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まったく同じ3人の他人ネタバレ考察|あらすじ・キャスト、最後の結末

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海外ドラマ・映画

偶然の出会いが暴く、隠された真実。

Netflixで配信され、世界中で大きな話題を呼んだドキュメンタリー映画『まったく同じ3人の他人(Three Identical Strangers)』をご存知でしょうか。

ただの感動的な再会物語だと思って観始めたら、その底知れぬ深淵に引きずり込まれるような、とんでもない体験をすることになります。

今回は、この衝撃作のあらすじから、その後の彼らの人生、そして賛否を呼んだ評価まで、じっくりと掘り下げてお話ししていきましょう。

もしこれから観る予定の方は、ネタバレにご注意くださいね。

この作品は、一度観たら忘れられない、強烈な記憶を刻みつけてくれるはずです。

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まったく同じ3人の他人ネタバレ|あらすじ

奇跡の出会いから始まった物語:あらすじ

物語は1980年、ニューヨーク州のコミュニティカレッジに入学したばかりの19歳の青年、ボビー・シャフランの驚きから幕を開けます。

彼が新入生としてキャンパスを歩いていると、なぜか見知らぬ人々に「エディ!」と呼び止められ、まるで旧友のように歓迎されるのです。

混乱するボビーでしたが、やがて彼のルームメイトが、その「エディ」という人物が前年までこの大学に通っていた、ボビーに瓜二つの青年であることを突き止めます。

二人がついに顔を合わせた時、そこには信じられない光景がありました。

まったく同じ顔、同じ誕生日、そして同じ養子縁組機関から養子に出されていたという共通点から、彼らは自分たちが生き別れた双子であることを確信します。

この奇跡的な再会は瞬く間にメディアの注目を集め、新聞の一面を飾るほどのニュースとなりました。

ところが、その報道を見た別の青年、デヴィッド・ケルマンから連絡が入ります。

デヴィッドもまた、彼らと同じ誕生日で、同じ養子縁組機関から養子に出されており、彼らとまったく同じ顔をしていたのです。

こうして、ボビー、エディ、デヴィッドの三つ子たちは、19歳にして運命的な再会を果たし、世間の熱狂的な注目を浴びる「時の人」となりました。

彼らは、同じタバコを吸い、同じタイプの女性を好み、同じように足を組むなど、驚くほど多くの共通点を持っていました。

メディアは彼らのシンクロぶりに沸き立ち、「フィル・ドナヒュー・ショー」のような有名トーク番組に引っ張りだこになり、さらにはマドンナの映画『デスパレートリー・シーキング・スーザン』にカメオ出演するほどの人気ぶりでした。

三人はその人気を追い風に、ニューヨークのソーホーに「トリプレット」という名のレストランまでオープンさせ、幸せな日々を送っているように見えました。

しかし、この感動的な再会の裏には、恐ろしくも残酷な真実が隠されていたのです。

彼らがなぜ、生後わずか6ヶ月でバラバラに引き離され、別々の家庭に育てられたのか。

その答えは、彼らの人生を大きく揺るがす、驚くべき「人体実験」の存在でした。

まったく同じ3人の他人|キャスト相関図

ドキュメンタリーを彩る登場人物たち

この映画の登場人物は、もちろん実在の人物たちです。

物語の中心にいるのは、劇的な再会を果たした三つ子の兄弟、ロバート・シャフラン、エドワード・ギャランド、そしてデヴィッド・ケルマンの三人。

彼ら自身の証言や、当時の写真、映像、そして再現シーンが織り交ぜられながら、彼らの喜びや苦悩がリアルに描かれます。

特に印象的なのは、彼らが若き日々にメディアの寵児として輝いていた頃の、無邪気で楽しそうな表情です。

監督はティム・ウォードルで、彼はこの信じられないような物語を、時にサスペンス映画のように、時にハートウォーミングな家族ドラマのように、巧みに描き出しています。

そして、この悲劇的な実験の首謀者とされるのが、児童精神科医のピーター・ノイバウアー博士です。

彼は養子縁組機関であるルイーズ・ワイズ・サービスと協力し、赤ん坊たちを意図的に引き離して異なる社会経済的背景を持つ家庭に配置するという、倫理的に問題のある研究を進めていました。

映画には、ノイバウアー博士の研究を手伝っていた研究助手や、この事実を最初に報じたジャーナリストのローレンス・ライトも登場し、彼らの証言から、当時の状況や研究の背景が少しずつ明らかになっていきます。

また、三つ子の養父母たちの心情も、この物語の重要な要素です。

彼らは、愛する我が子が実は三つ子であり、しかも意図的に引き離されていたという事実を知り、激しい怒りと悲しみに打ちひしがれます。

彼らが養子縁組機関に真実を問い詰める場面は、観ているこちらも胸が締め付けられる思いでした。

さらに、映画ではこの三つ子たち以外にも、同じルイーズ・ワイズ・サービスを通じて引き離され、実験の対象となっていた双子の女性たちも登場し、この問題の根深さを浮き彫りにします。

