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バケモノの子ネタバレ考察|一郎彦はなぜ鯨?意味は?

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映画「バケモノの子」を深く知る!闇の優等生・一郎彦が鯨になった理由と声優を徹底考察

細田守監督の『バケモノの子』、皆さんもう何度ご覧になりましたか?

本当に何度見ても感動と興奮が押し寄せてくる名作ですよね。

熱血漢の熊徹と、孤独な少年・九太の師弟愛に涙腺が緩む一方で、物語後半で強烈な印象を残すのが、九太と対をなす存在、一郎彦です。

彼が抱える深い闇、そして渋谷の街に現れた巨大な鯨の姿は、多くの観客にとって最大の謎であり、同時にこの物語の核となるテーマでもあります。

今回は、この悲劇的な優等生、一郎彦について、その複雑なキャラクターの正体から、なぜ彼は鯨になったのか、そして彼の魂を表現した声優さんまで、熱意を持って深掘りしていきます。

彼の心の叫びを一緒に探ってみましょう。

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バケモノの子ネタバレ考察|一郎彦とは?

■一郎彦のキャラ詳細:人間である事実を隠した優等生の悲劇

一郎彦というキャラクターは、ただの敵役として片づけられない、非常に繊細で悲しい運命を背負った存在です。

彼はバケモノ界「渋天街」の次期宗師候補である猪王山(いおうぜん)の長男として登場します。

猪王山は強さだけでなく品格も一流と認められるバケモノですから、その長男である一郎彦もまた、礼儀正しく、文武両道に秀でた絵に描いたような優等生でした。

しかし、彼の出自には大きな秘密が隠されていました。

実は、一郎彦は猪王山の実子ではなく、人間界の渋谷で捨てられていた赤ん坊を、猪王山が連れてきて育てた人間の子だったのです。

バケモノ界では、人間に宿る「心の闇」の恐ろしさから、人間を連れてくることは禁忌とされていました。

猪王山は、彼を差別や掟から守るため、そして「愛情を注げば闇は宿らない」という思い込みから、一郎彦自身にも、周囲にも彼の出自を秘密にし続けます。

しかし、一郎彦が成長するにつれて、彼は次第に自身と父や弟(二郎丸)との容姿の違いに気づき始めます。

彼にはバケモノ特有の牙や伸びた鼻が生えてこないことに悩み、自分が猪王山の息子ではないのでは、と不安を募らせていったのです。

彼が幼少期から猪の顔を模した帽子をかぶり、青年期には顔の下半分を布で隠していたのは、この人間であることへのコンプレックスと、それを認めたくない羞恥心の表れでした。

一郎彦にとって、「猪王山の息子であること」はアイデンティティそのものであり、その自己認識が崩壊した結果、彼の心には劣等感と孤独の結晶である巨大な闇が生まれてしまったわけです。

そこに、人間である自分を隠さずに熊徹の弟子として成長していく九太(蓮)が現れたことで、一郎彦の不安と苛立ちは一気に増幅し、「半端者」である九太を否定することで、自分自身が人間ではないと必死に自己暗示をかけていたとも読み取れます。

彼の行動の根源は、憎しみというよりも、認められなかった自分への苦しみだったのだと思うと、胸が締め付けられますね。

バケモノの子ネタバレ考察|一郎彦はなぜ鯨?意味は?

■一郎彦はなぜ鯨になった?その意味を徹底考察

物語のクライマックス、一郎彦が心の闇を爆発させ、巨大な「鯨」の姿となって渋谷の街を暴走するシーンは、映像的な迫力もさることながら、その「なぜ鯨なのか?」という疑問が、作品のテーマを深く理解する鍵となります。

一郎彦の闇が暴走したのは、彼が唯一絶対の存在と信じていた父・猪王山が、見下していた熊徹に敗北したことがトリガーでした。

この衝撃によって闇に飲まれた一郎彦は人間界に逃走し、そこで楓が落とした小説『白鯨』を拾い、その本の中の「鯨」という文字を見た瞬間に、その姿に変貌してしまいます。

鯨は「心の闇」を映す鏡

この鯨の姿は、単なる怪物化ではなく、一郎彦の中に肥大化した「人間の闇」の可視化として描かれています。

作中、九太が図書館で『白鯨』を読んでいた時、ヒロインの楓がこんな考察を語っていましたね。

クジラは自分を映す鏡で、主人公は自分自身と戦っているんじゃないかな?」。

つまり、一郎彦が変身した巨大な鯨は、九太自身が克服すべき「自分の心に潜む闇」を映し出す鏡でもあったのです。

九太と一郎彦は、共にバケモノ界で育った人間の子であり、一郎彦が闇に飲まれたのは、九太が「自分の闇とどう向き合い、乗り越えるか」という試練を乗り越えるために必要な対照的な存在だったと言えます。

