テレビ番組の『プラチナファミリー』を観ていたら、思わず画面に釘付けになってしまいました。
それは、総資産4兆円超という桁外れの数字を持つ「東南アジアの石炭王」と、その妻である素敵な日本人女性が登場したからです。
ネット上でも、一体このご夫婦は何者なのだろうと大きな話題になっていますよね。
私自身、その驚くべきライフスタイルと、そこに至るまでのドラマチックな人生にすっかり魅了されてしまいました。
今回は、この謎に包まれた大富豪ロー・タック・クオン(Low Tuck Kwong)氏と、そのパートナーであるダティン・晴代・ローさんについて、徹底的に深掘りしていきたいと思います。
プラチナファミリー|東南アジア石炭王はロー・タック・クオン!
■ロー・タック・クオンのプロフィール
ロー・タック・クオン氏は、1948年4月17日にシンガポールで生まれました。
現在は78歳を迎え、インドネシアのジャカルタに住居を構えています。
国籍はもともとシンガポールでしたが、ビジネスの展開に合わせてインドネシアへと市民権を移しています。
家族構成としては、妻である晴代さんと、二人の子供に恵まれています。
彼は、インドネシアの巨大な石炭採掘企業である「バヤン・リソーシズ」を立ち上げた創業者であり、社長を務めています。
それだけでなく、シンガポールの再生可能エネルギー会社である「メティス・エナジー」の経営権も握っています。
さらに、インターネット環境を整備するために、海底ケーブルシステムの敷設を支援する事業も行っています。
これほど忙しいビジネスマンでありながら、実は大変な動物愛護家という、意外な素顔も持ち合わせているのです。
炭鉱の開発によって住処を追われたオランウータンやマレーグマ、クジャクなどの野生動物を守るために、私立の動物園まで作ってしまいました。
強面な実業家のイメージとは裏腹に、動物たちの未来を優しく思いやる姿には、人としての温かみを感じて個人的にとても好感が持てます。
プラチナファミリー|東南アジア石炭王、ロー・タック・クオンの経歴
若い頃のロー氏は、シンガポールにある父親の建設会社で仕事を手伝う、ごく普通の青年でした。
しかし、1972年に「もっと大きなチャンスを掴みたい」という強い意志を抱いてインドネシアへと移住します。
移住後に彼が設立した建設会社は、基礎工事などの分野で先駆者としての地位を確立していきました。
やがて1988年になると、炭鉱事業へと進出し、採掘の請負業者として徐々に規模を拡大していきます。
そして運命の1997年、初めて自分自身の鉱山を購入したことで、彼の人生は一気に大ブレイクを迎えます。
購入した鉱山は、不純物が非常に少なくて高品質な石炭が豊富に眠る、素晴らしい資源の宝庫でした。
これが現在のバヤン・リソーシズの基礎となり、2008年には株式市場への上場を果たしています。
近年では年間で5690万トンを超える石炭を生産し、インドネシア全体の生産量の約7%を担うまでの大企業へと成長させました。
何もないところから自らの直感と決断力だけでこれほどの帝国を築き上げた軌跡は、まさに男のロマンそのものだと感じます。
また、社会への恩返しも忘れておらず、2023年には自身の財団を通じて教育や医療などのために多額の寄付を行っています。
その金額はなんと1億2760万シンガポールドルに達し、シンガポールで最大の民間寄付者として表彰されるほどでした。
稼いだ富を自分たちだけで独占するのではなく、次の世代のために惜しみなく社会に還元する姿勢は、本当に尊敬に値しますね。
プラチナファミリー|東南アジア石炭王、ロー・タック・クオンの資産
気になる彼の資産額ですが、2026年現在、フォーブスのリアルタイム長者番付によれば、約229億ドルと発表されています。
日本円に換算すると、なんと数兆円という、一瞬頭がバグってしまうようなとてつもない金額です。
世界の富豪ランキングでも常に上位に位置しており、東南アジアではトップクラスの大富豪として有名です。
過去には、インドネシアで長年首位を独占していたハルトノ兄弟を一時的に追い抜き、国内で最も裕福な男に輝いたこともあります。
バヤン社の株価が上昇するたびにその資産はさらに膨らんでおり、まさに資源ビジネスの計り知れないスケールを実感させられますね。
