Netflixで配信が始まってから、僕の周りでもめちゃくちゃ話題になっているキャスリン・ビグロー監督の8年ぶりの新作『ハウス・オブ・ダイナマイト(A House of Dynamite)』。
緊迫感が最初から最後まで途切れない、極上のポリティカル・スリラーなんだけど、問題はあの「結末」ですよね。
観終わった後、「え、これで終わり!?」って椅子から崩れ落ちそうになった人も多いはずです。
だって、映画の終末を描くぞ!と期待させておいて、観客に答えを丸投げするんだから、そりゃあ賛否両論になるのも当然でしょう。
今回は、核の脅威という現代的なテーマを深く掘り下げたこの作品について、あらすじからあの衝撃的なラストまで、考察ブロガーとして徹底的に解説していきます。
※この記事は映画の核心的なネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。
ハウス・オブ・ダイナマイト ネタバレ|あらすじ
■映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』ってどんな話?
この物語は、ごくありふれた日常の朝、突然、アメリカが核攻撃の危機に晒されるという絶望的な状況から幕を開けます。
太平洋上空で出所不明のICBM(大陸間弾道ミサイル)が探知され、その軌道から、狙いがアメリカ第3の都市シカゴであると判明します。
ミサイルが着弾するまでのタイムリミットは、わずか18分(または19分)。
映画は、この息をのむような「18分間」の出来事を、3つの異なる視点から繰り返し描いていくという、非常に実験的な構造を取っているのが特徴です。
一つ目は、アラスカの迎撃基地のダニー・ゴンザレス少佐や、ホワイトハウス危機管理室のオリヴィア・ウォーカー大佐といった「現場」の軍人たちの視点。
二つ目は、情報分析や外交交渉を行うジェイク・バリントン副補佐官ら高官の視点。
そして三つ目は、人類の命運を背負うアメリカ合衆国大統領(イドリス・エルバ)自身の視点です。
タイトルの「ハウス・オブ・ダイナマイト」は、大統領自身が口にする言葉から来ており、核兵器を抱える現代の世界そのものが「いつ爆発してもおかしくない火薬を詰め込んだ家」であるという、痛烈な皮肉が込められています。
ハウス・オブ・ダイナマイト ネタバレ|ストーリー
■極限の18分間!終盤までの緊迫した道のり
ミサイルの飛来が確認されると、米軍の警戒レベルは平時の「DEFCON 5」から、一気に「DEFCON 2」(核戦争寸前)へと引き上げられます。
まず、アラスカの迎撃基地では、ゴンザレス少佐のチームが迎撃ミサイル(GBI)を2発発射しますが、これがまたリアルで胸が痛くなる展開なんです。
迎撃ミサイルの成功率はテストで「61%」(弾丸で弾丸を撃ち落とすようなもの)と、そもそも心もとない数字が示されますが、結果は悲劇でした。
1発目は機能せず、2発目も目標に接触できないまま失敗に終わり、迎撃の望みは絶たれます。
この瞬間、ゴンザレス少佐が凍てつくアラスカの雪の上に崩れ落ち、嘔吐する姿は、訓練を積んだプロでも、命の危機と無力感を前にすれば一人の人間でしかないという現実を突きつけます。
一方で、政府中枢では混乱が極まりますが、最大の焦点は「誰がミサイルを発射したのか」ということ。
衛星が発射地点を見逃したこともあり、ロシアや中国、あるいは北朝鮮の潜水艦発射能力など、情報が錯綜し、誰も確信を持てない状況が最後まで続きます。
この情報が不足している中、軍(ブレイディ大将ら)は「先制報復すべき」と強く主張しますが、ジェイク副補佐官らは「誰が撃ったか不明なまま報復すれば、全面核戦争に発展する」と猛反対します。
そして、この終盤の展開で最も心を抉られるのが、リード・ベイカー国防長官の行動です。
シカゴに娘がいる彼は、職務そっちのけで娘の安否を気遣いますが、避難が間に合わないことを悟ります。
ついに娘と電話で短い「さよなら」を交わした後、彼は核バンカーへのヘリに乗らず、ビルの屋上から身を投げてしまうのです。
亡き妻の喪失から立ち直れていない彼にとって、娘も失うかもしれない世界で生きることは、耐え難い絶望だったのでしょう。
極限状況下で、政府高官ですら、システムよりも「愛する者」を選び、あるいは絶望してしまう人間の弱さが、あまりにもリアルに描かれていて、僕は見ていて本当に苦しくなりました。
ハウス・オブ・ダイナマイト ネタバレ|最後の結末は?