白鯨の物語が暗示する結末

また、モチーフとなったハーマン・メルヴィルの『白鯨』は、片足を奪った白鯨モビー・ディックへの復讐に狂った船長エイハブが、最終的にモビー・ディックに敗れ、船員たちを道連れにして死んでしまう物語です。

この原作の結末は、復讐心や執着といった「闇」に囚われると、自らを破滅させてしまうというメッセージを強烈に示しています。

一郎彦は、猪王山に負けを認めさせないという執着、そして人間である自分への自己否定という闇に囚われ、渋谷で破壊の限りを尽くす災厄へと変貌してしまったわけです。

さらに興味深いのは、この巨大な鯨がマッコウクジラの姿をしながら、上顎には猪の牙が付いている点です。これは、人間である自分を否定しながらも、最後まで「猪王山の息子」でありたいという、彼の拭いきれないコンプレックスと執着心が反映された異形な姿だったのでしょう。

そして、細田監督の作品には『時をかける少女』や『サマーウォーズ』、『竜とそばかすの姫』でも鯨が登場していますから、鯨は監督にとって「大きな試練」や「乗り越えるべきもの」を象徴する、重要なモチーフなのだと感じます。

バケモノの子|一郎彦の声優

■一郎彦の声優:青年期の焦燥を演じた宮野真守さん

一郎彦という複雑なキャラクターを演じた声優さんの存在も、彼の魅力を語る上で欠かせません。

このキャラクターは、幼少期と青年期で声優が分かれています。

幼少期は黒木華さん

まず、幼少期(10歳)の一郎彦の声を担当したのは、女優の黒木華(くろき はる)さんです。

中性的で、内面に秘めた脆さや繊細さを持つ少年期の一郎彦を見事に表現されていました。

青年期は宮野真守さん

そして、心の闇が膨れ上がり始める青年期(18歳)の一郎彦を演じたのは、言わずと知れた人気声優、宮野真守(みやの まもる)さんです。

宮野さんは『DEATH NOTE』の夜神月や『機動戦士ガンダム00』の刹那・F・セイエイなど、話題作のメインキャラクターを多く演じている、声優・俳優・歌手として活躍されているベテランです。

彼が演じた青年期の一郎彦は、完璧な優等生という仮面の裏で、自己否定と焦燥を募らせ、最終的に闇に飲まれて暴走するという、非常に振れ幅の大きい感情を見せました。

宮野さんの持つ、端正さの中に狂気や不安定さを覗かせる表現力が、一郎彦の悲劇的な美しさを際立たせていましたよね。

彼が闇落ちしていく様子は、ファンからは「闇堕ち美少年」として人気が高いというのも納得です。

まとめ

■闇を克服した九太がもたらした救済

一郎彦が抱えた「心の闇」は、人間の誰しもが持っている孤独や劣等感、そして自己否定の象徴でした。

彼は猪王山と熊徹の決闘後、念動力で熊徹を刺し、瀕死の重傷を負わせるという取り返しのつかない行動に出てしまいますが。

九太が「胸の中の剣」(付喪神となった熊徹)と共に自分の闇を克服したことで、一郎彦にも救いがもたらされることになります。

クライマックス後、意識を取り戻した一郎彦は、暴走した際の記憶を失っていました。

本来であれば、バケモノ界の掟を破り世界を危機に晒した彼が、再び渋天街にいられる可能性は低かったはずです。

しかし、同じ人間である九太が闇を乗り越えたという功績と、「一郎彦にも同じ未来が与えられるべきだ」という九太の訴えによって、一郎彦は猪王山の元でやり直す機会を得るのです。

猪王山もまた、一郎彦の出自を隠し続けたことを謝罪し、改めて彼を息子として育て直す決意を固めます。

九太から手首に結ばれた「赤いしおり紐」は、九太が彼を見捨てず、愛と寛容の心で闇を超えることを選んだ証として、彼の再出発を象徴していました。

一郎彦の物語は、完璧な親(猪王山)の元で育つことの難しさや、「人間であること」を否定し続けた結果がどれほど恐ろしいことになるかを示しつつ、血縁や属性を超えた愛と絆が、最も深い闇さえも救済できるという、細田監督の温かいメッセージを強く伝えてくれるのです。

一郎彦は九太の鏡であり、私たちの心の中にある弱さのメタファーでもあります。

彼を救ったのは、九太が熊徹という師匠から得た「心の剣」という揺るぎない自分自身の芯だったのかもしれません。

彼の悲劇を知ることで、この物語が持つ「新しい家族の形」や「真の強さ」というテーマが、より深く心に響いてきますね。

最後までお付き合いいただいてありがとうございました。

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