「作品に全く合っていない」「歴代最悪の選曲だ」と厳しい批判が相次いでいるのです。

単なる音楽の好みやジャンルの違いという言葉だけでは片付けられないほど、なぜこれほど多くのファンが心を痛め、絶望に近い感情を抱いているのでしょうか。

今回は、長年ジョジョという作品の美学を愛してきた一人のファンとしての正直な想いも重ねながら、この不満と拒絶が起きた本質的な理由を深く丁寧に紐解いていきます。

スポンサーリンク

ジョジョ7部アニメのED(エンディング曲)洋楽伝統の崩壊

ジョジョのアニメシリーズにおいて、エンディング曲は単なるBGMではなく、作品のソウルを形作る極めて特別な意味を持っていました。

第1部および第2部のYes『Roundabout』をはじめ、第3部のThe Bangles『Walk Like an Egyptian』やPat Metheny Group『Last Train Home』、第4部のSavage Garden、第5部のJodeci『Freek’n You』、そして第6部のDuffy『Distant Dreamer』に至るまで、歴代の通常EDはすべて伝説的な洋楽の名曲で統一されてきたのです。

これは原作者である荒木飛呂彦先生が連載執筆当時に実際に聴いていた音楽や作品のイメージに基づき、2024年に惜しまれつつ亡くなられた大森啓幸プロデューサーら制作陣が大切に築き上げてきた唯一無二の伝統でした。

そして迎えた第7部『スティール・ボール・ラン』は、1890年代のアメリカ大陸を舞台に、泥臭い荒野を馬で駆け抜ける壮大な西部劇のストーリーです。

ファンは当然のように、Americaの『A Horse With No Name』やFleetwood Macの『The Chain』、あるいはEaglesやDeep Purpleといった70?80年代のアメリカン・ロックやカントリー・フォークの名曲が選ばれることを固く信じて疑っていませんでした。

しかし、実際に本編のラストから流れてきたのは、これまで築き上げられてきた美学を根底から覆す、日本語歌詞による現代的な書き下ろしトラップラップだったのです。

15年以上かけてファンと公式の間で育まれてきた「ジョジョのED=洋楽」という暗黙の美学が突如として絶たれた喪失感は、想像以上に深いものでした。

仮に伝統を崩して邦楽ラップを採用するにしても、劇場版『ファントムブラッド』で「VOODOO KINGDOM」を手掛け、作品中にも同名の重要キャラクターが存在するSOUL’d OUTであれば愛とストーリー性を感じられたという声が数多く上がるのも当然と言えます。

ジョジョ7部アニメのED(エンディング曲)原作理解を欠いた歌詞

今回のEDに対する強い拒絶反応は、単に洋楽から邦楽へジャンルが変わったことだけが理由ではありません。

それ以上に多くのファンを悲しませたのは、楽曲の歌詞(リリック)から漂う「原作に対する解像度の低さ」でした。

曲のタイトルである「死ぬか生きるか」という言葉自体、主人公であるジョニィ・ジョースターが作中で語った「『生きる』とか『死ぬ』とか…誰が『正義』で誰が『悪』だなんてどうでもいいッ!!」という魂の叫びとは違うベクトルを向いています。

また、過酷なレースの途中でジャイロ・ツェペリと分け合うコルシー(コーヒー)や休息のひとときこそが旅路の尊い醍醐味であるにもかかわらず、歌詞では「休まず走る」と歌われてしまっています。

さらに「馬力強い馬」というフレーズが何度も繰り返されますが、ジョニィが心を通わせるのは老いたスロー・ダンサーであり、ジョッキーとしての腕で魅せるディエゴや自らの足で走るサンドマンなど、それぞれの個性を活かして挑むのがSBRのレースの真髄です。

単純なスピードやパワーを誇るかのような直球の言葉は、障害を負ったジョニィが「マイナスからゼロ」へと一歩を踏み出していく泥臭い成長のドラマとは大きく乖離していました。

SNS上では「表紙とあらすじだけを眺めて作った曲のようだ」といった冷ややかな意見が溢れ、「ポコロコ目線の歌詞だ」という皮肉や「ナランチャが書いた方がもっと作品の本質を捉えた良い歌詞になる」という悲しいジョークまで飛び交う結果となったのです。

ジョジョ7部アニメのED(エンディング曲)の評価・評判は?

この困惑と憤りは日本国内だけに留まらず、世界中のジョジョファンコミュニティへと波及し、大きな波紋を広げました。

X(旧Twitter)では個人の投稿が1万3000件以上のいいねを集め、Togetterなどの情報まとめサイトでも大きな注目を集める事態となりました。

海外の掲示板サイトRedditやYouTubeのコメント欄でも、「本編の余韻が台無しになる」「いくらなんでも世界観に合っていない」といったコメントが殺到しています。

さらに海外ファンを大きく揺さぶったのが、楽曲のプロデュースを担当したDr. Luke(ルカサー・ゴットヴァルト)氏を巡る過去の裁判トラブルや告発の存在でした。

こうした複数のネガティブな要素が重なったことで、公式SNSの返信欄にはEDの変更を求めるメッセージが大量に寄せられる事態となっています。

Kroiが手掛けたオープニングテーマ「SPIN」やアニメ本編の美しい作画が高く評価されているからこそ、ラストのエンディングで急激に冷めてしまう落差に耐えかねる視聴者が続出しているのが現状です。

まとめ

アニメ『スティール・ボール・ラン』のEDを巡る騒動は、決してファン側の偏狭さや我がままから生まれたものではありません。

それは、作品が長年大切にしてきた「海外音楽との深い結びつき」という文脈と、登場人物たちの生き様に対する敬意(リスペクト)が感じられなかったことに対する、ファンからの切実な抗議のあらわれなのです。

制作陣が新しい風を吹き込もうとした意図自体は理解できますが、やはり物語の根本にあるソウルと噛み合っていない演出は、作品を愛する読者の心をすれ違わせてしまいます。

これから物語が加速し、過酷なバトルやドラマがさらに深まっていく中で、特殊エンディングの実施や演出の変更など、ファンの心に寄り添う救済が訪れることを切に願っています。

タイトルとURLをコピーしました