■結末は衝撃の「答えなし」?ラストを徹底考察
物語は、大統領がエアフォースワンに避難し、「核のフットボール」を携行するロバート・リーブス海軍少佐から報復オプションの提示を受ける、究極の瞬間に到達します。
リーブス少佐が提示するのは、報復の規模を示す「レア(軽微)」「ミディアム(中規模)」「ウェルダン(大規模)」の選択肢。
大統領は、シカゴという大都市を犠牲にする代わりに人類存続の可能性を選ぶか、あるいは、攻撃には必ず報復するという核抑止の原則を守り、第三次世界大戦の火蓋を切るかという、地獄のような決断を迫られます。
大統領は検証コードを読み上げ、最終的な指示を下す直前で…映画は突然、幕を閉じます。
シカゴが核攻撃を受けたのかも、大統領が報復を選択したのかも、観客には知らされないままなのです。
この「答えなき結末」は、多くの観客(僕も劇場で観ていて「おいマジかよ」と声が出そうになった)を混乱させ、「尻切れとんぼだ」「カタルシスがない」と、大きな賛否両論を巻き起こしました。
しかし、これこそが監督キャスリン・ビグローと脚本家ノア・オッペンハイムの明確な制作意図だったと断言できます。
彼らは、ミサイルの爆発や報復の描写を入れることで「世界が救われた(または滅びた)から、もう終わりだ」と観客に安心させたくなかったのです。
もしミサイルが不発に終われば、「英雄」の物語になってしまいますし、もし大爆発を描けば、単なる「終末スペクタクル」として消費されてしまうでしょう。
脚本家のオッペンハイム氏は、「我々は観客に、『何が起こるか』よりも『何が起こりうるか』を考えてほしかった」と語っています。
映画は、FEMA職員やNSA専門家といった要人が核バンカー「レイブン・ロック」へ避難するシーンや、絶望的な表情のゴンザレス少佐の姿を最後に映すことで、最悪の事態が起こったことを強く示唆しています。
大統領の決断も、彼が「良識的で人間的な指導者」として描かれていることから、「一都市の犠牲と引き換えに、核の連鎖を断ち切る道を選んだのではないか」という考察もできます。
しかし、結局のところ、僕たちが知るべきは「核兵器という名の狂気が、常に一人の人間のわずか数分の判断に委ねられている」という、このシステムの根本的な異常さなのだと思います。
ハウス・オブ・ダイナマイト |評価
■賛否両論の嵐!この映画の評価は?
批評家の評価は概ね高く、「緊迫感に満ちた、リアルなシミュレーションスリラー」として好意的に受け入れられています。
しかし、観客の反応は真っぷたつに割れています。
特に、「同じ18分間を3回見せられる構成は冗長だ」、「結末が曖昧すぎて不満が残る」という意見が噴出しています。
僕個人の感想としては、確かに中盤以降、同じ会話が繰り返されるのには少し退屈を感じたのも事実です。
しかし、キャスリン・ビグロー監督が描きたかったのは、派手なアクションや事件の解決ではなく、「システムの脆弱性と、極限に追い込まれた人間の生々しい感情」です。
オリヴィア大佐が病気の息子を心配したり、国防長官が娘に別れを告げたり、大統領が核のメニューを見て「学生証みたいだ」とぼやいたりといった、極限状態での「人間らしさ」が垣間見える瞬間が、この映画の真骨頂だと感じました。
そして何よりも、この映画のテーマは、「悪人が核を使うから危険なのではない、良識的な人間がシステムの一部として核を使わざるを得なくなるのが危険なのだ」という、核抑止論への鋭い問いかけです。
だからこそ、結論を出さずに終わるあのラストは、観客に「私たちは核兵器という狂気のシステムの上で、何の保証もない平和を享受している」という、最も恐ろしい現実を突きつけるための、必然的な形だったと理解できます。
まとめ
■最後に:私たちが生きる「ダイナマイトの家」
『ハウス・オブ・ダイナマイト』は、単なるサスペンス映画の枠を超え、現代に生きる私たち全員への「警告」です。
ミサイルの発射元が不明だったのは、明確な敵を設定しないことで、核兵器そのものが人類共通の脅威であることを示しています。
僕たち日本人にとっても、北朝鮮のミサイル発射が日常化し、「どうせ大丈夫だろう」という「正常性バイアス」に慣れきってしまっている現状は、この映画で描かれた政府高官たちの初期の気の緩みと重なる部分があるように思えてなりません。
平和とは、当たり前の日常とは、「いつ爆発するか分からない火薬を詰め込んだ家」の中で、たまたま火花が散っていないだけの、危うい均衡の上にある。
この映画を観終わった後、あなたもきっと「もしあの時、大統領が報復ボタンを押していたら?」あるいは「シカゴは本当にどうなったのか?」と考え続けるはずです。
それこそが、キャスリン・ビグロー監督が起こしたかった「爆発」、つまり「核の脅威について議論を始めること」そのものなのです。
僕は、配信だけでなく、都会で先行公開されていた時に劇場で観ておけば良かったと心底後悔しました。
この重く、そして心臓が締め付けられるような緊張感を、ぜひNetflixで、あなた自身の目で体験し、この「答えなき結末」について一緒に考えてみませんか?
最後までお付き合いいただいてありがとうございました。