彼ら一人ひとりの言葉が、この残酷な真実を深く理解するためのカギとなっていました。

まったく同じ3人の他人ネタバレ|最後の結末

衝撃の結末とその後の人生

三つ子たちの華やかな「ハネムーン期間」は、長くは続きませんでした。

彼らが、自分たちの分離が偶然ではなく、ある科学的な研究の一環だったことを知った時、その絆に大きな亀裂が入り始めます。

三人とも、幼い頃から頭を打ちつける癖があったり、後に精神的な問題を抱えたりしていたことが語られ、観る者に深い問いを投げかけます。

そして、再会から約15年後の1995年、三つ子の一人であるエディ・ギャランドが33歳という若さで自ら命を絶ってしまいます。

彼は躁鬱病を患い、苦しんでいました。

この悲劇は、残されたロバートとデヴィッドの関係にも影響を与え、一時期は疎遠になってしまった時期もあったそうです。

映画は、彼らの分離が、彼らの精神的な苦痛の大きな要因だった可能性を示唆しています。

特に、エディが育った家庭は、他の兄弟と比べて比較的厳格な育て方をされていたことが描かれており、観る者に「育て」が人生に与える影響について深く考えさせます。

そして、この「双子・三つ子研究」の核心です。

この研究は、児童精神科医ピーター・ノイバウアー博士によって1950年代から行われていましたが、その結果は今日に至るまで正式には公表されていません。

研究に関する資料は、イェール大学に保管されており、なんと2066年まで一般公開されないことになっています。

つまり、研究の全貌や結論が明かされるのは、被験者である彼らがとっくに亡くなった後だということになります。

映画の制作チームは、ロバートとデヴィッドが自分たちの記録にアクセスできるよう尽力し、最終的に二人は何千ページにも及ぶ資料を受け取りました。

しかし、その多くは黒塗りで判読不能であり、研究の明確な結論が記されているわけではなかったそうです。

この事実は、彼らが自分たちの人生を実験台にされたことへの怒りと、真実を知りたいという強い欲求をさらに募らせる結果となりました。

現在のロバートは、弁護士としてブルックリンに暮らし、二人の子供に恵まれています。

2011年の事故で一部引退していますが、弁護士業を続けています。

デヴィッドはニュージャージーで保険の営業をしており、彼にも二人の娘がいます。

二人の関係は、エディの死やその後の確執を経て、今では良好な状態にあるとのことです。

彼らは、メディアを通して自分たちの物語を語り続け、同じような境遇にある人々の助けになればと活動しています。

まったく同じ3人の他人|評価レビュー

観る者を唸らせる評価と、個人的な考察

『まったく同じ3人の他人』は、2018年のサンダンス映画祭で審査員特別賞を受賞し、世界中の批評家から高い評価を受けました。

映画批評サイトのロッテン・トマトでは96%という高評価を獲得し、「現実とアイデンティティの本質を効果的に問う、超現実的で驚きに満ちた作品」と評されています。

私自身、この映画を観終わった後、ただただ呆然としてしまいました。

最初は心温まるヒューマンドラマかと思いきや、中盤からの展開は完全にサスペンス映画の様相を呈し、最終的には人間の倫理観と科学のあり方を問う重厚なテーマへと昇華していきます。

特に、三つ子たちが持つ多くの共通点が、単なる偶然ではなく、意図された分離によるものだと判明する瞬間は、鳥肌が立つほどでした。

しかし、一方で、この映画の「結論」については、少し違和感を感じたのも事実です。

映画は、エディの死を彼の育った家庭環境、特に厳格な養父との関係に深く結びつけているように描いています。

これは「育ち(Nurture)」が人生に大きな影響を与えるというメッセージを強調するための演出でしょう。

もちろん、生育環境が個人の性格や精神に多大な影響を与えることは、多くの研究で示されていますし、私自身もそう感じています。

ただ、エディの生みの母親も双極性障害を患っていたという情報が提示された後で、再び「育ち」に強く焦点を当てるのは、少しばかり養父にとって酷な描き方だったのではないかと感じてしまいます。

彼もまた、愛する息子を失った一人の親です。

家庭内の事情は外からは分からない部分も多く、一概に「育て方」が全てだったと断じるのは、あまりにも単純すぎるのではないでしょうか。

この映画は、「遺伝(Nature)か、環境(Nurture)か」という古くからの問いに、決定的な答えを与えることを目指しているのかもしれません。

しかし、私の個人的な見解としては、人間の個性や人生は、遺伝と環境という二つの要素が複雑に絡み合い、さらに個人の内面や、出会う人々との関係性といった無数の要因によって形成されていく、多層的なものだと感じています。

この作品は、その複雑さの一端を、あまりにも残酷な形で私たちに見せつけたと言えるでしょう。

この映画が問いかけること

『まったく同じ3人の他人』は、単なるドキュメンタリー映画としてだけでなく、私たちの社会や科学、そして人間そのものが抱える深い問いを突きつけます。

私たちが「自分」として生きていること、個性を持っていることの意味。

そして、科学研究における倫理の重要性について、深く考えさせられる作品です。

もし機会があれば、ぜひ一度、この衝撃的な物語を自身の目で確かめてみてください。

観終わった後、きっとあなたも「生まれか育ちか」という問いについて、深く考えを巡らせることになるでしょう。

そして、この物語が決して遠い昔の出来事ではないことを、胸に刻んでほしいと思います。

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