2024年の夏には、当時66億ドル(日本円で約1兆円)にも及ぶ持ち株を、娘のエレインさんに譲渡したという驚きのニュースも報じられました。
一世代でこれほどの富を築き上げ、それを家族に引き継いでいくダイナミックさは、一般庶民の私たちからするとため息しか出ません。
プラチナファミリー|東南アジア石炭王の妻、ダティン・晴代・ローのプロフィール・経歴
さて、番組でも大注目されていたのが、この偉大な石炭王を支える日本人妻、ダティン・晴代・ローさんです。
晴代さんは山梨県甲府市の出身で、気品あるお嬢様学校として知られる山梨英和中学校・高等学校を卒業されました。
幼い頃、お母様と観たアメリカの映画『王様と私』に強い感銘を受け、世界に羽ばたくことを夢見ていたそうです。
その後、トリサクティ大学のインドネシア語学科に進学し、言葉のスキルを磨きました。
卒業後はキャセイパシフィック航空に入社し、憧れの客室乗務員(CA)として世界中を飛び回ります。
そして、ここから彼女の人生はまるで映画のような急展開を見せることになります。
実は学生時代に、アルバイトとして日本語を教えていたシンガポール人の青年がいたのですが、それが若き日のロー氏だったのです。
当時は教師と生徒というだけの関係でしたが、数年後、晴代さんがCAとして乗務していた国際線の機内で偶然にも再会を果たします。
この奇跡的な出会いをきっかけに、機内で突然プロポーズされ、毎日届く花束と手紙の熱意に負けて、23歳で国際結婚を決意しました。
ここまでの話だけでも十分にドラマのヒロインのようですが、晴代さんの本当に素晴らしいところは「大富豪の妻」という立場に甘んじなかったことです。
彼女は結婚後、優雅なマダム生活を送りながらも、日本との貿易を担う会社を東京都内に立ち上げました。
最初はビジネスに関しては全くの素人でしたが、持ち前の類稀なる行動力で商社などとの人脈を築いていきます。
投資業などにも分野を広げ、なんと旦那様とは完全に独立した自分自身の資産を築き上げたのです。
大富豪の妻でありながら、自分自身の足で立ち、ビジネスで大成功を収めるなんて、本当にカッコいい大人の女性だと思います。
その功績や社会貢献が認められ、1999年にはビザンチン皇室から「貴婦人」、2001年にはマレーシア国王から「男爵夫人」を意味する「ダティン(Datin)」の称号を授与されました。
さらに、日本の優れた文化人として東久邇宮国際文化褒賞も受賞されています。
彼女の凄まじい活動はビジネスだけに留まらず、オランウータンの保護活動にも夫婦で熱心に取り組んでいます。
なんと旦那様から誕生日にプレゼントされたという島に、インフラや住居を整備して、絶滅危惧種のオランウータンが野生に還るためのリハビリ施設を作ってしまいました。
現在は、東京都世田谷区にある総工費5億円とも言われる超豪華な邸宅に暮らしながら、故郷である山梨への支援にも多大な力を注いでいます。
女子バスケットボールチームの「山梨クィーンビーズ」や、サッカーJ2「ヴァンフォーレ甲府」の有力なスポンサーとして活動しています。
それだけでなく、企業版ふるさと納税を通じて、地元のいくつかの自治体へ多額の寄付を行っていますが、これらはすべて旦那様からの援助を一切受けずに、自身の資金で行っているそうです。
自分の成功を生まれ育った古里に惜しみなく還元する姿には、地元への深い愛と、人間としての気高さを感じて深く感動させられます。
ちなみに、娘のエレイン・ローさんも非常に素晴らしい方で、かつて東日本大震災が発生した際、自身の個人資金から当時約8000万円という巨額の義援金を日本へ寄付してくれました。
お母様の晴代さんの背中を見て育ったからこそ、このような素晴らしい利他の精神が自然と育まれたのだろうと思います。
まとめ
テレビで紹介された華やかな邸宅やプライベートジェット、高級車の数々にはもちろん目を奪われます。
しかし、彼らがここまで歩んできた情熱的な挑戦の歴史や、築いた富を惜しみなく社会に還元するその生き様にこそ、本当の魅力があるのではないでしょうか。
単なるお金持ちという枠を遥かに超えて、社会を良くするために行動し続けるこの素晴らしいファミリーからは、多くの刺激と勇気をもらえますね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
